第15話:フィリップ隊長のおつかい
ウサック要塞の戦いから二十日ほどが経ってから、私たちは前哨都市カタビランカに帰った。無事に初依頼を終えた私はもう心が軽いのなんの。この調子ならすぐに準二級へ上がれそうな気がする。
「準二級になったら一度ルル婆の屋敷へ帰りましょうか。きっと寂しがっているに違いないです」
寮に帰って着替えているときに気づいたのだが、右腕の呪痕が以前よりも広がっていた。ツタのような痣が二の腕まで伸びている。二級魔術士がおよそ肩ぐらいまでといわれているから、準二級程度の実力はあると考えてよさそうだ。
試しに“腐敗の棘”を唱えてみると、同時に五本まで作ることができた。自己最高記録でちょっと嬉しい。でも黒熊に効かなかったことを考えると対策が必要だろう。“腐敗の棘”はどうしても私の手から離れるという特性上、呪痕の力が弱まってしまう。必然的に威力も落ちる。やっぱり敵に直接触れるのが手っ取り早いのだが、魔術士が素手で接近するのはなかなか難しい。
そんなことを悩みながらカタビランカでの休息を楽しんでいると、帰還から数日後、私はフィリップ隊長に呼び出された。
「すまないが、君は今回の依頼に参加していないことになった」
「はい?」
困ったように眉尻を下げながら、彼は開口一番にとんでもないことを言った。
「君も知ってのとおり、依頼の結果を魔導協会に送ることで昇級の判断材料になるのだが、君の功績は受理されなかったのだ。つまり、初めから君は不参加だった、と」
「ええ、そんな馬鹿な。私が参加していないなら城門の破壊はどう説明するんですか?」
「私も君が別動隊の指揮を執ったことは伝えたのだがね、いやはや、追い返されてしまったよ。とりつく島もないとはまさにこのことだ。がはは、まるで誰かに邪魔をされているみたいだな」
「笑い事じゃないです……」
含みのある言い方に私は思い当たる人物がいた。いわく、父親が魔導協会の監査員だという義勇兵。エマから注意するように言われていたけど、依頼のごたごたですっかり忘れていた。何だか面倒なことになりそうで萎えって感じ。
「えーっと、どうしましょう?」
「私としても君の頑張りに応えたいのだが、騎士が魔導協会に口を出すのは難しいのだ。よその畑に首を突っ込めばいらぬ軋轢を生む」
「ふええ、自分で解決しろってことですかあ」
ひげ亡者が他人事のように肩をすくめた。この男、自らの栄光に関係がなければてんで役に立たない。どうせ魔導協会に進言したのも、上位者としての役目を果たしたかっただけだろう。「やることはやったから後は頑張れ」というスタンスなのだ。
「それと、君に頼みたい依頼がいくつかあるんだ」
「……この流れで言います?」
「がはは、そう拗ねるな。君の力が必要なのだよ」
「私の力が……し、しかたないですね!」
そこまで言うなら力を貸しましょう! 腐らせることしかできませんが!
うまく乗せられてないかって? そんなことは気にしない。だって今さら魔導協会の決定を覆す力は私にないし、それなら諦めて他の実績を積んだほうが有益である。フィリップが動いてくれないのならば、自力で解決するしかない。頼れるのは自分だけ! 人は孤独な生き物!
