第13話:栄光玉砕という男

 

 モリスが師団長としてウサック要塞に就いてから約八年。一度として城壁を破られたことはなかった。まさにカーリヤ族の誇りだ。パラアンコの人間はカーリヤ族のことを西方蛮族などと呼ぶが、侵略を繰り返す彼らのほうがよほど蛮族だろうとモリスは思う。

 カーリヤ族の技術力は高い。長い、本当に長い、戦いの歴史を歩んできたからだ。“自由の国”パラアンコからの侵略を何度も耐え、ときには敗北を味わいながらも、次は勝つために力を蓄えた。ウサック要塞はそんな努力の結晶である。

 そして今、鉄壁の要塞が戦火に包まれている。カーリヤ族の旗が焼け落ちる様に歯を食いしばりながら、モリスは指揮所で部下の報告を聞いていた。


「モリス師団長! ボルドー様が負傷されて退却! 城門が破られました!」

「敵はカタビランカ義勇兵団とパラアンコ軍の混合部隊です!」

「勢いが止まりません、第一陣もまもなく崩壊!」

「城壁近くで謎の腐乱死体を発見! 煙を吸った兵士に被害が出ています!」


 濁流のように入ってくる報告はどれも悪いものばかり。どうやら敵は本気でウサック要塞を落とすつもりのようだ。名ありの騎士がボルドーしか駐在していないのもタイミングが悪い。いや、もしかすると他の騎士が不在だからこそ攻めてきたのか。情報が漏れていると考えたほうがいいだろう。

 状況は極めて深刻だ。ウサック要塞の陥落が避けられない以上、彼がすべきは兵を少しでも多く生かすこと。要塞には一個師団と計千人の騎士・魔術士が配備されていた。凡兵の犠牲は仕方がないとしても、騎士と魔術士はできる限り消耗したくない。


「騎士隊はボルドーと共に北門から脱出しろ。魔術士隊はどれくらい残っている?」

「残り三百ほどです」

「三百? そんなにやられたのか!?」

「城壁に奇妙な術を使う義勇兵がおりまして、魔術で撃ち落とそうとした味方が逆に殺されています」

「例の腐乱死体もそいつの仕業か……魔術士隊は魔力を温存しながら下がらせろ! その奇妙な術士の特徴は?」

「えーっと……」

「なんだ、早く言え!」


 モリスが怒鳴るも、部下は言いづらそうな様子だ。


「子どもです」

「子ども?」

「十を過ぎた程度の少女が極めて攻撃性の高い魔術を使っているようです。義勇兵を率いて城門を破壊したのも、その少女によるものだと思われます」

「鉄壁のウサックを破ったのが子どもの魔術士だと? そんな馬鹿げた話があるか」

「ですが、接敵した仲間は口を揃えて『悪魔の少女だ』と言うのです」

「ふん、おおかた、幻術の類いで見た目を偽った上級魔術士だろう。我々を撹乱させるつもりだ。そいつはまだ城壁にいるのか?」

「はい。動く気配はありません」

「それなら警戒しつつ距離を取れ。魔術の範囲外から弓を浴びせろ」


 魔術士の弱点は有効射程距離が短いことだ。魔術の特性上、呪痕で編んだ魔導元素を糸のように伸ばす必要があるため、術士から離れすぎると効力を失ってしまう。例えば岩石を飛ばした場合、糸の範囲内であれば呪痕の力でまっすぐ飛ぶが、範囲を出ると風や重力の影響を受けてしまう。それを考慮して魔術を扱える者が上級魔術士と呼ばれるようになる。


「敵の指揮官は誰だ?」

「義勇兵はフィリップ一級騎士、軍はアルジェブラ準一級騎士です」


 どちらもカーリヤ族では名の知れた騎士だ。“栄光玉砕”フィリップと“弓騎士”アルジェブラ。どちらも厄介だが、指揮官としての脅威はフィリップが上か。


「都に伝令を出せ。それからお前たちも脱出しろ。じきにここも焼け落ちる」

「師団長はどうされるのですか?」

「私は最後に脱出する。師団長が我れ先に逃げたら示しがつかんだろう」

「ですが、それでは……!」

「大丈夫だ。自分の価値は理解している。師団長ともなればそう易々と殺されんよ――」


 モリスは言葉を遮るように、耳をつんざくような轟音が響き、指揮所の壁が爆ぜた。状況を理解できた者はいない。なにせここはウサック要塞の中心部。敵が到達するにはあまりにも早すぎる。例えば、単身で突撃でもしない限り。


