第42話:アルジェブラはおかしな人
最後の敵兵を斬った瞬間、ドッと疲れに襲われた。大きく深呼吸をすると、張り詰めていた体の筋肉がゆっくりとほどかれ、躍動する心臓が落ちつきを取り戻していく。本当は今すぐ座り込みたいけど我慢した。地面が血や臓物でひどい有り様だからね。さすがに気分が悪いし、服を汚すと乗るときに馬がかわいそうだ。
フィリップがこちらに歩み寄ってくるのが見えた。人のことを言えないが、彼の体は返り血でなかなかにひどい状態だ。
「ご苦労だメヴィ。よき戦いだった。君の働きに感謝しよう」
「とんでもないです」
「私の部屋に来たときは、強襲部隊を断りにきたのかと思ったが……私と君は意外と気が合うのかもしれんな」
「とんでもないですう」
それだけは否定しておこう。そりゃあ私だって断りたかったけど、どうせフィリップ隊長は認めなかっただろうし、それに自分一人の問題じゃなかったから。みんなを巻き込むぐらいなら私一人で戦ったほうがいいでしょ。
フィリップと一緒に食料貯蔵庫へ向かった。保存の効く干し肉や豆の他、パラアンコでは生産が少ない小麦粉もあり、軍用食に飽きた私は目を輝かせた。
「大量ですね。どうするんですか?」
「もったいないが燃やすしかないだろう。持って帰るにも二人では無理だ。その間にまた奪われたら夜襲の意味がなくなる」
「それじゃあ目ぼしいものだけ確保しましょう。馬に載せたらお土産ぐらいにはなりますよ」
「よし、君は肉を探せ。もう豆だらけのスープは嫌だろう」
私たちは上機嫌で馬に積み荷を載せていく。多少無理をしてでも小麦粉と干し肉は多めに確保したい。黒麦のかたいパンはこりごりだ。
載せられるだけ載せてから貯蔵庫に火をつけると、まだ深夜であるため火が眩しいくらいに燃えた。貴重な食料が燃えていく光景は罪悪感が湧く。でも仕方がないことだ。世の中には受け入れねばならない不条理が多すぎる。
一仕事を終えた私たちは援軍が来る前に拠点を出発した。正直、乗馬に耐える体力は残っていない。万全の状態ならまだしも、連日の戦闘による疲労がたまっていたから今回の夜襲はこたえた。でも腐敗の反動についてフィリップに知られたくないから、もう少し耐える。
「帰ったら休むといい。強襲部隊も必要なくなったから、君の部下は砦の防衛にあてよう。まあ正式には君の部下ではないのだがな」
「みんなが勝手に私を隊長って呼んでるだけですからね」
「実は君も私の座を奪おうとしているのかい?」
「あはは、まさか」
あなたと争う気はありませんよ。ろくなことにならないだろうし。
でもまあ、これは釘を刺されたってことかな。義勇兵はいくつもの小隊が集まった集団であり、私以外にもパシフィックなど隊長を名乗る者は多いが、全ての小隊を指揮するのはフィリップだ。下手に私の部隊を作ってしまうとフィリップの命令が届きにくくなる。つまり私たちは一種の派閥というか、不穏分子に近い。あまり勝手なことをするなよって言いたいのだ、彼は。
「今さらですけど、なんで手を抜いたんですか?」
「どれについてかね?」
「前の要塞戦で、エダ兄弟と戦ったときです。フィリップ隊長ならあの二人が相手でも勝てたと思うんですけど」
「ああ、彼らは惜しかったのだ」
「惜しい?」
疑問を返すとフィリップは意味ありげに微笑んだ。惜しい、とは「摘むにはまだ惜しい」ということだろうか。あえて逃がすつもりだった? もっと強くなってから討ち取ったほうが、名声が上がるから?
