第41話:フィリップ隊長と秘密のおでかけ

 

 みんなが寝静まったのを確認してから、起こさないようにそーっと寝床を抜け出した。廊下に出るとパラアンコ兵が寒そうに丸まりながら眠っており、踏まないように注意しながら砦をのぼる。ふと見上げると頂上の部屋から灯りが漏れていた。やはりフィリップ隊長はまだ眠っていないようだ。

 扉を叩いたら「入りたまえ」と威厳のある声が聞こえた。部屋に入るとフィリップが真剣な表情で地図を睨んでいる。他の兵士たちが泥のように眠るなか、彼は一人で作戦を考えているのだ。無尽蔵の体力。わずかに目を細めて考え込むフィリップの姿はいつもより凛々しく、そして隊長という重みを感じさせる風格があった。


「夜襲をしかけたい?」


 私が目的を伝えると、フィリップが怪訝な表情で問い返した。


「私の部隊が東拠点を強襲する予定ですが、先に私一人で夜襲をしかけようと思います。私は魔術士なので夜目が効きますし、さすがに夜は赤蟻たちも鎧を脱ぎますから」


 私は単騎での夜襲を提案した。理由は二つだ。赤硝の鎧を着ていなければ私の相手じゃないし、一人で戦えば腐敗の反動が出てもみんなにバレない。特に最近はエマが勘付いている様子だから気をつけないといけない。

 それに今回は私への嫌がらせをするためにトルネラが手を回した。つまり私のせいで部隊のみんなを死なせてしまうかもしれないのだ。そんなことは許せない。たとえ後でエマに怒られるとしても、私は一人で戦うつもりである。


「どうやって拠点まで行くのかね?」

「馬に乗ります。師匠に教わりました」

「馬は貴重だ。軍が許すとは思えないが」

「だからこそフィリップ隊長の権限で借りれないかと思いまして。失敗しても馬一頭の損失なら釣り合いが取れるんじゃないですか?」


 フィリップがちょび髭を指で遊ぶ。無茶を言っているのは承知だ。そもそも私たちは軍の依頼で協力しているのだから、勝手に動いたら問題になる。でもフィリップ隊長は軍と繋がりが深いって聞くし、多少の荒技でも通してくれるんじゃないかな。そんな期待が伝わったのか、フィリップは大きく頷いた。


「よかろう。シャルマーン軍に夜襲とは面白い。私も出るぞ」

「フィリップ隊長も、ですか?」

「もちろんだ。そんな楽しそうなことを君が独り占めするなんて見過ごせないからな。共に夜のパラアンコを駆けようじゃないか」

「それならフィリップ隊長だけで行けば……」

「なにか不満かね?」

「ひええ、なんでもないですう」


 彼が立ち上がった。


「実はね、私も少々我慢をしていたのだ。存分に暴れようか」


 獰猛な笑みを浮かべるフィリップ。そのかおは指揮官ではなく一匹の獣。


「ついでに道中の敵兵も襲撃しましょう。私が痕跡をすべて消しますよ」

「ふむ。ならば逃げようとするシャルマーン兵は私が仕留めよう。ガハハ、腕が鳴るな」


 フィリップと共に砦を出た。なぜこうなったのかわからないけれど、彼に連れられて馬に乗った。まだ日は昇っていない。今夜のうちに移動し、次の夜で仕掛ければ三日後までに帰れるはずだ。少しの間いなくなるだけならエマも許してくれるかな。

 さあ頑張ろう。仲間のため。相棒のため。大きな背中を追いかけながら、私は夜の草原を駆けた。


 ◯


 シャルマーン軍の東拠点は山の中に展開している。サミダラ要塞に食料や物資を送る兵站として重要な役割を担う拠点だ。

 そもそもサミダラ要塞は元パラアンコの領土。つまりシャルマーン本土から離れており、十分な補給を送ることは難しい。そのため東拠点を補給の中継地点とすることで兵站の負担を減らしている。


「ラニーチェ中将、このままでは兵の食料が足りません。周辺の村を襲わねば飢えてしまいます」

「大雨の影響か。あまり拠点を手薄にしたくないが、致し方なし……兵を集めろ!」


 非常に局地的な大雨によっていくつかの街が沈み、その影響で各国は食料不足に陥りつつあった。特に大雨は東北の方角――つまりシャルマーン国の近辺で多発し、一部の地域では飢饉が起きている。シャルマーン王都でも物価の値上がりが進み、軍に支給される食料は以前より少ない。