「おや、当たりかね。今日の私は運が良いようだ。弓騎士に先を越されなくて安心したよ」


 土煙の奥から騎士が現れた。磨き抜かれた鎧。無駄のない筋肉。上級騎士特有の気炎。戦場にも関わらず整った髪型の男が微笑んだ。


「フィ、フィリップ……なぜ、貴様がここに……」

「足が速いのが取り柄でな。ガハハ、俊足のフィリップとは私のことだ」


 栄光玉砕。そう呼ばれる男が剣を抜く。一刀ではなく、二刀。二振りの刃を構える姿こそ、フィリップ一級騎士の本来の姿。

 指揮所にいた誰もがどう対応すればよいのかわからない中、モリスだけは状況を正確に理解していた。フィリップは単身で指揮所を落としに来たのだ。蛮勇ともいうべき行為だろう。されどフィリップに臆した様子はない。

 モリスが思わず叫ぶ。こんなことがあってたまるか。作戦なんて関係ない、ただの自分勝手な突撃ではないか。


「指揮官が単身で乗り込むなんて、どうかしているぞ……!」

「よく言われるよ。だがこれが私の戦い方なのだ。今さら変えられぬ。いや、だからこそ、私は一級騎士なのだ。わかるかね?」

「何を言っているのだ?」

「君たちが私を“栄光玉砕”と揶揄やゆする、まさにそのことだよ。その言葉が私を一級騎士足らしめる。


 フィリップは知っていた。強さとは心技体。技と肉体を鍛えただけでは一級に及ばず。心の強さこそが強者の条件であると。


「う、うおぉぉおお……!」


 カーリヤ族の一人が耐えきれずに斬りかかった。彼もモリスの側近として腕の立つ戦士だったのだが、フィリップは「話を最後まで聞きたまえ」と眉をしかめながら、一つ目の刃で戦士の剣を折り、二つ目の刃で戦士を腹を裂いた。この間、わずか数秒。

 続けて襲いかかってくる戦士たちをフィリップは難なく捌いた。ある者は肘鉄であばら骨を折られ、ある者は鎧の隙間から貫かれ、一人、また一人と血飛沫をあげた。


「私は強い。栄光玉砕などと呼ばれているが、私はこの戦い方で、一度も玉砕をしたことがない」


 血糊を払って優雅に構えるフィリップ。その堂々とした立ち姿は、とても単身で指揮所に踏み込んだとは思えないほど自信に満ちあふれている。状況だけみれば孤立したフィリップが不利だ。だが男から死の匂いはしない。むしろ捕食者の牙が見え隠れする。

 モリスは早々に戦意を喪失した。フィリップの剣を一瞬見ただけで、自分が到底敵わない相手だと理解できたのだ。


「……降伏する」


 周りの戦士たちが驚いたような表情をした。彼らは最後まで抗う気だった。しかし、モリスは師団長として一人でも多くの仲間を生かさなければならない。彼らの覚悟を踏みにじってでも降伏すると決めた。


「ふむ。悪いがよく聞こえなかったな。何と言ったのだ?」


 フィリップは肩をすくめながら問い返した。モリスが再度「降伏する」と告げても彼は剣を下げない。それどころか呪痕から溢れだす気炎が勢いを増す。

 フィリップは降伏を受け入れないつもりだ。

 モリスは絶望した。同時に理解ができなかった。降伏を受け入れない理由がわからなかった。当然だ。フィリップは非合理的な人間である。

 戦士たちが剣を構えた。騒ぎを聞きつけた他のカーリヤ族も集まり、今やフィリップは四方八方を敵に囲まれた状態。逃げ場はすべて塞がれており、増援を呼ぶことも不可能。


「ふむ、良い感じだ。実に素晴らしい。これほどの数、これほどの苦境。困難だからこそ呪痕は輝きを増す」


 フィリップが嬉しそうに剣を構えた。彼は進んで死地に飛び込む。なぜならば英雄はいばらの道を歩むから。数多くの困難に立ち向かい、自らの限界と戦い、最後には栄光を掴む。そんな、絵本に登場するような英雄譚を、彼は本気で目指していた。

 フィリップは思う。降伏なんてつまらない結果よりも、全ての敵を切り伏せて勝利したほうが見栄えがいいじゃないか。

 彼が闘志をたぎらせる理由は、ただそれだけであった。



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