「依頼内容は――」
それからフィリップに説明を受けた。ウサック要塞に比べれば易しい依頼ばかりだ。土砂崩れで道を塞いだ岩の除去や、カタビランカの地下街で活動する人攫いの捕縛など。エマに協力してもらえばどれも問題なさそうである。
「受けるのはいいのですが、ポルナード君を借りれますか?」
「ほう? どうしてだい?」
「彼の魔術は便利なので、ほら、人攫いの件とか役に立つかなって」
「ふむ……」
これは建前だ。本命は彼の魔術で魔導協会に潜入し、ウサック要塞の件について探れないかと考えている。
「彼には別の依頼があったが、そういうことなら君を優先するように伝えておこう」
「先約がいましたか。依頼者に怒られませんか?」
「問題ない。依頼者に謝るのはポルナード君だよ」
ふむ。ならば大丈夫か。
いくつか必要な情報をフィリップに聞いてから部屋を出た。閑散とした廊下を歩く。義勇兵はいつも人手不足だ。すれ違う人も事務員ばかり。国が不安定なせいで誰も危険な義勇兵をやりたがらないのである。実力のある者は他国で依頼を受けたほうが安定するし、下手にパラアンコで名声を上げるとフィリップのように軍から無茶な依頼をされる。彼はそれを嬉々としているが、普通の神経ならば逃げ出したくなるだろう。
「あら、フィリップ様の周りを飛ぶ小蝿じゃないの」
「げっ」
廊下を歩いていると、ねちっこい笑みを浮かべる性悪女、トルネラに出会ってしまった。後ろには当然のように愉快な仲間たちを連れている。
「またフィリップ様に媚を売っていたのかしら。健気なものねえ、いや、小蝿なりの処世術かしら」
すごい嫌われようである。ここまで睨まれると不快感よりも困惑が大きい。よほどフィリップに心酔しているのだろうか。私はフィリップに振り回されているだけだから放っておいてほしいのだけど。
昇格の件もどうせトルネラが一枚噛んでいるのだ。敵であれば迷わず腐敗の棘を放つのだが、残念ながら便宜上はトルネラも仲間。ここで派手に争えばどこぞのひげ亡者がすっ飛んでくるだろう。
……いや、別にいいのか? フィリップはああ見えて規律に緩いタイプだから、多少のいざこざは目を瞑ってくれる気がする。義勇兵なんて野蛮な人の集団なのだから彼も理解してくれるだろう。そう考えればあまり気にする必要はないかもしれない。
こっそりと魔導元素の糸をトルネラに伸ばした。腐敗の力をたっぷりと込めているから、少しでも触れたら激痛が走るはずだ。そーっと、ゆっくりと、気づかれないように笑顔を浮かべながら、彼女の足元へ――。
「おやおや、修羅場になっているじゃないか」
スッと糸を引っ込めた。なぜかフィリップ隊長が私のすぐ後ろにいる。私が声を発するよりも早くトルネラが反応した。蛇みたいな顔から一変、頬を赤くして乙女のように腰をくねらせた。
「フィリップ様ぁ! いかがなされましたか?」
「状況的には私が聞きたいのだが、まあいい。メヴィに先ほどの件で伝え忘れたことがあったんだ」
「それなら私が聞きましょう!」
「君では意味がないだろう。私が頼みたいのは君ではなくメヴィ三級魔術士だ」
言い方である。ギンッ! という勢いでトルネラに睨まれた。それも束の間。瞬時に猫を被ってフィリップにしなだれかかる。
「実は私ぃ、ちょうど手が空いていましてぇ、こんな小ば……小娘よりも私のほうが信用できると思うんですけど、どうですか?」
「ほう、それならメヴィの依頼をひとつ君に回そう。貧民街の糞溜まりがひどい匂いを放っているんだ」
「えっ? 糞溜まり?」
「メヴィの魔術で除去しようと思っていたのだが、トルネラの土魔術で埋めたほうが影響が少なくていいだろう。私もメヴィを貧民街に向かわせるのは不安だったから助かるよ」
「いえ、その、そういう雑用は私じゃなくてぇ――」
「頼んだよトルネラ」
ギリギリと歯軋りを鳴らしながら睨まれた。曲がりなりにもフィリップの直接指名、彼女は断れまい。嬉しさと悔しさが混ざったような顔をしている。
「それじゃあメヴィ、向こうで話そうか」
「フィリップ様!? こんな小蝿と二人っきりなんていけません! 私もついていきます!」
ついに小蝿と言いきりました。
「はっはっは、君に聞かせるわけにはいかないよ。なにせメヴィから秘密のおねだりをされているのだから」
言い方である。ギンッ! ギンッ! って感じで蛇の目が光った。
伝え忘れたというのはポルナード君の件だろう。それを秘密のおねだりと呼ぶのは意地が悪い。というかフィリップ隊長はおそらくわざとやっている。「うちには優秀な魔術士が多くて助かるよ、がはは」なんて笑っているが、彼が誠実そうな仮面を被っているだけというのは短い付き合いの私にだってわかるのだ。
「行こうかメヴィ。君には期待しているのだよ」
最後にまた燃料を投下してからフィリップは歩き始めた。彼の後ろについていくとき、トルネラの刺すような視線をこれでもかと背中に感じた。
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