第44話:精霊が住まう魔女の街

 

 林の間を馬車で進むマダム・リンダ一行。旧シャトルワース領を目指して始まった遠征は総勢三十名ほどの規模になり、大人数を抱えているためどうしても歩みが遅い。しかもシャトルワースは早便の魔導式手紙ですら返事に二十日はかかるほど遠いため、道中でいくつかの街を経由する長旅になる。決して楽とはいえない道程。だが彼女たちの表情は明るかった。シャトルワースこそ、マダム・リンダの始発点だからだ。懐かしき故郷の香りがだんだんと強まる。必ず帰ると誓った約束の地まで、あと少し。


「到着まであとどれくらいだい?」

「明日には領内に入るかと。街に到着するのは三日後でしょう」

「こんなに遠い場所だったかね。もう随分と昔だから忘れちまったよ。さあ、野営の準備をしな。日が暮れるとサルファの獣が寄ってくる」

「サルファの獣……原初の魔女が残した使い魔ですか。奴らの生息地は西なので、この辺りは大丈夫かと思いますが」

「輪廻の魔女の支配地域に入るんだ。街に着いてないからって警戒を緩めるんじゃないよ」


 サルファの獣とは一番最初の魔女だといわれるサルファが生み出した使い魔のことだ。原初の魔女・サルファはあまりにも強大だった。魔術士や騎士、祈祷士が刻む呪痕もサルファが発明したものであり、呪痕以外にも多くの魔導具を世に残している。そして彼女の魔術は複雑すぎるがゆえに、今も呪痕の仕組みは解明されていない。

 そんな魔女が残した獣もまた膨大な魔力を有しており、ひとたび襲われれば並みの戦士はひとたまりもない。呪痕や魔導具がサルファの残した祝福ならば、獣たちは魔女狩りで死んだサルファによる呪いなのだ。


 停止した馬車から降りるマダム。彼女はわずかに表情を歪めた。林の間からうめき声のような音が聞こえたからだ。シャトルワース領が滅びた日も、こんな薄気味悪い夜だった。気を紛らわすためにタバコを吸っていると、仲間が食事を用意し始めた。


「今日の飯はなんだい?」

「豆と鶏肉と野菜をふんだんに入れたシチューです。街の商人だってこんなご馳走はめったに食べられませんよ。いつ魔女と出くわしても戦えるように腹を満たしておきましょう」


 マダムは大食いだ。三人前ぐらいならぺろりと平らげてしまう。付き合いの長いシュタークはマダムが長旅で疲れているだろうと思い、彼女の好きな食材をたくさん用意した。不況が続くパラアンコで、しかも野営で用意をするのは相応の苦労があっただろう。しかし、シュタークはそんな苦労をおくびも出さない。

 食材を入れていた木箱を机代わりにして食事が始まった。シュタークの言うとおり、マダムのシチューにはたくさんの具が入っている。これはけっして彼らの食料が豊富なのではなく、マダムがたくさん食べられるようにシュタークたちが自分の分を減らしたのだ。


 ふとマダムの手が止まった。少し遅れてシュタークも食事の手を止める。


「シュターク、なにか来るよ」

「はっ、飯の匂いに釣られたか……」


 ガサガサと草をかきわける音がする。男たちは一斉に武器を構えた。徐々に大きくなる音。うめき声のような風が強くなり、月が雲に隠れ、より一層深い闇を森に落とす。


 やがて現れたのは奇妙な動物だった。イタチのように長い胴体をし、毛は白く、三角の耳に赤い瞳をした獣だ。チロチロと長い舌。ときおり光る鋭い牙。見たことがない生き物にマダムは警戒を強めた。得体の知れない生き物はサルファの獣である可能性が高い。うかつに近づくのは危険である。


