第27話:守られるよりも守りたい
エレノアの呪痕が光ると同時に、私は魔女に向かって駆け出した。本来ならば魔術士は守られる立場だ。でも一番早く動けるのは私だし、曲がりなりにも隊長なんだから隠れるわけにはいかない。部隊のみんなはエマに任せておけば守ってくれる。だから私は魔女の注意を逸らそう。飛び出した私を見てエマが焦っていた。
「“腐敗の棘”!」
まずは先制攻撃だ。ウサック要塞の城門をも貫いた私の秘術。だが――。
「水遊びか?」
腐敗の棘はあくまでも水魔術の一種。そして水はエレノアの本分だ。彼女は片手間に棘を打ち消した。
お返しとばかりに、十を超える数の水球がエレノアの周囲に浮かぶ。見た目こそ人の頭程度の大きさだが、膨大な魔導元素が凝縮されているのがわかる。激しく波打つ水面。いったいどれほどの水圧か。
「伏せて!」
叫ぶと同時にはじける水球。解放された水圧が猛烈な推進力を生んで私たちを襲う。後ろを振り返る余裕はない。我が身を守るので精一杯だ。ただの水が大地を砕く。掠めた水球が肌をえぐる。呪痕の力で体を覆って、なお軽減されない威力。
「ひええっ、問答無用、ですか……!」
地が爆ぜ、家屋が崩れた。瓦礫以外の何かも飛んだ。たった一つの魔術で街が破壊された。これが魔女だ。魔術士が目指す到達点だ。
狙われたのは私たちだけではない。運悪く近くにいた住民からも悲鳴が上がる。親とはぐれてうずくまる女の子。足を撃たれて走れない男。瓦礫の中から聞こえる誰かの声。もしも私たちが戦いを始めなければ彼らは助かったのだろう。私は心のなかで謝った。戦いを始めてごめんなさい。どうか恨まずに逃げてください。
「きゃああっ……!」
悲鳴が聞こえた方向に顔をむけると、エチェカーシカが腹を抑えながらうずくまっていた。水球に脇腹を貫かれたのだ。彼女は何が起きたのかわからずに目を丸めながら、救いを求めるように、その細い手を私に伸ばしている。彼女はエレノアが魔女だと知らなかった。よもや先ほどまで隣で買い物をしていた人物に襲われるとは思っていなかったのだろう。今もドクドクと血が流れている。
「ああ、もう……!」
気づけば私はエチェカーシカのもとへ駆け出していた。水球の嵐をかいくぐりながら、なんとか彼女の側へたどり着くと、差し伸ばされた手を握りしめ、魔女から庇うように守りながら声をかけた。
「立ってください! 早くしないと第二波が来ますよ!」
「わ、私の、腹、力が……」
「あなたは祈祷士なんだから、自力で治してください!」
水球の一つが私を目掛けて飛んできた。当たれば致命傷になりうる威力。されど避けた先にはエチェカーシカがいる。迷う時間はない。かの“黒熊”が魔術をはたき落としたように、呪痕で魔術を相殺するのだ。
「出力の差はあるけれど、呪痕の扱いなら私だって……!」
タイミングを合わせて拳を振った。はじける水球。吹き飛びそうになる私。でも後ろにエチェカーシカがいるから気合いで耐える。相殺した右手を見ると手のひらが爛れていた。膨大な魔力の奔流に耐えられなかったのだ。痛い、すごく痛いけど、我慢。私は痛みに慣れている。この程度なら何度も味わったから。
やがて魔術の嵐が止んだ。崩れた家屋から土煙が昇り、破裂した排水管から水が漏れ、勢いを増した雨水が浸水し、魔術の余波で火の手が上がった。混沌とした地下街。その中央にたたずむ魔女が一人。
「相変わらず義勇兵は虫のようにしぶといな。まったくもって――癪だ」
エレノアの瞳に苛立ちが宿った。怒りとは呼べぬ程度の、小さな感情のざわめき。彼女にとって私たちは羽虫のような存在なのだ。だがたとえ彼女にとっては一寸の苛立ちだとしても、その体から漏れ出した感情が魔力に変わり、足元の水面に激しい波を引き起こした。
「神事に仇なす咎人よ。我が祈りの鉄槌を下す」
まっずいなあ。魔女さん本気で私たちを潰すつもりっぽい。
エレノアが右手を横にかざすと、がしゃがしゃと音を上げながら鉄槌が生まれた。周囲の瓦礫を水で圧縮したのだ。身の丈ほどはあろう大きな鉄槌。それを軽々と持ち上げる魔女。ぶん、と振り回すだけで冗談のような風圧を生む。まともに受ければ私の小さな体は簡単に吹き飛ぶだろう。
横目でエチェカーシカを確認すると、どうやら傷口は塞いだが痛みが残るらしく、脇腹を押さえて苦しそうにしていた。だが自力で立てるのは幸いだ。彼女の手を掴んで引き寄せると、目をエレノアに向けたまま話しかけた。
「エチェカーシカ。よーく聞いてください」
「は、はい。なんでしょうか?」
「魔女様はぷっつんしています。私たちを完全に敵として認識しています。このままでは二人仲良く地面の染みになるでしょう。なので――」
「なので?」
「撤退! 全力で速やかにこの場から逃げます!」
魔女が跳ぶ。水圧による推進力か、それともエレノアの身体能力かわからないが、馬鹿みたいな速さで迫ってくる。私はエチェカーシカの手を引きながら魔女とは反対方向に走り出した。
「逃げるな小娘! 義勇兵ならば戦え!」
「勇気と無謀は違うんです!」
魔女の鉄槌が地面を砕く。腹まで響く地響きが体の内側を揺さぶる。あんな相手とまともに戦えって? 十三歳の小娘にはちょいと荷が重いです。
でもやられっぱなしではない。逃げながらもちゃんと罠をしかけておいた。
「“腐敗の棘”!」
振動を関知して作動する設置型だ。直前までたっぷりと魔力を込めたから威力も高いはず――。
「猪口才な!」
効かないですって。パアンって片手間にはじかれました。腐敗の棘って対魔術合金も貫くはずなんだけど、黒熊といい魔女といい、簡単に防ぎすぎじゃない?