 どこかから奪わねばならないのだ。兵を養うため。ひいては祖国を守るため。

 ラニーチェの命令によって略奪部隊が編成された。集められたのは若い兵士たち。彼らは長い緊張状態で疲れている。ゆえにガス抜きが必要なのだ。


「これでパラアンコはさらに苦しくなるだろう」


 基本的に平民は人権がない。それは両国において共通であり、たとえば戦場の近くの村は略奪の対象となる。そして略奪をするのは敵国の兵士だけではなく、ときには物資を求めた自国の兵士が敵に扮して略奪をすることがある。本国からの輸送を待つのと、近隣の手頃な村を襲うのとでは後者のほうが圧倒的に早く、新鮮な食料が手に入るのだ。そういった背景から、周辺の村を襲えばシャルマーン軍は潤い、逆にパラアンコ軍は食料確保が困難になって疲弊する。


 だがラニーチェの思惑とは裏腹に、事態は別の展開をみせる。

 部隊を出撃させた日の夜、ラニーチェに思いもよらぬ報告が届いた。


「略奪部隊が帰ってこないだと?」


 ラニーチェは耳を疑った。村人に返り討ちにあったという可能性はないだろう。たかが農民にシャルマーン兵が負けるわけがない。まさか情報が漏れていたか。それとも略奪部隊が予想外の事態に陥っているか。なんにせよ状況を把握しなければならない。ラニーチェは斥候を出した。


「どうなっていた?」

「それが――」


 斥候の報告を受けたラニーチェはまたも耳を疑った。いわく襲撃をした村には戦闘が起きた痕跡こそあるものの、生き残りはおろか、死体ひとつ残っていなかったとのこと。まるで何者かに消し去られたかのように。

 ふと斥候の腕が震えていることに気づいた。ラニーチェが「なぜ震えているのだね?」と尋ねると「わかりませんが、怖いのです」と答えた。歴戦の兵士であるがゆえに、斥候は得体の知れない何かを感じていた。事態はゆっくりとラニーチェの理解を超えつつあった。


「もう一度、周辺をくまなく探せ。部隊がまるまる消えるなんてありえるわけがない……いや待て、死体が消えた……?」


 ラニーチェの脳裏に例の義勇兵が思い浮かんだ。腐敗の悪魔。マースリン・エダを討った怨敵……。


「ぬぅっ!?」


 ラニーチェは第六感とも呼ぶべき寒気を感じ、とっさに横っ飛びで地面を転がった。戦場で培われた戦士の勘。準一級騎士だからこその瞬発力。直後、彼がいた場所に見るもおぞましい腐敗の魔術が撃ち込まれ、凄まじい爆風と同時に、吐き気を催すような腐敗臭が鼻をつき、声にならない嗚咽が喉もとにせりあがった。


「ゲホッ、ゴホ……て、敵襲か?」


 やがて爆風が晴れると、下半身を失った斥候が目を見開いて死んでいた。彼だけではない。つい先ほどまで酒を飲み交わし、故郷の恋しさを語り合った戦友たちが屍となっていた。


「ふむ、やはり避けられたではないか。不意打ちなんて卑怯な真似をするからだ。堂々と正面から戦えばよい。真の英雄とはすべて力でねじ伏せるのだよ、メヴィ」


 土煙の中から二刀流の騎士が歩み出る。敵陣の中央だというのに、男は自陣が如く堂々としていた。昇る気炎。入れ墨のような呪痕が両腕に広がり、その隆々とした筋肉の上で脈打っている。

 男に続いてもう一人、小柄な魔術士が現れた。夜に溶けそうな深緑の髪。一見すればただの少女だが、魔力を宿した瞳が不気味な光を放っている。彼女は不満そうな様子で騎士に話しかけた。


