第36話:赤硝軍の進行

 

 赤硝国家シャルマーン。抗魔石とよばれる赤い輝石の産出国であり、抗魔石から作られる鎧は魔術に対して高い防御性能を誇る。軍事力が高く、広大な土地と多くの民が住まう強国。そうして生まれた“魔術士喰らい”の対魔導兵団によってパラアンコは窮地に追い込まれている。


「あれが対魔導兵団ですか。まっかっかですねえ」

「赤硝の鎧だ。並みの魔術は通じない。魔術士が主体のパラアンコにとっては天敵だな」

「私も欲しいんですけど貰えませんか?」

「敵から奪えばいいだろう」

「私がやると溶かしちゃいます」


 私たちが立っているのはパラアンコの北方、防衛拠点として建てられた砦の防壁上だ。ざっと見渡しただけでも万を超える敵影が見える。地平線に並ぶ赤い兵士たち。パラアンコを襲う悪魔の軍勢だ。

 開戦は明日。それまで英気を養うように、と偉そうな軍人が言っていた。シャルマーン軍は総勢二万五千、対して私たちは義勇兵を含めて一万五千らしい。籠城戦であるためある程度の人数差はカバーできるが、不利な戦いであることは間違いない。数の利は戦争においてもっとも単純で効果的な戦術だ。しかも敵国はまだ援軍を送る余裕があるのだから嫌になる。


「私たち以外の義勇兵って誰が来ているんですか?」

「いつもの面子は全員来ているぞ。ウサック要塞の仲間たちも、お前が王都に行くと伝えたら喜んでついてきた。あとはフィリップ隊長の親衛隊やトルネラもいる。パシフィックは花街の復旧に忙しいから来なかった」

「うげっ、トルネラがいるんですか。どうせフィリップ隊長のお尻を追いかけているんでしょ」

「そのとおりだ。ああも表情をコロコロ変えられるのはすごいぞ。奴は劇団員の素質がある」

「難癖を付けられないようになるべく近づかないでおきましょう」


 また昇格の邪魔をされたら困るので。最近は目立った妨害を受けていないものの、取るに足らない小さな嫌がらせはたまに受ける。たとえば私たちが受けるはずの依頼がなくなっていたりとか。たとえば身に覚えのない悪評が広まっていたりとか。もしかすると私が怖がられているのも彼女が原因かもしれない。

 徐々に戦場の空気が熱を帯び始め、風に乗って火薬の匂いがする。戦いの前ぶれだ。赤の軍勢が今か今かと待ち構えているのだ。隣を見やると相棒は落ち着いた表情で地平線を眺めている。


「あまり緊張していないようですね」

「エレノアとの戦いを経験した後ではどうにも、な。パラアンコ軍が勝てるかは知らんが、少なくとも私たちが死ぬ予感はしない」

「油断しているとポックリ逝っちゃいますよ。先に準一級まで特進したら嫌ですからね」

「メヴィの先を越せるならそれも面白いかもしれんな」

「縁起でもない」


 まあ相棒の言い分もわかる。あの肌がひりつくような空気と比べると気が抜けるのも無理のない話だ。だが戦場に絶対はない。前途有望の戦士が新兵の矢で死ぬこともある。あらゆる可能性を考慮して、我が身を鍛え、最前を尽くし、それでも小さな不運で命を落としてしまう。ゆえに油断してはいけない。焦らず、そして全力で敵を潰すのだ。


「今日は早めに休みましょうか。明日から忙しくなるでしょう」


 エマを連れて砦に戻った。

 翌日、進行が始まった。


 ◯


 シャルマーンの攻めは過激だった。彼らの主力である対魔導兵団を全面に押し出し、遠距離魔術を防ぎながら砦に突撃をしてくる。数にものをいわせる人海戦術。堅牢な鎧に包まれた赤硝軍を止めるのは至難のわざであり、すでに砦を守る前線部隊が大きな被害を出していた。

 もちろん敵にも魔術士がいるため、対魔導兵団に気を取られていると魔術の攻撃を許してしまう。私とエマが防壁上に着いたとき、すでに戦場は阿鼻驚嘆の様子だった。


「これはひどい。一方的じゃないですか」

「呑気に見ている場合じゃないな。敵の矢は私がさばく。攻撃は任せたぞ」


 はーい、と返事をしながら魔術を練った。まずは小手調べだ。腐敗の棘を計十発、戦場に向けて横並びに構える。城壁上に並ぶ真っ黒な槍。空気に触れた部分から酸化したような煙がのぼった。これだけ派手に構えれば敵の妨害がありそうだが、よほど赤い鎧に自信があるのか、赤硝軍は私たちに見向きもしない。


「対魔導部隊、前へ!」

「シャルマーンの威光を示せ!」


 敵の指揮官らしき兵士が自信満々に盾を構えている。なるほど、やってみろってわけ。私は遠慮なく腐敗の棘を放ってやった。標的はとっても目立つ指揮官の人。十発の棘は勢いよく宙を走り、標的の体を盾ごと貫いた。


