第29話:黒点

 

 大穴のふちに立って飛び込む準備をしていると、アルジェブラに慌てた様子で腕を掴まれた。まだ完治していないので痛いです。


「待ちなさい! なぜ飛び込もうとしているの!?」

「魔女が水中に潜っているのかを確かめるためです」

「飛び込むのは自殺行為だって話をしたじゃない! もし入るなら私が行くわ!」

「アルジェブラさんは依頼主ですから待っていてください。それに騎士よりも魔術士のほうが不足の事態に対処しやすいです。というか、鎧で沈みますよ」

「それならあなたじゃなくても……!」


 アルジェブラの手をやんわりと外す。彼女の手は温かい。私を見つめる目も魔女の弟子だからと嫌うようなものは感じられない。だからこそ――。


「私は大丈夫ですよ。なんたって魔女の弟子ですから!」


 専属義勇兵として体を張ろう。ついでに胸も張っておく。我こそはルーミラ・ルーに認められた一番弟子ぞ! ちなみにポルナード君が「小さい……」と呟いたのを聞き逃さなかった。彼とは後で話をしよう。

 準備をしながらみんなに指示を出しておく。指示といっても簡単だ。大穴の上で待機してもらうだけなのだから。


「エレノアの姿を確認したら帰ります。ポルナード君に合図を送るのですぐにロープを引き上げてください」

「私はどうしたらいい?」

「エマは……うーん、踊っててください」


 冗談ですって。剣を抜かないで。

 笑って誤魔化しながら大穴のふちに立った。吹き上がる風。鼻腔をなでる腐った匂い。ひれの長い綺麗な魚が死体をついばみ、その周囲におこぼれを狙う地下生物が集まっている。衛生的とはいえない見た目だ。雑菌の繁殖が不安だが、まだ半日だから大丈夫だと信じよう。


「それじゃあ、行ってきます」


 地面を蹴った。一瞬の浮遊感を味わった後、死体が浮かぶ湖に飛び込んだ。

 地下で冷やされた水は芯から凍るような冷たさだ。急激に心拍数が上がって頭がくらくらする。そういえば私は寒いのが苦手だった。あまり覚えていないけど、昔もよく冷たい水に入れられた気がする。自分からじゃなくて、私が悪いことをしたから、怒られて狭い水の中へ――。


「――また来たのか。懲りない娘だ」


 水に反響した声が四方八方から聞こえた。音の出所は貧民街の中央。瓦礫と死体が漂う広場の中。水中は音が伝わりやすいのだろう。壊れたオルゴールの音が街のどこかから聞こえた。


「――しかも水の中まで追いかけるとはな。砂漠の飢えた蛇だってもう少し諦めがいいぞ」


 エレノアがいた。圧倒的な覇気が水を伝って肌を震わせる。濃密な魔導元素によって瞳が光を帯び、居場所を誇示するかのように呪痕が明滅する。強者とはかくあるべし。そう思わざるを得ないほど彼女の存在感は大きい。

 私たちはちょうど、上下が逆転した状態で睨み合った。沈んだ街灯に照らされながら祈るエレノアと、頭を下にして沈む私。不思議な気分だ。街を滅ぼす恐ろしい相手だというのに、親近感のようなものがわく。

 エレノアはどうやって喋っているのだろうか。魔力糸を伸ばして……こうかな?


「泳ぎたい気分だったんですよ。ちょうど大きな水浴び場があったので」

「――理解し難い蛮勇だ」

「これも義勇兵の役目です」


 役目、と魔女は繰り返した。やけに重く、幾重にも反響して耳に届いた。


「――奇遇だな。私も、これが主に与えられた役目なのだ」


 急速に膨れ上がる魔導元素の気配。私とは比べ物にならないほどの規模だ。

 まっずいなあ。魔力を溜めるためにもうちょっと時間を稼ぎたかったけど、魔女さんがあまりにも短気すぎる。


「――構えろ小娘。慈雨の巫女が、乾いた大地に恵みを与えん」


 大地、沈んでますけどね。そんな突っ込みをする間もなく、水の壁が上下から私を挟もうとしてきた。泳いで避けるのは当然不可能だ。見よう見まねでエレノアの魔術を模倣し、足元に魔力を放出して脱出する。直後、瓦礫やら死体やらが物凄い音を鳴らしながら潰された。

