第11話:黒熊見参

 

 私、なかなか頑張ったのでは?

 だって敵に見つからずに城内へ侵入し、城門を開放、それから本隊が到着するまで大量の敵兵を相手にしたのだ。これならばフィリップ隊長も満足するだろう。ぜひ誰かに褒めてほしい。

 そんな期待を込めてポルナード君を見るとすぐに目を逸らされた。薄情な男だ。仕方がないからエマに視線を向けると、「さっさと戦え」と言わんばかりに非難めいた視線を返された。せっかちな相棒だ。

 エマといえば、思っていたよりも彼女は優秀だった。あの胡散臭い鎧を見たときは頭を抱えそうになったが、彼女は鎧に頼らずフィジカルで魔術をはじいている。それなら鎧じゃなくて盾に金をかけたほうが良さそうに思うのだが、相棒は気づいているのだろうか。帰ったらそれとなく伝えてみよう。


「この悪魔がぁぁアア!」


 エマの横を走り抜けた敵兵が私に迫ってくる。ひええ、威勢のよろしいことで。

 振り下ろされた剣を避けながら姿勢を落とし、ガラ空きになった敵兵の腰に抱きつくと、呪痕を思いきり解放してやった。腐敗の魔導元素がみるみる溢れ出していく。


「は、放せ――ギャァァアア!」


 魔導元素が兵士の鎧に染み込み、彼の体をあっという間に溶かしてしまった。うむ、我ながらおそろしい威力だ。ウサック要塞の城壁すら溶かしたのだから、兵士の鎧程度では防げないだろう。あらゆる魔術を犠牲にした代わりに生まれた腐敗の魔術、その力は使い勝手こそ限られるけれど、単純な威力は三級の域を超えていると思う。これなら準二級もすぐに上がれそうだ。

 他の兵士が後ずさった。いかに勇猛な西方蛮族といえども、鎧ごと溶かされるのは嫌らしい。


「すまないメヴィ、一人通してしまった」

「エマのせいではありません。この数ですから、全員を相手にするのは無茶です」


 こう見えて運動は得意なのだ。屋敷にいたころは人間離れした人形ドールたちと遊んでいたから、すばしっこさには自信がある。非力だから鎧を着て戦ったりはできないが、相手の攻撃を避けるのは得意だ。高台で戦っているおかげで敵に包囲されにくいのも良い。


「でも、ここで立ち往生するのはまずいです。制圧されるのも時間の問題――あら」


 前方で急速に膨れ上がる気配を感じた。まっすぐに私たちの高台を目指している。ルル婆ほどではないが、私やエマよりは明らかに格上だろう。


「まずいですエマ、一人だけ、怪物が迫ってきます」

「迎え打つしかないな。我々に退却は許されない。気を引き締めていこう」


 そうこうしているうちに敵が姿を現した。鎧の上に獣の毛皮を着た巨躯の戦士だ。その肉体は隆起した筋肉によって大きく膨れ上がり、人の背丈ほどもあろう大斧を片手で担ぎながら、口許に獰猛な笑みを浮かべて私を見ている。


「貴様が悪魔か! そこで待っていろ、今そっちに行ってやる!」


 結構です。返事の代わりに魔術を放ったが、彼はその巨体に似合わぬ俊敏姓で避けると、あっという間に高台の下まで到達した。私はすぐさま腐敗の棘で迎撃した。重力によって加速した棘は矢よりも速いが――。


「ふん!」


 彼は跳躍した。肥大化した筋肉が人間離れした握力を生み、足と片手の力だけで高台をよじ登ってくる。それも並みの速さではない。一挙一動が巨人のごとく豪快であり、自らの体を放り投げるような動きはまさに獣だ。


「く、黒熊だ……“黒熊”ボルドーだ……!」


 義勇兵の一人が叫ぶと同時に、ボルドーの手が高台をつかんだ。


「遅いのう! わしには止まって見えるわい!」


 黒熊見参。ドシン、と重量感のある音を響かせた。そのままの勢いで大斧を振り回し、近くにいた義勇兵の騎士を、後ろの魔術士ごと吹き飛ばした。体をあらぬ方向へ曲げながら落ちていく二人。あれは助からないだろう。

 これはまずい。ただでさえ不利な状況を、士気の高さでなんとか耐えていたのに、怪物の登場でかき消されてしまった。今も相対するだけで、黒熊の覇気がビリビリと肌を震えさせる。


「ひええ、西方蛮族も意地が悪いです。こんな隠し球を用意していたなんて」

「なんぞ厄介な魔術士がいると聞いてな。うかうか寝ていられんのだ。小娘が相手っちゅうのは予想外じゃがな」

「小娘なんで見逃してくれませんか?」

「それは無理な願いじゃのう!」


 黒熊が駆け出した。すぐさまエマが呪痕の出力を上げて盾を構える。先ほどまでは頼もしく思えた相棒の後ろ姿が、ボルドーを前にすると途端に小さく見えた。

 ボルドーは一切の小細工なく、大斧を振り下ろした。読み合いも何もない、ただの力任せによる一撃だ。されど受ければ鋼をも砕く威力。エマは瞬時に受けるのを悪手と判断し、受け流すためだけにすべての魔導元素を使った。


