第39話:血と泥にまみれて

 

 マースリン・エダを討った日。戦争の流れが変わった。

 私たちは高揚するパラアンコ軍とともに追撃戦に加わった。パラアンコ軍の偉い人が先導し、後ろに義勇兵が続いて討ち漏らしを排除する。シャルマーンに奪われた国土を取り返すため、彼らは奮起した。追撃戦はいわばご褒美のようなものだ。敗走する敵は当然ながらまともな陣形を組めないため、迎撃される心配がなく敵の背中を狙うことができる。しかも大半の敵は逃げ延びるために重装備を捨てているため魔術が通りやすい。誰もが我先にと敵に襲いかかった。

 私たちはのんびりと後方で追いかけた。意外なことにフィリップ隊長も後方で大人しくしていた。理由を聞くと「あからさまに武功を奪うような真似は嫌われるから」だそうだ。つまり軍に尻尾を振っているってわけ。

 そうして私たちは敵に奪われた重要拠点のひとつ、サミダラ要塞の前に着いた。そこでようやくパラアンコ軍の足が止まる。


「これは虎の尾を踏みましたかねえ」


 要塞に見える赤い大軍。シャルマーン軍の大本命。他国にまで名を轟かせる英傑たちが集う、シャルマーン軍最強部隊。対魔導兵団の第一軍が集結していたのだった。

 先の戦いは義勇兵の存在が敵に知られていなかったからこそ有利に戦えた。しかし、今度は敵も万全の準備を整えている。私やエマたちのことも当然、知られているだろう。


「さすがに撤退だろう。私たちだけでは手に負えん」


 エマがどこか安心したように言う。いくら追撃戦といえども損耗がないわけではない。士気が高かったおかげでここまで攻め込むことができたが、一度足を止めてしまえば疲労がどっと襲いかかる。ここが退き時。そう誰もが思った。

 私も同じ考えだった。でも、私たちに下された命令は違った。


「進軍、ですか?」

「軍から通達が来た。サミダラ要塞を陥落すべく進軍を開始する。我々義勇兵は遊撃隊となって敵戦力に打撃を与えよ、とのことだ。がはは、腕がなるな」


 義勇兵を集めて嬉しそうに伝えるフィリップ隊長。彼はまるで「体力を温存した甲斐がある」とでも言いたげな様子だ。もしかするとこの事態を予測していたのかもしれない。目先の餌に釣られず、本命を狙うフィリップらしい考え方。まあ全部私の想像なんだけど。


「喜べ諸君! 苦難とは栄光をつかむ絶好の機会である! 臆せず進め! 後ろを見るな! 今こそ義勇兵としてパラアンコのために戦うのだ!」


 フィリップがいかにもそれらしい建前を並べて義勇兵を鼓舞した。きっと彼はパラアンコのために戦おうなんて微塵も思っていないはずだ。自らの栄誉を最優先し、目的のためならば味方の命をも利用する男。彼についていけば栄光どころかあの世への片道切符をつかむに違いない。

 されど、英雄と呼ばれる者たちには相応の引力がある。カリスマとも呼ぶべき光は凡兵の目を焼く。まるで彼の言葉が正しいかのように錯覚し、口々に祖国の名を叫びだす。


「パラアンコ万歳!」

「パラアンコ、万歳――!」


 マースリン・エダを討った日から、戦争の流れが変わった。血と泥にまみれた地獄になった。


 ◯


 私は体力がない。なにせまだ十三歳の小娘だ。たくさん寝て、たくさん食べたいお年頃なのに、成人男性と同じ水準の働きを求められても無茶な話である。


「立ち止まるな、走れ! 魔導砲弾の的になるぞ!」


 エマに引っ張られながらぬかるんだ地面を蹴った。思わず転びそうになりながらも必死に彼女の手を握る。誰のものかもわからぬ血がぐっしょりと服に染み込み、たび重なる疲労で足が震え、魔術の使いすぎで頭痛が響き、敵の魔術士による爆風が髪をかきあげる。

 これ以上、魔術を使うと倒れてしまいそうだ。でもまだ撤退の合図は出されない。要塞の城門は未だ健在であり、腐敗の魔術で吹き飛ばそうにも、対魔導兵団の上級騎士たちが総出で邪魔をしてくる。