「あらあら、意外と柔らかい。うーん、期待外れですね……エマ、やっぱり鎧はいらないです。ウサックの城壁と大差ありません」

「まあ、そうなるだろうな。予想はしていた」


 なにやら慌てふためく敵さんたちの中心にもう一発、今度はド派手な“腐蝕の槍”を放った。複数の敵兵を貫いた槍が地面に突き立ち、直後、膨れ上がった魔力が爆発して周囲に毒を撒き散らす。煙を吸うだけでも肺を腐らせるイチオシの魔術。


「や、やつを、あの魔術士を殺せ――!」


 次々と矢が飛んでくる。でも優秀な相棒が片っ端から斬り落としてくれた。矢が届かないとわかれば、今度は敵の魔術が飛んでくる。それらも新しく買い直した盾で防ぎ、ときには逸らしながら私を守ってくれた。


「さすが相棒、頼もしいです」

「私に構わずどんどん撃て。赤蟻どもにわからせてやるぞ」

「はーい!」


 ふふ、なんだか気分が上がってきた。メヴィちゃん頑張ります。呪痕に思いっきり力を込めて、腐敗の棘をずらりと並べる。数は……二十? わかんないや。とにかく出せるだけ出して、味方を巻き込まないように方向だけ注意してから、一斉に放った。

 面白いぐらいに人が飛ぶ。肉が溶け、腐り、煙を吸った兵士がバタバタともがきながら倒れる。最近は化け物と戦っていたから忘れがちだったけど、私ってそれなりに強いのだ。


「ばっ、化け物だ! 誰かあの化け物をどうにか――」


 どんどんいきますよ。目立てば実績になるし、みんなの戦いも楽になる。呪痕も成長するし良いことづくめ。さあ魔女の弟子らしく存分に暴れましょう。流した血の数こそ誉れである。

 舞い散る肉。血とは思えない黒い液体。何かが腐る音、煙。魔術を放つたびに聞こえる呪詛のような悲鳴。でも気にしない。戦場という免罪符が守ってくれる。たくさん殺せば私は英雄だ。


「対魔導兵団も名前だけですねえ。熊さんみたいに弾いてみせないと腐っちゃいますよ」


 ふと見渡すと周りの仲間が青ざめた様子で口や鼻を塞いでいた。目が合うとまるで化け物を見たかのように視線を逸らされる。ひどいと思いませんか、私は頑張っているのに。


「気にせず撃て。お前は正しい」

「ふふん、そうですよね。任せてください!」


 エマが言うなら間違いないだろう! 私は思う存分、魔術を使い続けた。でも反動でまた血を吐きたくないから全力は出さない。適度に撃って、適度に休む。

 魔術を放ちながら戦場を観察していると、奇妙な集団を見つけた。明らかに貧相な防具を身につけ、体は痩せ細り、腰が引けた様子で戦っている。錆びた防具。刃こぼれした剣。中には素手で戦う者もいた。


「ねえエマ、あの兵士に見えない味方はなんですか?」

「あれは戦争奴隷だ。おそらく以前捕らえた西方蛮族だろう」


 エマの声音にはどこか不愉快そうな雰囲気があった。彼女は奴隷制度に反対なのかもしれない。私もあまり奴隷に馴染みがないから不思議というか、納得しがたい光景だ。


「それはなんとも……西方蛮族が見たら激怒しそうですねえ」

「一応、武勲を上げれば解放されるらしいが……まあ厳しいだろう。奴隷になった時点で選択肢もない。悲運な者たちだよ」

「彼らも援護してあげましょう」


 西方蛮族といえども今は味方。それに彼らも元を辿れば同じ国民だ。直接的に助けることはできないけど、せめて生き残る確率が上がるように近くの敵部隊を魔術で殺した。

 また別の場所では義勇兵の部隊が戦っている。フィリップ隊長と愉快な仲間たちだ。トルネラの姿もある。フィリップの部隊は騎士が主体であるため、私みたいに遠距離ではなく、砦を出て地上で戦っているようだ。ばっさばっさと敵を斬り倒すフィリップ。一級騎士の名は伊達じゃない。


「あら」


 トルネラが私を睨むように見上げている。この距離でよく気がついたものだ。きっと私たちの活躍が気に食わないのだろう。あとで嫌がらせを受けなければいいけど。


「エマ、ちょっと目立ちすぎたかもしれません」

「ん? ああ、女狐か。鬱陶しかったら魔術を撃ち込んでやれ」

「さすがに味方には撃ちませんよお」


 視線を感じて邪魔だけどね。今は我慢だ。

 守りはエマに任せて私は魔術に専念した。私が頑張れば仲間が生き残る確率があがる。みんなの役に立てる。そう思うと力がわいた。

 戦いはまだ始まったばかり。これからもっとたくさんの犠牲者が出る。その中に部隊の仲間たちが含まれていないことを祈りながら、私は腐敗の棘を空中に並べた。



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