「それじゃあ夜襲の意味がないですよ。そんなに戦いたいなら、残りは隊長にお任せしてもいいですか?」

「ガハハ、冗談はやめたまえ。英雄には背中を守る仲間が必要だ。今さら自分だけ隠るなんて許されないのだよ」


 ラニーチェの脳裏にトラウマが蘇った。崩壊する部隊。討ち取られるマースリン・エダ。戦況を変えた腐敗の悪魔と、エダ兄弟が二人がかりでなお後手に回らされた双剣使い。


「囲め! 敵は二人だけだ!」


 ラニーチェが剣を抜いた。彼は優秀な将だった。ゆえに混乱した部下たちをまとめるべく、先陣を切ってフィリップに斬りかかった。準一級騎士の袈裟斬り。決して並みの剣速ではない。


「ふむ、悪くない剣だ。しかし怯えが見えるな」


 まるで岩を斬ったような感触だった。シャルマーン軍のなかでも武勇の名高いラニーチェの剣を、フィリップは片腕で受け止めていた。フィリップは二刀流。すなわちもう片方に握られた剣は自由である。


「覚えておきたまえ、勇敢な将よ。武力とは胆力と決断力。恐怖を覚えた剣では鎧すら貫けぬ」

「馬鹿な……私は準一級なのだぞ――!」


 フィリップの残る一刀が振り下ろされた。溢れる鮮血。ラニーチェが崩れ落ちる。

 指揮官が討たれたことで拠点の兵士たちはさらに混乱した。早々に指揮官が討たれ、闇夜に包まれて仲間の顔もはっきりと見えず、寝込みを襲われたせいで判断力が低下し、彼らの士気はどん底にまで落ちていた。


「うーん、やっぱりフィリップ隊長だけでいいのでは……まあいっか。言い出しっぺだし私も働きましょう」


 少女が「冒涜の刃」と呟くと、ラニーチェの死体がおぞましい音を上げながら剣に変わった。それを握った彼女はまず近くのシャルマーン兵の首をはね、さらに斬りかかってきた赤蟻を鎧ごと貫き、そのまま突撃、敵陣の真ん中でくるくると舞った。彼女の剣技はいたって平凡だ。だが魔術による加速と、触れればたちまち溶ける赤黒い刃が彼女の力を底上げし、こと白兵戦においては手をつけられないことになっていた。


 いよいよ拠点が恐怖に包まれた。二人という人数がかえって目眩ましとなり、夜のとばりが二人の姿を覆い隠す。深い夜だ。シャルマーン兵は襲撃者の居場所すら掴めずに狩られていく。

 平時であればこれほど一方的な戦いにはならない。赤硝の鎧を着て堅牢な隊列を組まれればメヴィは苦しい戦いを強いられる。ラニーチェが生きていれば他の部隊と連携してフィリップに対抗できた。

 しかし既に拠点の防衛体制は崩壊し、指揮するはずのラニーチェもいない。なんとか赤硝の鎧を着たシャルマーン騎士も、暴走するフィリップによって為す術もなく地に伏す。


「撤退だ! 敵うわけがねえ……!」

「がはは! 敵に背を向ける軟弱者め! 戦士の覚悟すら持たぬならば、せめて我が栄光の糧となれィ!」


 数多の首が飛ぶ。


「け、煙を吸うな! 肺を焼かれるぞ!」

「ひええ、ごめんなさい、せめて苦しまないようにしますから!」


 腐敗の瘴気が充満する。


たかぶるなぁメヴィ! やはり戦士は戦場でこそ活きる! 命を賭してこそ呪痕は輝くのだ!」

「わかったから早く赤蟻をどうにかしてください! 赤硝部隊が増えています!」

「ガハハ、手を抜くでないぞメヴィ! 貴様なら鎧ごと溶かしてしまえるだろう!」


 のちに語られる、歴史の転換点の一つ。もしもシャルマーン軍が東拠点を守りきれていれば、きたる冬の食糧難を乗り越え、春にもパラアンコを制圧できただろう。しかし二人の化け物によって阻止された。

 被害は兵站だけではない。東拠点には少なくない数の兵士、それもこれから経験を積んでシャルマーンを支えるはずの、若い兵士が駐屯していた。未来有望な若者の死。この損失は額面以上に大きい。


 激しい戦闘音は夜通し続いた。森が静けさを取り戻したのは、空がにわかに赤みを帯び始めた頃だった。



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