「囲んで弓で殺せ。絶対に触れるな、伝染病を持っている可能性がある」


 マダムの判断は早い。街の外で獣と遭遇した場合は、刺激せずに逃げるか襲われる前に殺すか。男たちに命令を下しながらマダムも呪痕に魔力を込める。


「おい、シュターク聞いているか?」


 ふらふらとシュタークが獣に近づいた。マダムの声は届いていない。彼はまるで魅入られたかのように獣を見つめている。

 シュタークは誘われるように両手を伸ばし、優しく獣を抱き上げ、そして一言つぶやいた。


「かわいすぎる……!」


 マダムは耳を疑った。シュタークを右腕として雇って十年近くなるが、これほどまぬけな顔を見たのは初めてだったからだ。困惑するマダムをよそにシュタークは話を続けた。


「マダム、この子を飼いませんか? 娼館にも新しい癒しが、いや、新しい風が必要だと思うのです」

「馬鹿を言うな。そいつはおそらくサルファの獣だよ。どんな害や病気を持っているかわからんだろう」

「害? あるはずないでしょう! 見てください、このつぶらな瞳を!」


 熱弁するシュターク。その強い眼差しは、かつてマダムと共に敵対勢力と戦ったときを彷彿させる。彼の熱意が周囲の仲間に伝染し、次第に「シュタークが言うなら飼ってもいいんじゃないか」と男たちが言い始めた。

 シュタークに抱えられる獣と目が合った。たしかに害はなさそうに見える。だが安易に獣を受け入れるわけにはいかない。見た目に騙されて命を落とした同胞を幾度も見てきた。

 マダムは再度、シュタークを見た。命令すればシュタークは聞くだろう。だが、納得はしない。この無駄に頑固な男をどうすれば説得できるかを考え、次第にすべてが面倒くさくなったマダムはため息を吐いた。


「……好きにしろ」


 男たちの歓声が林に響く。


 ○


 それから三日後、誰も通らなくて草木が生い茂った道を歩き続け、ようやく彼女たちはシャトルワースの街に到着した。メヴィから鍵となる首飾りを受け取っていたおかげで無事に発見できたが、もしも鍵がなければ今も森をさまよっていただろう。

 マダムはある程度の覚悟をしていた。シャトルワースが滅びたのは何年も前だ。無残な廃墟になっていてもおかしくない。だが、彼女の目に映ったのは活気あふれる故郷の姿だった。


「これは……どうなってんだい?」


 魔女の惨劇なんて忘れてしまったかのように、穏やかな暮らしを送るシャトルワースの人々。見覚えのある姿もちらほらと見受けられ、マダムはまるで妖精のいたずらに騙されたような気分になった。


「シャトルワースは滅びていなかった、ということですか……?」

「そんなわけない。シュタークも見ただろう、私たちの目の前で仲間が殺される様を。焼け落ちる館を。そして狂ったように魔術をばら撒く魔女の姿を。まったく、幻覚でも見せられているのかい?」


 住民たちは街の入り口で立ち尽くすマダム一行を不思議そうに見ていた。マダムたちは最悪の場合、魔女と争う可能性を考慮して来たため、いつでも戦えるように完全武装の状態だ。とても平和な街並みには似つかわしくない。見ようによっては街を襲いに来た山賊にも捉えられる。


 だがマダムたちは勘違いをしていた。住民が不思議そうに見ているのはマタムの格好が理由ではない。なぜシャトルワースに外部の者がいるのか。さらにいえば、なぜ“人間”がここにいるのか、と疑問に思っていたのだ。

 お互いに困惑していると、人だかりが割れて奥から執事服を着た少年が現れた。整った顔つきに冷たい瞳をし、年齢に反して落ち着いた雰囲気が感じられる。


「騒がしいですね。せっかくの休日に騒ぎを起こさないでください。それで……あなたたちは誰ですか? 鍵を渡した記憶はありませんが」


 彼は整った顔に若干の苛立ちをにじませながら問いかけた。対するマダムの顔は険しい。


(なんだいこいつ……人間の気配じゃない。かといって言葉を話す獣も見たことがない……魔女の関係者か?)


 生物であれば多かれ少なかれ発するであろう、生命力とも呼ぶべき気炎が感じられなかった。しかも少年は格下の生物を観察するような目をしている。


「そっちこそ誰だい。迎えを頼んだ覚えはないがね」

「おっと、たしかに礼を欠いてはご主人様に迷惑がかかりますね。まあ、あの人なら気にしないでしょうが」


 少年は咳払いをして背筋を正し、右手を胸の前にあてた。


「初めまして、“輪廻の魔女”ルーミラ・ルーに仕えるセルマです。役目は、そうですね……招かれざる客人の掃除といったところでしょうか」


 少年の気配が急速に膨れ上がった。マダムの額に冷や汗が伝う。少年が発して良い気配ではないからだ。何十、いや、何百という死の香りが漂い、立っているだけで体が震え、辺りがにわかに暗くなり、地下世界で培った本能が警鐘を打ち鳴らした。マダムの判断は早かった。まずマダムが魔術を唱え、その間にシュタークが前に出てマダムを守ろうとした。