まあ腐敗の棘が通用しないのは予想済みだ。本命は二つ目。動きが止まったエレノアに目掛けて魔術を編む。
(――捕らえて腐れ)
「“封呪の鎖”!」
幾多もの錆びた鎖がエレノアに巻き付いた。腐敗の毒素が染み込んだ鎖は対象の肉を腐らせる。拘束と腐敗。どちらか片方でも効けば僥倖。簡単に捕まるとは思わないが、これだけの数の鎖をすべて断ち切るのは時間がかかるはず。
鎖がエレノアの柔肌に食い込んだ。
無数の鎖が次々に巻き付き、ぎりぎりと締め上げ、やがて――彼女の体は弾けた。腐ったのではない。透明な水となって鎖をすり抜けたのだ。
「水人形!? いつの間に――」
気づいたときには鉄槌で殴られていた。水人形を囮にして接近されていたのだ。ミスディレクションってやつ? すさまじい勢いで体が吹き飛ぶ。とっさに呪痕で体を守ったけど、あまり意味がなかったかも。続けて背中に強い衝撃。全身が痺れる。指先ひとつ動かない。今の私はどうなっている? ちゃんと腕はついている? 人の形を、している?
「――メ――さん! すぐ――治し――から!」
一瞬だけ意識が飛んでいたかも。温かな治癒の魔力を感じてまぶたを上げると、必死に治療をするエチェカーシカがいた。その向こうでは相棒が盾を構えている。かすれてうまく見えないが、エレノアから私を守っているのだろう。振り下ろされる鉄槌。凄いぞエマ、魔女の一撃を耐えた。エレノアからも少し驚いたような空気が感じられる。
死にたくないなんて言っていたのに私をかばうなんて。よく見たら部隊のみんなも遠くから魔術を撃ってるし。義勇兵は馬鹿ばっかりだ。注意を引いた意味がないではないか。
飛んでくる魔術を鬱陶しそうに払いながら、魔女による二撃目。エマの体が大きく後退する。良い盾を買ったばかりなのにもう壊れそうだ。いや、良い盾だからこそ耐えられているのか。
――奉仕せよ。
動かねばならない。彼女たちの献身に答えないと。献身には献身を。そう、小さい頃に教えられた気がする。ちゃんと言うことを聞いて、私たちのために働きなさいって――何度も、何度も――。
「メ、メヴィさん! まだ起き上がっては……!」
「下がってて、ください……」
「きゃっ……!」
沸々と力が湧く。でもまだ立ち上がれない。上半身がかろうじて動く程度。だから右腕を地面に突き立てて、魔力糸を地中に伸ばし、力の限り魔力を込めた。下へ下へ、どこまでも下へ。部隊のみんなは巻き込まないように範囲を絞る。私と、相棒と、エレノアだけを巻き込むように。あとでエマに怒られるかも? まあ気にしない。
「守られるだけじゃ、駄目なんですよ。役に立たないと、いけないのです……!」
地響きのような音が鳴り、勢いよく地面にヒビが走った。要塞で使ったのと同じ戦術だ。十三歳で出来ることなんて限られている。でもエレノアにとっては予想外だったらしく、揺れに襲われた彼女は体勢を崩した。
「小娘、まさか地盤を――!」
腐敗の力が地面を侵食し、ついに辺り一帯が崩壊した。まるで大穴が急にぽっかりと空いたみたいだ。下へ、下へと伸ばした魔力糸は花街を抜けて、貧民街まで貫いている。ちょっとやりすぎたかも。だって急がないとエマが潰されそうだったし。
「掴まれメヴィ!」
自由落下する私をエマが拾ってくれた。流石は騎士だ。頼りになる。
落下しながら色々見えた。穴の上で悲痛な表情をするエチェカーシカ。水球に自らを包んで身を守る魔女。騎士の呪痕で身体能力を向上させ、落下の衝撃に備えて私を抱える相棒。
「すみません、エマ……」
伝えたいことは他にもあったけど、なんとか謝罪だけ口にした。とりあえず隙は作ったので頑張って逃げてください。彼女ならきっと大丈夫だろう。私は相棒に抱かれながら意識を失った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます