第30話:弓騎士の苦悩

 

 私は生まれたときから国に仕えていた。高名な騎士だった父はいつも「国に忠を尽くしなさい」と言った。軍に入り、戦場を駆け、ときには縁談を蹴ってでも弓を引き、国を脅かす魔女が現れれば部下を率いて戦った。いつの間にか“弓騎士”などと大層な名で呼ばれるようにもなった。

 私の居場所はいつも前線の一歩後ろだ。指揮官として、もしくは弓騎士として、誰かの後ろで戦わなければならない。当然、良い顔をされない時もある。安全な場所から弓を引く臆病者だといわれることもある。私だって剣の才能があれば、もしくは槍の才能があれば、部下と並んで前線に立っただろう。だが私の才は弓だった。弓だけが、私の唯一誇れる武器だった。

 やがてパラアンコ軍は敗戦が続いた。敵国の騎士隊があまりに質の高い連携をみせたのと、我が国の魔術士がとある魔女の事件によって激減した影響が大きい。

 今や兵の士気は低い。敗色が濃い戦場に送られるのだから、彼らが悲観する気持ちもわかる。やり場のない鬱憤が上官に向くのも仕方がない。そうわかっているのだが、戦場に送りだす部下たちがいつも暗く、恨みのこもった表情で私を睨んでくるのが悲しかった。


「ふふ」

「どうしたんですか?」

「いいえ、おかしな娘だと思っただけよ。自ら死地に赴く物好きが、まだこの国にもいたのね」


 ポルナード君、といっただろうか。彼は複雑そうな表情を浮かべた。そういえば彼もウサック要塞の戦いにいたはずだ。というか彼に限らず、駆けつけてくれた義勇兵は見覚えのある者が多い。


「あなたは何故メヴィに従っているの?」

「従っているというか、従わされているというか……」


 予想外の物言いに目を丸くしていると、ポルナード君が慌てたように付け加えた。


「い、嫌ではないですよ? あ、でも急な呼び出しはちょっと嫌かも。使いっ走りにされるし、危険な依頼に連れていかれるし」

「……職場環境の改善を提案するわ」

「あはは、この国じゃどこも同じですよ」


 それはそうだろう。ポルナード君やメヴィのような若者が武器を握らなければいけない国だから。いつか平和な時代が訪れると信じているが、私が生きているうちに乱世はおさまるだろうか。


「嫌々じゃないのは本当です。メヴィさんに命令されたわけじゃなく、僕たちは自分の意思で従っています」

「それは、どうして?」

「多分、アルジェブラさんは誰かを引っ張れる人だからわからないと思いますが、メヴィさんの後ろにいると勇気が湧くんです。何も怖くなくなるんです。あの人は大きくなりますよ。崩壊しかけのパラアンコで、最後に輝く綺羅星になるかもしれない」


 少年は語る。人を殺せないような優しい目で、英雄譚に憧れるように。おどおどとした印象が吹き飛び、曇りなき瞳で私を見据える。


「鈍臭い僕にも夢を見せてくれる。それだけで、付いていくには十分な理由ですよ」


 ポルナード君は自覚しているだろうか。彼は他の仲間を狂信的な人たちだと言って一歩引いているようだが、自分も同じ顔をしていることを。

 私は背筋に薄寒い感覚がよぎった。愛すべき祖国に得体の知れないナニカが生まれつつあるような、気味の悪い予感だ。だが、予感の正体を考える間もなく、ポルナード君のイヤリングが震えた。彼は瞬時に表情を引き締める。


「合図です! ロープを引いて!」

「おう!」


 メヴィの部下たちが叫んだ。同時に、足元から膨大な魔力の気配がした。続く振動。水面が激しく波打つ。

 ポルナード君たちが思いきりロープを引いた。屈強な義勇兵にかかれば小娘を一人引き上げるなど造作もない。あっというまに大穴からメヴィが飛び出した。


「大穴は私が監視するわ! あなたたちは周りを警戒! それと誰か祈祷士を呼んできて!」

「もう呼んであります!」


 ポルナード君の言うとおり、エルマニアが祈祷士をつれて走ってくるのが見えた。あれは脱法祈祷士エチェカーシカだ。正直、彼女はまだ信用できないのだが、他ならぬエルマニアが選んだのだから信じよう。