フィリップが答えてくれないから、私は想像にとどめておいた。もし予想があたっていたら、私が邪魔をしちゃったことになる。知ったところで私は得をしないし、やぶ蛇はつつかないでおこう。
ぱっかぱっかと馬を走らせつつ、フィリップのご機嫌を取りながら、私たちは夜の道を走った。砦に帰ったのは日が昇る少し前だった。
「それでは解散としよう。また戦場で戦えるのを待っているぞ」
フィリップは「がはは」と豪快に笑った。私は「嫌だなあ」と思いながら愛想笑いを返した。
そうして一人になった私は、人目につかない場所を探そうとした。でも歩きだそうとした私はとある人物に呼び止められた。
「メヴィ!」
「アルジェブラさん? どうしてここに?」
我らが専属の依頼主・アルジェブラ準一級騎士だ。
「あなたたちが戦場にいると聞いて急いで来たの。遅くなってごめんなさいね。王都に向かったのは聞いていたけど、まさか戦争に巻き込まれているなんて……」
どうやら純粋に心配してくれたようだ。しかもこんな明け方に起きているということは、門の近くで寝ずに待っていた待っていたのかもしれない。たしか軍の中でもそこそこ偉いはずだけど、私なんかに気をつかって大丈夫だろうか。いや、偉いからこそ自由に行動できるのか。
「怪我はしていないかしら? まったく、そりゃあたしかにね、あなたたちを雇ったときは戦場に行くかもしれないって言ったけど、まさかこんな形で、しかも私の知らない場所で参加させるつもりなんてなかったの」
「は、はあ。ご心配をおかけしたみたいで?」
「心配したわよ。私が本気で十三歳の少女を戦争に送ると思っていたの?」
アルジェブラはどこか怒っている様子だ。でも怒りの矛先は私ではなくて、私を戦争に参加させた、どこぞの隊長に向いてるように見える。
義勇兵はフィリップがつくった組織だから、彼が命令をすれば私たちは従うしかない。それが契約だし、相応の対価をもらっている。だからまともな生活を送れている。貧乏人の暮らしはひどいものだ。日に一度の粥で空腹をまぎらわし、水は貴重だから水浴びも満足にできず、劣悪な環境で仕事に従事し、ひとたび伝染病にかかれば、治療薬を買えずに命を落とす。そんな者がカタビランカにあふれているのだから、彼らに比べれば私の生活は格別と言っていい。
「安心してくださいよ。たしかに私はちんちくりんですけど、それなりに強いし、私を守ってくれる優秀な相棒がいますから」
私の言葉にアルジェブラはより一層不安げな表情を浮かべた。
「あなたは、たしかに変わった子よ。一般的な魔術は使えないし、色々と不穏な噂があるし、卑屈だし、責任をおしつけるし、そのくせ生意気なところもある」
「ひええ、私、泣いちゃいます」
「聞きなさい」
がっと肩を掴まれた。同じ目線でアルジェブラと話す。
「それでも、あなたはまだ子どもなの。覚えていてメヴィ。これから先、難しい依頼をしたり、危険な魔女とまた出会うかもしれないけど、必ずあなただけを危険な目にあわせたりしないわ。私も一緒にいく。大人は子どもを守るものなんだから」
アルジェブラは真剣な表情だった。こんなにまっすぐ見つめられた経験があまりないから、少しくすぐったい。アルジェブラの顔がすぐ目の前にある。綺麗な顔だ。汚れなんて知らなさそうな、純粋で優しい瞳をしている。
「私を親のように思ってくれてもいいのよ」
「親?」
「ええ、ちょっと図々しかったかしら?」
親だって。親?
「あらメヴィ、あなた鼻血が……」
忘れていた。反動の時間だ。体感的に、今回はそれほど酷くないかな。でも誰かに見られるのはやっぱりまずいから、アルジェブラの手をやんわりと外した。
「私、行くところがあるので失礼します」
「どこに行くのかしら。あなた一人だと危ないから、私もついていくわ」
「大丈夫です、えと、私にはエマがいますので――」
「エルマニア騎士が寝ているのはそっちじゃないわよ?」
アルジェブラに腕を掴まれた。彼女からすれば鼻血を流す女の子は放っておけないのだと思う。でも私はそれどころじゃないから、「あー」とか「えーっと」とか口をもごもごさせて、うまい言い訳が思い浮かばなかったから強引に手を振りほどいた。
「そういうことなので!」
彼女の返事を聞かずに走り出す。追いかけてくる様子はなかった。ほっと安心して人目のつかない場所を探す。
砦の壁は修復が間に合わなくてところどころに穴があき、そこから朝日が差し込んで、ちょうど近くで寝ていた兵士が眩しそうに寝返りをうった。そんな兵士たちを起こさないように避け、藁を敷いてくるまる西方奴隷の上をまたぎ、ときおり指の間から血を垂らしながら、私はふらふらと走った。
「早く、成長しないと……」
ようやく見つけた階段の裏手でしゃがみ込む。血だらけの手で腰のあたりを探り、治療薬を取り出してふたを開け、落とさないように震える手でしっかりと握りながら飲んだ。
「ゲホッ……美味しくないです……」
こうも毎回倒れそうになっては体がもたない。もっとたくさん経験を積んで、早く一級魔術士にならないと。そういう意味では多くの命がぶつかり合う戦場は悪くない場所だ。もちろん好き好んで参加したくないが、呪痕の成長という観点のみで考えれば効率が良いといえる。アルジェブラには止められたけどね。
ごろんと床に寝転がった。力がうまく入らない。たぶん治療薬が効いている証拠だ。麻痺していた感覚が戻ってきて、体が休めと言っている。
冷たい床の感触が背中に返った。じんじんと指先がかじかみ、頭がぼーっとして、遠い昔のことが思い起こされる。あの日も冷たい床で寝ていた。何もうまくいかなくて、親の期待に応えられず、体のあっちこっちが痛いのを我慢しながらベランダで丸まった。寒い夜だった。常備していた防寒具を着ても体が温まらず、夜風に乗って雪が頬に当たり、いつも見守ってくれる月も雪雲に隠されて見えなかった。隣の親切なお婆ちゃんも旅行に出かけて不在だったから、私は一人で眠ったのだ。寒さも忘れるぐらい深く眠ったのだ。
ふと先ほどの会話を思い出した。大人は子どもを守るもの、だなんて。アルジェブラは変わったことを言うね。彼女のいう大人とは誰をさしているのだろうか。エマ……は大人というよりも、姉っぽいかな。それじゃあ彼女のいう大人はフィリップ? アルジェブラ? それとも、私がメヴィになる前の話?
「守られたことなんて、なかったですけどねえ」
おかしな人だ。でも良い人だ。だから彼女のためにも頑張ろう。私はいつもの癖で膝を抱えながら目を閉じた。
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