 よく見れば尋常じゃない数の魔力糸が水中に広がっている。そりゃあ魔術の発動が早いわけだ。魔力糸とはすなわち魔術士の手。魔力糸が大きければそれだけ早く広範囲に魔術を行使できる。エレノアの魔力糸はさながら蜘蛛の巣といったところか。エレノアの呪痕が光るたびに、魔導元素が魔力糸を伝って変換され、大きな水圧となって迫る。もしも囲まれれば全方位からの水圧によって虫けらのように潰されるだろう。


「ひええ、手厚い歓迎です……!」


 水圧で自分を飛ばしながら避ける、避ける。まだ本調子じゃないから魔術の発動が遅いし、無理に体を動かしているから治したばかりの傷が痛む。特に両腕と腰の激痛は笑っていられないほどだ。こんなに怪我をするなんていつぶりだろうか。慣れていても痛いものは痛い。

 それでも私は逃げなかった。少しでもエレノアに近づく必要があった。そもそも勝機がなければ飛び込んでいないし、逃げるだけでは活路を開けない。

 前に進むしかないのだ。逃げた先で状況が好転することなんてあり得ないのだ。


「――魔術士のくせに素早いな。騎士も顔負けだろう」

「一人で、戦えるように、鍛えられましたから!」


 瓦礫に鎖をくくりつけて無理やり体を引っ張った。でも腐敗の力で瓦礫が崩壊しちゃうから軌道を変えるのが精一杯。間一髪、私の体が水圧をくぐり抜ける。避けられたのはまぐれに近い。

 今の動きで肺の空気がほとんど失われた。魔力の使いすぎで視界がチカチカと光り始める。エレノアとの距離はまだ離れているけれど、限界タイムリミットは刻一刻と近づいていた。


「――主は潤いを欲する。若き魂の、果実が如き潤いを。犠牲なき恵みは存在しないのだ、名も知らぬ小娘」


 エレノアは私以上に魔術を使っているはずなのに息切れをする様子がない。純粋な魔力量の差だろう。そもそも私の体力が回復しきっていないのも原因だけどね。こんなにたくさんの魔術を使ったのは師匠の特訓以来だ。あのときはよく練習のたびに血反吐を吐いた。なのに師匠ったら眉ひとつ動かさないんだから。遠い屋敷の日々が思い浮かんだ。


「師匠によく言われたんですよ。無理に魔術を使いすぎるなって。要領が悪いので怒られてばかりでした」

「――なんの話だ?」

「ルル婆は厳しい人でした。でも、一つだけ褒められたことがあるんです」


 また水圧が迫ってくる。魔力はどれぐらい溜まった? エレノアを吹き飛ばせるくらい? 

 まあいいや。多分、これ以上は耐えられないから解放しよう。イヤリングに触れて仲間に合図を送ってから、私は呪痕に力を込めた。


「私、魔力の濃さは人一倍なのです」


 私の魔術は腐敗だ。もっと正確にいうならばだ。そして腐敗の魔力を極限まで濃縮すると、発現した瞬間に周囲のあらゆるものを飲み込む「黒点」が生まれる。では仮に黒点を水中で放つとどうなるだろうか? 


「――ただ魔力が多いだけで魔女に勝てるとでも思ったか。それは驕りだぞ小娘!」

「勝つつもりなんてありませんよ。これはただのお返しです」


 ぽんっ、と拳ほどの大きさの黒い塊が放たれた。直後、黒点は私すら制御できないほどの力で周囲の水や瓦礫を飲み込み始めた。触れたそばから水が消え、その空白を生めるように水が押し寄せているのだ。


「――なっ、この力は……!」


 エレノアが何か叫んでいるけど無視だ。腰に巻きつけたロープが引っ張られ、私の体はぐんぐんと水面に近づいていく。


 エレノアは瓦礫や死体を集めて黒点を止めようとした。でもあれは私のとっておきだ。周りへの被害が大きすぎて普段は使えない特別な魔術。状況次第では術者すら危うい諸刃の剣だけど、一度発動すれば私だってどう止めたらいいかわからない。たとえエレノアが魔女であっても容易に対処できないはず。


 無論、黒点も魔術であるため、込められた魔力が尽きれば消滅する。でも黒点が生んだエネルギーは消えない。もしも黒点が消滅すれば、行き場を失ったエネルギーが解放されて辺り一面を吹き飛ばすだろう。初めて使うからわからないけどね。

 いわば現代兵器に勝るとも劣らぬ爆弾なのだ。ぐるぐると回る黒点と、恨みがましく睨むエレノアに微笑みながら、私は勢いよく水面から飛び出した。



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