第23話:街は潤い、沈みゆく

 

 次の日も、その次の日も、ずっと雨が続いた。


「こんな日はてるてる坊主を作りましょう」

「なんだそれは?」

「おまじないです。晴れますようにって私がたくさん祈っておきますので、明日はきっと快晴ですよ」


 余りの端布でてるてる坊主を作ってみた。雨は止むどころか勢いを増した。

 大雨のせいで最近は義勇兵も休んでいる。寮の中も湿気が高く、ベッドの下を覗くとカビが生えていた。エマの赤髪もボリュームを増してふわふわになり、彼女の髪を整えてあげながら二人で窓の外を眺める。


「カタビランカは雨が多い街でしたっけ?」

「いいや、珍しいな。雨が少ないからこそ、地下に貯水地を作っている。こんな大雨は数十年に一度だろう」

「ひええ、早く止めばいいですけど……」


 こんこん、と扉が叩かれた。はーい、と返事をすると「お客さんだよ、弓騎士が来ている」と返ってきた。仕事の時間だ。沈むような気分でも依頼がくるなら働かねば。

 手早く準備を済ましてから弓騎士の待つ部屋に向かうと、彼女は鎧に弓という完全武装で座っていた。物々しい雰囲気に自然と私たちの背すじが伸びる。


「魔女が出たわ」


 開口一番、アルジェブラは深刻な声で言った。


「カタビランカに、ですか?」

「まだ確定じゃないけれど、目撃情報から考えると可能性は高いわ。あなたたちの初陣、予想よりも早かったわね。頑張りましょう」


 相手が魔女でなければ「はい!」と元気よく返事をするのだが、いかんせん力不足感が否めない。でも、協力すると約束したのだから頑張ろう。私にだって約束を守る程度の気概はある。


「本来ならば話し合いを試みるのだけど、今回は不要よ。討伐ができれば一番だけど、無理なら街から追い出すだけでもいい」

「ふむ、えらく物騒だな。魔女というのは制御できない爆弾のようなものだ。本気を出した魔女は誰にも止められん。無理に手を出すよりも、刺激しないほうがいいんじゃないか?」

「放置できない相手なのよ……最近、雨が多いでしょう?」


 アルジェブラにつられて窓を見る。役に立たないてるてる坊主がぷらぷらと外を眺めていた。室内にまで音が聞こえるほどの強い雨。最近は外を出歩く人も少なくなった。雨が憂鬱な空気を運び、街の活気を奪うのだ。


「褐色の肌に、この辺りでは珍しい黒髪、そしてとある砂漠の少数民族に伝わる衣装を着た少女が街で確認されている。おそらく“雨乞いの魔女”エレノア・フィーヨ。異常な豪雨は彼女の影響よ」


 その名を聞いた途端にエマが渋面をつくった。魔女ミーハーな彼女ですら喜ばない相手。私だって似たような顔をしている。“雨乞いの魔女”といえば災害の代名詞のような魔女であり、彼女によって滅ぼされた街は数知れず。運悪く被害にあった街がたびたび魔女新聞に載っている。


「すでに地下の用水路が増水している。雨が続けば氾濫も時間の問題でしょう。一部の水門が破壊されたという報告も上がっているわ。おそらくエレノアの仕業ね。私は仲間たちと住民の避難を優先するから、あなたたちは魔女の居場所を探してほしい」


 アルジェブラは口調こそ落ち着いているものの、目つきが鋭く、表情にも余裕がない。彼女は魔女と戦うという意味を理解しているのだ。まともにやり合えば結果は見えている。されど抗わねばならない。強い決意とともに立ち上がりながらアルジェブラは言った。


「急がないと、街が沈むわ」


 ○


 大雨で人通りが減った街を、少女が傘もささずに歩いている。おさげにした黒髪が雨で濡れすぼり、衣服が肌に貼りついて女性らしい体を強調する。そんな格好で誰もいない路地を歩けば真っ先に襲われるだろう。

 事実、少女のあとを追う男がいた。魔導地下街でメヴィにからんだ男だ。彼はマダム・リンダの力を使って衛兵から見逃されたものの、度重なる問題行動によって下っ端にまで降格され、花街も出禁になり、その腹いせに偶然見かけた少女を襲おうと考えたのだ。また問題を起こせば次はないというのに。すでに彼の興奮はピークに達しており、褐色少女の体をもてあそぶこと以外は頭にない。


(たまには移民も悪くねえ……そうだ、そのまま真っ直ぐ、もう少しで……)


 少女が角を曲がった。男の口角がこれでもかと持ち上がる。少女が入った路地は表通りから死角になっており、男が常習的に使う「狩り場」であった。

 男が追いかける。鼓動と共鳴するように雨が激しくなる。興奮しすぎて頭がジンジンと痛み、獣のように荒い息を吐く。今すぐにたまった欲望をぶちまけるべく、男は背後から近づいて少女に抱きついた。はずむような柔肌に指が沈む――。


「へへっ――」


 張りのいい肌の感触を楽しんだのもつかの間、次の瞬間、少女の体が水のように形を失って男を飲み込んだ。突然の事態に動転する男。必死に脱出しようともがくが、宙に浮き上がった水球の中では満足に動くことができず、ゴボゴボと言葉にならない悲鳴だけがもれる。


「た――助――ゴボッ――」


 苦しむ男の姿を、本物の少女が壁にもたれながら見つめた。もしもこの場に魔導に通ずる者がいれば、少女が作った水人形の精巧さに驚いただろう。路地に入ると同時に水人形と入れ替わり、自らは物陰に隠れたのだ。そのあまりに精密な魔術は一級魔術士ですら舌を巻く。


「供物としては品がないか」


 幼さが残るつぶやき。すでに少女の瞳からは男への興味が失われている。雨に濡れながらたたずむ褐色少女。見た目こそうら若き乙女であるものの、彼女の瞳は戦場で狂った兵士のように暗い。

 細い手が男に向けられる。そしてぎゅっと拳を握ると、男の体は水圧によって押し潰された。服が汚れず、叫び声が響かない、という点では極めて合理的といえるだろう。あっという間に赤く染まる水球。やがてパシャリと地面に落ちると、真っ赤な血は雨に流されて排水口に消え、あらぬ方向に折れた男の亡骸だけが残った。


「足りない……全然足りない……もっと降らせないと……」


 少女の肌にじんわりと呪痕が浮き上がる。右腕から顔、さらに背中まで広がった呪痕が表すのは魔女の異名。人の身でありながら魔導の限界にふれた者の一人。

 彼女は空に願った。するとさらに雨が強くなった。痛いほどの雨粒が肌を打つ。それでも足りない、と彼女は祈りを続けた。

 “雨乞いの魔女”エレノア・フィーヨ。彼女がいるかぎり雨は止まない。排水口の水が噴水のように逆流し、あふれだした雨水が地面を川のように滑り、地下街の階段を流れ落ちていく。



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