第38話:疾走するエダ兄弟

 

 楽な戦いのはずだった。シャルマーン軍の指揮官・ラニーチェ大将の表情から余裕が消え、今すぐにでも役目を誰かに押し付けたい気分になった。悪い報せばかりが耳に届く。彼は最初、伝令が間違えたのかと思った。しかしどうにも矢継ぎ早に舞い込む報告はどれも整合性があり、おまけに信頼のおける副官や部下たちも同じ報せをするものだから、いよいよ敵が隠し玉を用意していたという線が濃厚になってしまった。

 義勇兵の脅威はシャルマーンに知れ渡っており、特に彼らを率いるフィリップ隊長とその親衛隊はパラアンコ正規軍よりも危険だとされている。そして新たにウサック要塞にて魔女の弟子と噂される義勇兵が台頭した。世にも恐ろしい殺し方で西方蛮族を屠ったとされる悪魔だ。その悪魔が此度の戦場に参加している。


「ウサックの悪魔……まさかこれほどとは……」


 けっして驕っていたわけではない。事前にパラアンコへ送り込んだ間者から情報を集め、確実に勝てるだけの兵力を集めた。その際に腐敗の魔術を操る義勇兵の話は耳にしたが、噂が誇張されたものだと高をくくっていた。

 だが蓋を開けてみれば、砦から出陣した二人の義勇兵とその部隊によって、シャルマーン軍の将が次々と討ち取られている。兵たちは「急に敵の動きが変わった」と言う。件の悪魔たちが、死にかけのパラアンコ兵を恐るべき強兵に変えたのだ。洗脳とすら呼べる恐ろしきカリスマ。見た目こそ女子供、しかも片方はラニーチェ大将の娘と変わらないぐらいの年齢だが、中身はとんだ化け物である。シャルマーンが誇る対魔導兵団がこうも容易く屠られるなど、いったい誰が信じようか。


「ここで摘まねば危険か。嫌な役回りだ、まったく」


 ラニーチェは明確に彼女たちを「排除すべき驚異」と認めた。祖国のためにも、危険な芽は摘まねばなるまい。


「エダ兄弟を呼び戻せ! 義勇兵部隊を叩く!」

「し、しかし彼らを戻せば左翼が崩れます! フィリップが自由になりますよ!?」

「わかっておるわ! だが流れが変わった。引き戻さねば、勝機も危うい!」


 エダ兄弟は対魔導兵団の英傑。彼らのおかげで最も危険なフィリップの動きを封じ、シャルマーンに有利な土俵を作ることができていた。フィリップの蛮勇とも呼べる戦功はラニーチェの耳にも届いており、奴を野放しにする危険性は彼も理解している。だがそれ以上に、腐敗の魔術士が恐ろしかった。

 敵の勢いを止める。ここで摘まねば戦いの流れが変わってしまう。


 ○


 エダ兄弟は対魔導兵団のなかでも特に秀でた武力を有している。並みの兵士を凌駕する肉体をもつ兄、マースリン・エダ。技巧派と名高い耽美な槍を操る弟、クルード・エダ。数多くの武功を賞して“エダ”の名を国王から賜った騎士兄弟。


「ちい、もう少しで今度こそフィリップの首を取ってやったのに……水を差しおってラニーチェめ」

「ラニーチェ大将、ですよ兄者」


 戦場を駆ける兄弟。何気なく言葉を交わす二人だが、その速度は並みの兵士の全力疾走よりも速く、周りのシャルマーン兵は二人を追いかけるので精一杯だった。恵まれた肢体をもつマースリンは当然のこと、戦士としては細身なクルードも常人離れした脚力だ。それだけ二人の呪痕が成長している証。事実、彼らはフィリップと同じ一級騎士である。


「――おっと」


 クルードが踊るような槍捌きでパラアンコ兵を貫いた。さらに隣ではマースリンの怪力によって兵士が鎧ごと叩き斬られた。勢いを落とさずに駆ける二人。彼らが進むたびにパラアンコ軍の屍が積み重なっていく。


「剣の振り方も知らん雑兵で我らを止められると思ったか!」

「パラアンコの情勢は火の車ですからね。軍備の増強に使うはずの資金が貴族の道楽に回されているそうですよ」

「上が腐れば国も傾く。世の摂理だ」


 突出したエダ兄弟、勢いのままにパラアンコの陣を貫く。彼らは敵軍の中に一風変わった部隊を見つけた。非統一の武具をまとった騎士と魔術士の混合部隊。あれが件の義勇兵だろう。