「おかしいです、私たち、勝ったはずなのにどうしてこんな戦いを強いられているんですか」

「勝利の余韻を楽しむのは貴族の特権だ。我々平民には遠いものさ」

「だからってサミダラ要塞を落とすには兵力が足りないですよお」

「ようやく見えた好機に軍が焦ったのだろう。いや、もしかするとフィリップ隊長に何か吹き込まれたのかもしれんな。どちらにせよ――」


 城壁に光が見えた。魔導砲弾だ。飛び込むようにして地面を転がりながら打ち捨てられた死体に身を隠す。直後、爆風。エマの盾がなければ死体ごと吹き飛ばされていたかもしれない。


「我々がカタビランカに帰るのはまだ先になるってことだ。優秀な義勇兵が他国に移住する理由がよくわかるな」

「この戦いが終わったらルル婆の屋敷に帰りましょう。みんなで平和に暮らすんです」

「ハハ、それも悪くない」


 盾に隠れながら城壁を確認する。ざっと見える範囲で魔術士が六人。彼らを落とさねば撤退までもたないだろう。

 重い体に鞭を打ちながら声を張り上げた。耳飾りに手を当て、部隊のみんなに命令を下す。私は隊長だ。たとえ望んでなくとも、みんなの命を背負っているのだ。だから叫ぶ。


「城壁の魔術士を排除します! 狙いは足元! 城壁ごと吹き飛ばしますよ!」


 隊長らしく、毅然とした口調で命令を出した。すると戦場のあちこちから味方の魔術が飛んだ。よくもまあ、雨のように魔導砲弾が降る戦場でこれだけ生き残っているものだ。私の部下たちは優秀、いや、しぶといらしい。

 だがしぶといのは敵も同じ。魔術士のそばに控えていた赤蟻――もとい、対魔導兵団の騎士が魔術を防いだ。


「騎士と魔術士の組み合わせは義勇兵の十八番なのに……真似をするのが早いです」

「並みの魔術では鎧に防がれるか。メヴィの回復を待つしかないな」

「その前に私たちが全滅してしまいますよ」


 やはり無茶を覚悟のうえで私が魔術を使うしかないか。すでにサミダラ要塞の攻防戦が始まってから何度か腐敗の反動を受けており、常備している治療薬が残りわずかになっている。だから可能なら温存したいし、そろそろ反動についてエマに気づかれそうだから嫌なんだけど、出し惜しみをして全滅しては元も子もない。意をけっして一歩踏み出す。誰かの死体を踏んづけてしまい、腐った肉の柔かい感触が足の裏に伝わった。


「気が進まないけど、やるしかない……」

「策があるのか?」

「策と呼べるものじゃないですよ。ありったけの魔術をぶち込もうっていう力技です」


 エマに守ってもらいながら呪痕に力を込める。刺すような痛みが頭に広がり、視界がぐわんぐわんと揺れた。体が本能的に拒否しているのだ。それでも我慢して魔力糸を広げ、魔導元素を編む。


「むっ、待てメヴィ!」


 だが、魔術を放つ前にエマが「合図だ!」と私を静止した。後方の指揮官が大声で叫んでいる。撤退だ。今日はこれ以上攻められないと上が判断したのだ。結果的に私が魔術を使う機会はなかった。


「全員撤退! 騎士が殿しんがりをしなさい!」


 耳飾りでみんなに命令しながら私たちも撤退する。せっかく生き残ったのにここで死んだらもったいない。みんなが先に撤退できるように、あえて呪痕に力を込めたまま敵の注意をひく。きっと私のことを知っているなら優先して排除しようとするはずだ。


「せっかくだから、一発だけ置き土産をしましょう」


 倒れないギリギリの力を込めて腐敗の棘を放った。棘はたまたま騎士がいない場所に命中し、敵の赤蟻どもをまとめて吹き飛ばした。城壁の一部分がドロドロに溶け、周囲で敵兵がなにか叫んでいる。


「よし、私たちも逃げるぞ!」


 エマに抱えられて戦場を後にした。とても走れるほどの体力が残っていなかったからありがたい。やはり最後に頼れるのは相棒だ。戦場から立ち去るとき、城壁上のシャルマーン兵たちから怨念のような視線を感じた。私はにこやかに手を振った。



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