「マダム、下がってください! ここは私が……!」

「邪魔です」


 セルマが指を右に動かした。ただそれだけの動作で、風による刃がシュタークの首をはねた。かつて二級騎士として活躍し、協会を抜けてからも研鑽を忘れなかった男の、あっけない最期である。

 マダム・リンダに動揺が走る。シュタークが命がけで作った隙にマダムの魔術が放たれたが、セルマは涼しい顔で魔術を弾いてしまった。二級魔術を、指先ひとつだ。あまりにも実力が違う。マダムが体勢を整えるために「撤退だ!」と叫んだ。だが、彼女たちを住民が囲んでいるせいで退路を確保できない。それどころか住民は一斉にマダム・リンダへ襲いかかった。


「う、うわああ! なんだこいつら……!」

「マダム! 急に住民どもが……!」


 マダムたちは見誤っていたのだ。敵は魔女一人であり、これだけの魔術士と騎士を用意すれば戦えると信じていた。だが相手は“輪廻の魔女”だ。セルマだけではなく、街の住民すべてが人形ドール。つまり魔女と契約を交わした精霊である。ルーミラは魔女の中では個人の戦闘力がそれほど高くなく、エレノアやルドウィックに一枚も二枚も劣るが、人形ドールを交えた戦いとなれば、その脅威度は跳ね上がる。


 ずらりと並ぶ住民。そこに一人として人間はいない。ここは魔女に滅ぼされた街・シャトルワース。かつて魔術の実験材料にすべく、あまたの精霊が犠牲となった街。そして精霊に愛された魔術士が、精霊を守るために住民を皆殺しにした街である。


「下がりながら魔術を撃て! 住民にも容赦をするな! こいつらは人間じゃないよ!」

「失礼ですね。人間ですよ、ガワだけは」


 マダムが空間魔術で周囲の死体や瓦礫を飛ばすものの、セルマに効いている様子はない。彼は指先にひときわ大きな魔力をためると、男たちの首の高さで横に引いた。ただそれだけで、二十人以上いた男たちは、首と胴体を分かたれて死んだ。残ったのはマダムだけ。


「お前たちは、いったい何者だい……?」

「我々は人の体に宿った精霊。ご主人様がいうところの人形ドールです」

「なぜ精霊が魔女に従う! お前たちは誰にも縛られない生き物だろう!」

「なぜ? 不思議なことを問いますね。魔女の隣ほど平和な場所はないでしょう」


 住民がマダムを囲むように見下ろす。命の温もりを感じさせない目。いつの間にか街が静まり返っている。すべての住民が侵入者に気づいて黙ったのだ。マダムは息を荒くした。セルマとの会話で時間を稼ぎつつ、脱出の糸口がないかを必死に探した。

 そうだ、鍵だ。メヴィから受け取った首飾りをみせればどうだろう。マダムは首飾りを取り出した。


「わ、私はメヴィの友人だ。この首飾りが証拠だよ、わかるだろう?」


 セルマの目は冷ややかなままだった。


「せっかくなので教えてあげましょう。それはエスリンの首飾りといい、大精霊が死の間際に残したものです。込められた魔術はただ一つ、精霊に放った魔術を術者に返すというもの。あなた、どれだけ我々に攻撃をしましたか?」


 周囲の瓦礫がかたかたと震え始めた。腰を浮かすマダム。だが逃げる前に四方から瓦礫や死体が押し寄せ、マダムの体を飲み込んでしまった。隙間からポタポタと赤い液体が滴り落ちる。


「さて、なぜ首飾りを手放したのか、あの子に問いたださないといけませんね。手紙でも送りますか。はあ、また仕事が増えました」


 愚痴をこぼしながら屋敷へ帰ろうとしたセルマだが、思い出したように住民へ命令をした。


「ソレ、あとで屋敷に運んでください。新鮮な状態なら魂も残っているでしょう……おや?」


 セルマの足元にふわふわとした感触が当たった。小柄で胴の長い獣がセルマの足に体をすり寄せている。サルファの獣だ。シュタークが連れて帰ろうとしていた獣は無警戒にセルマの足を舐めた。


「見たことがない獣ですね。せっかくですし、ご主人様に見せてみましょうか」


 セルマは獣を優しく抱き上げると、今度こそ屋敷に帰っていった。



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