「見つけたぞォ小娘ェ!」


 猪が如き突進。鉄塊ともいうべき剣を斜めに振り下ろす。風を斬る轟音。砂ぼこりが舞い上がり、両者の視界を遮る。


「ぬう、止めたか!」


 女騎士エルマニアが盾で受け止めた。圧倒的な体格差がありながらも、無駄のない動きと呪痕、そして魔導回路を刻んだ盾がマースリンを止めた。かの勢いがいかに凄まじかったかは、エルマニアの後退した足跡が物語っている。


「マースリン・エダか。噂に負けぬ怪力だな」

「名乗れィ騎士。覚えてやる」

「義勇兵エルマニア……こいつの相棒だ」


 エルマニアの背後から小柄な影が飛び出した。その少女がもつ不気味な剣を見た瞬間、マースリンの警戒度が跳ね上がった。あれに触れてはいけない。理屈ではなく、戦士の本能。禁忌を体現したかのように禍々しく、煮えたぎったマグマのように蠢く魔術の剣は、見ているだけで背筋が凍りつきそうだ。その剣を何食わぬ顔で握る、異様に暗い瞳をした少女もまた、魔術士というよりも魔女に近い雰囲気。少なくとも正気ではない。


「兄者、下がられよ!」


 クルードの槍が差し込まれた。穂先をしならせてメヴィの剣に叩きつける。受けるのではなく、軌道をそらすための一打。しかし剣に触れた瞬間、まるで熱した鉄に触れた氷のように穂先の刃が溶けた。高い魔術耐性を持つはずの赤硝を一切の抵抗もなく。


「魔術の類いだ、触れるなクルード!」

「相変わらず不気味な国だ……!」


 二人は一時的に後ろへ下がる。接近戦は危険だと判断した。クルードが近くの死体が握っている槍に手を伸ばす。


「“腐敗の棘”」


 槍を掴んだ瞬間、見計らったかのようにクルードの足元から赤黒い棘が突き出した。切り結んだ、あの一瞬で罠を仕掛けたのだ。だがクルードも一級騎士。反射神経は群を抜く。


「なめるなよ小娘ェ!」


 屈んだ状態から強引に体をひねり、地面に手をついて軸にし、自らの体を振り回すように持ち上げ、寸でのところで棘を避けた。曲芸師も顔負けの軽業だ。

 だがクルードは足に違和感を覚えた。思うように動かせず、激痛が走る。見れば足甲が溶けていた。ただかすっただけ。それだけで傷口が紫に変色し、肉が腐り始めていた。


「兄者……くっ、すみません……!」

「ぬぅ、こやつら!」


 弟が負傷した隙に二人がマースリンへ襲いかかる。二対一。これが並みの準二級騎士と魔術士であればマースリンの敵ではなかった。しかし彼女たちは肩書きこそ準二級であれど、トルネラの妨害がなければもっと上。実力だけならば二級に匹敵する。そんな二人の猛攻、しかもかたや魔女の弟子となれば流石のマースリンも苦しい。


「魔術に頼る軟弱者どもがァ!」


 マースリン、渾身の一打。速度、威力、共に人外の域。されど――。


「その動きはすでに見たぞ」


 エルマニアが受け止める。既知の技であれば格上であろうと問題ない。なにせ彼女は魔女の一撃すら受け止めたのだから。

 ぬるり、と影が動いた。赤黒い剣を携えた殺意の影がマースリンに迫る。


「対魔導合金に頼りすぎですよお」


 一閃。メヴィの剣がマースリンの首をはねた。染み付いた癖というものは恐ろしい。対魔導兵団の鎧が魔術に特化していたがゆえに、マースリンは魔術に対して無意識に反応が遅れてしまったのだ。

 一瞬、戦場の空気が固まる。マースリン・エダが討たれたという衝撃。それは両陣営にとって破格だった。敗色濃厚だったパラアンコ兵の士気を爆発させるほどに。


「エダが……マースリン・エダが討たれたぞ!」

「進めェ! ここが攻め時だ!」


 シャルマーン軍の足並みが崩れた。こうなったら立て直しは不可能。パラアンコ軍が一斉に進軍する。


「あ、兄者ァ……!」

「クルード様、お下がりください! 我々が殿をします!」

「しかし、奴は兄者を……!」

「あなたまで失ってはいけません! 今はどうか辛抱を……!」


 クルードは部下に引きずられるようにして後退した。その瞳に悔しさを滲ませ、強い殺意を少女に向けながら。冷静で柔和といわれるクルードが珍しく感情を表に出した瞬間である。

 対魔導兵団の片翼が墜ちた。いまだ両者の戦いはシャルマーンが優勢であるが、この戦いがひとつの分岐点であると感覚の鋭い者たちは悟った。



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