 私は弓を構えた。魔女が追撃をするはずだ。メヴィが消耗している以上、今度こそ私が戦う番である。そう思って呪痕に力を込め、いつ水面から飛び出しても射抜けるように矢をつがえたが――。


「追撃は来ない、のかしら?」


 水面は静かなままだった。

 意識を大穴に向けたまま、メヴィの容態を確認する。大きな怪我こそないものの、無数の傷が幼い彼女の体に刻まれていた。それに顔色が良くない。エチェカーシカの治癒があるおかげで幾分かマシになったが、エルマニアに支えられてなんとか体を起こしている状態だ。しばらくは戦えないだろう。


「とっておきをぶつけたので、エレノアも無傷じゃないはずです」

「ちょっ、まだ立ち上がったら駄目ですよ!」

「大丈夫ですから……アルジェブラさん。これからどうしますか?」

「そうね……最悪、街を放棄する可能性も……ううん、こうなったら放棄するのは確定ね。とにかく住民の避難を急ぎましょう」


 残念ながらカタビランカは沈む。多くの逸話が残る前哨都市も魔女の力には抗えない。また一つ街が沈むと思うと、途方もない無力感に襲われた。私は何のために軍人になったのだろうか。

 メヴィは少し考えるように黙ったあと、おもむろに口を開いた。まるで試すような瞳で私を見つめてくる。


「街を放棄するのは浸水を止められないからですよね?」

「そうだけど、どうしたの?」

「ひとつ提案があります」


 なんとなく嫌な予感がした。私の勘はよく当たる。


「街の外側から地下水門に向かい、せき止めている水門そのものを破壊しましょう。貧民街の水を抜き、水流に任せて魔女を追い出すんです」

「水門の破壊は無理よ。敵に破壊されないために対魔術合金で作られているわ。それこそウサック要塞のように強固な……」

「ええ、対魔術合金なら、私が破壊できます」


 彼女はきっぱりと言い切った。たしかに彼女の力ならば水門の瓦礫を破壊できる。ウサック要塞の堅牢な門が開かれるのを私も見たから疑いはない。

 周りの者たちが「おお!」と活気づいた。絶望的な状況に現れた一筋の光明。私も思わずすがりたくなった。だが見落としてはいけない。冷静に考えれば、この提案は恐ろしく合理的で残酷な選択である。


「待ちなさい。下流の川幅はそう広くない。貧民街の水を一度に放流すれば氾濫するわ」

「そうですねえ。避難の伝令を走らせる時間はないので、残念ながら川沿いの村は流されるでしょう」

「それじゃあ意味が――」

「でも貧民街の水は抜けます。街を守るにはこれしかないんですよ。どのみち犠牲は避けられません。たとえ街を放棄しても多くの人が死にます。避難が間に合わない者、逃げる途中で行き倒れる者、逃げた先で生活がままならない者。たぶん、村が流されるよりもずっと被害が大きいですよ」


 メヴィの言葉は正しい。決して裕福とはいえない民が多いカタビランカ。家を失えば多くの住民が路頭に迷うだろう。避難した先で再起できる者は限られている。

 だがウサック要塞の遠征時、下流の村に住む人々は私たちを歓迎してくれた。メヴィも知っているはずだ。彼らは死地へ向かう私たちのために、出来る限りのもてなしをしてくれたのだ。そんな住民たちを見捨てろとメヴィは言っている。

 川が氾濫すれば彼らは助からない。これだけの水量が一度に押し寄せるのだから。見送ってくれた住民たちの顔が脳裏に浮かんだ。いつの間にか全員の視線が私に向き、答えを待っている。


「選んでください、アルジェブラさん。街を捨てるか、それとも下流の村を犠牲にするか」


 彼女は問う。その小さな体に似合わぬ冷静な瞳で見つめながら。



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