「グッ……!!」


 だが完璧に威力を殺すことはできず、エマの左腕から嫌な音が響いた。全力で守ってなお骨を折られたのだ。盾もひしゃげて使い物にならない。


「“腐敗の棘”!」


 相棒が作った隙を見逃さず、あらかじめ練っていた魔導元素を解放する。


「効かんわい!!」


 まるで小蝿をはたき落とすかのように、腐敗の棘がぱしんと消し飛んだ。魔術とはいわば魔導元素の塊。ボルドーは自らの魔導元素を手のひらに集中させ、私の魔導元素を打ち消したのだ。それだけボルドーの呪痕が強大である証。騎士や魔術士に関わらず、成長しきった呪痕は人を化け物に変える。この場にいるのは一匹の獣。城壁よりも強固な肉体をもつ黒熊。


 ――奉仕せよ。


 トクン、トクン、と心臓が跳ねた。

 今は他の仲間がなんとか高台を守っているが、私が負ければたちまち瓦解するだろう。頼みの綱のエマは負傷し、ポルナード君も黒熊が相手では敵わない。私が要なのだ。私が、体を張ってみんなを守るのだ。自覚すると体が震えた。緊張ではなく、武者震い。またとない機会に魔術士としての魂が喜んでいる。自然と口角が上がり、右腕の呪痕が呼応するように明滅した。ボルドーがけわしい表情で大斧を構える。


「なんじゃ……嫌なかおをしよる」


 嫌な貌だってさ。笑っているのにね。辛い状況でこそ笑えって昔、誰かが言ったけど、誰だっけ? 忘れちゃった。でも私は笑うのが下手くそだから、今の私はうまく笑えていないのかもしれない。

 どうだっていいことだ。だって心がこんなにも高揚しているのだから。仲間のために命懸けで戦う。たとえ一夜限りの戦友だとしても、我が献身をもって勝利をつかむ。戦う理由には十分だろう。闘志をたぎらすに足る戦場。


「ポルナード君、エマを連れて城壁へ下がってください」

「え、ちょ、なにを!?」

「他のみんなも任せましたよ」


 呪痕に力を込めて走り出す。迎え撃つは黒熊の大斧。


「不気味な小娘じゃ! 貴様は、ここで摘んでおく!」


 ぶおん、と冗談のような風切り音をあげながら、鉄の塊が振るわれた。まばたきも許されぬ剛速の一打。でも目で追えるうちは避けられる。私は大斧を鼻先でかわし、腐敗の棘を放った。ボルドーが「同じことを!」と叫びながら自らの呪痕で相殺した。


「怖いことを言いますね。か弱い乙女には優しくするべきですよ」


 腐敗の棘が効かないのは構わない。あくまでも時間かせぎであり、黒熊の足を少しでも止めるのが狙いだ。ボルドーは打ち消すために呪痕を消費し、しかも飛散した棘によって視界が遮られている。わずかな隙だが、戦場における隙としては大きい。

 すばやく懐にもぐりこむと、腐敗いっぱいの両手でボルドーを掴んだ。本当は鎧のない肩の関節を狙ったのだが、驚異的な反射神経によってボルドーの右腕が差し込まれた。まあ構わないだろう。彼の右腕に呪痕全開! 出し惜しみなんてしません!


「小蝿がァ……!」


 察しの良い男だ。彼は瞬時に私の力を危険と判断し、大斧を手放して直接殴ってきた。十三歳のひ弱な私は簡単に吹き飛ばされてしまう。ぎりぎり腕で受け止めることができたが、とっても痛い。ジンジン、なんてレベルじゃない。なんだか腹が立ってきた。

 でも、ボルドーも溶けた手甲が右腕と引っ付いて大変なことになっているからおあいこだ。あれは剥がすのが大変だぞ。うまくいけば右腕が使い物にならなくなるだろう。


「くぅぅ、この悪魔が、わしの右腕をォ……!」


 怒りに染まる黒熊。怖いからさっさと退場してもらおう。


「さよなら熊さん。たぶんあなたは丈夫そうだから、ちょっと強めにいきますね」


 私は両手を床につけた。高台は木で土台を組まれており、私はちょうど端っこに立っている。エマと他の義勇兵はすでに城壁へ下がっており、高台に残っているのは私と黒熊、そして巻き込まれないように遠巻きで構える西方蛮族だけだ。


「なっ……待て貴様!」

「ふふん、遅いです」


 高台に腐敗の魔術を思いきり放ってやった。赤黒い魔力は一瞬で染み込み、逃げる間もなく足場を崩壊させた。ちゃんと前方にだけ伝わるように魔導元素の糸を広げたから、私よりも後ろは崩れない。

 西方蛮族がぼろぼろと地面へ落ちていく。運が良ければ助かるだろう。でも鎧を着ているから難しいか。彼らに混じって落下するボルドーは顔を真っ赤にしていた。この程度で死ぬ相手ではないが、さすがに無傷では済まないと思う。


「今回は引き分けにしてあげます。まったく、西方蛮族は恐ろしいですねえ」


 痛む右腕をかばいながら、高台に残っていた敵兵を腐敗の棘で貫いた。ばったばったと倒れたり落ちたりする兵士を飛び越えて仲間と合流すると、なぜかポルナード君の顔が引きつっていた。頑張ったのにドン引きされるなんて辛い役割だ。


「エマ、生きてます?」

「私は、頑丈なのだ。死にたくないからな」

「良かったです。でも戦うのは無理そうですね」

「痛くて腕が上がらん……だが大丈夫だろう。ほら、あれを見ろ」


 エマが城門を指差した。直後、大きな爆発音し、雪崩のように城門から兵士が攻め込んだ。


「本隊のご登場だ」



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