第10話:ポルナード君は帰りたい

 

 僕は戦うのが怖い。ならば、どうして義勇兵になったかというと、体が貧弱なせいで力仕事はできず、かといって不器用だから職人にも向いていなかったため、唯一適性のある魔術士を選んだからだ。魔術士といっても様々であり、協会に所属して研究に力を入れる者もいれば、領主に雇われる者もいるが、金も実力もない僕は消去法的に義勇兵となった。

 だから無音の魔術を使えるようになったのは、僕の性格からすればこれ以上ない幸運だったといえる。隠密に長けた僕の魔術は義勇兵と相性がよく、駆け出しだった僕でもなんとか三級まで上がることができた。支えてくれたフィリップ様に感謝だ。


「おえ……」


 そんな僕はウサック要塞の城壁前で盛大に吐いていた。目の前には西方蛮族の死体が無数に転がっている。地面に叩きつけられて果実のように頭が割れ、飛び散った肉片やら眼球やらが僕の体にかかり、さもすれば、敵兵の苦しそうな叫び声が頭上から聞こえてくる。

 恐ろしい。これだから戦うのは嫌いなんだ。


「ここから先は時間との勝負です。さっさと城門を開けてフィリップ隊長と合流しましょう!」


 この恐ろしき惨状を生み出した悪魔が意気揚々と城壁をくぐった。まだ敵兵は突然の異臭に動転しており、僕たちの侵入に気がついていない。まさか城壁に直接穴を空けられたなんて想像もしていないだろう。

 城内は異変を聞きつけた兵士が走り回っていた。僕たちはあらかじめ西洋蛮族の鎧を着ており、一目で敵とはわからないはずだ。それでも僕は立っているのがやっとなほど震えた。今にも彼らが襲いかかってくるのではと思うと気が気でなかった。


「私とエマが先頭です。行きますよ」


 そう言ってメヴィは走り出した。エルマニア三級騎士、他の義勇兵、そして最後尾に僕が続く。見るからに挙動不審で怪しい集団だが、メヴィは堂々と西方蛮族の間を通って城門に向かった。思わず僕は隣の同僚に声をかけた。


「も、もっと慎重に行かなくて大丈夫なのか?」

「落ち着けポルナード。この混乱が落ち着く前に城門を開ければ、あとは本隊がなんとかしてくれる。逆に言えば、急がねえと俺たちは敵陣のど真ん中で孤立しちまうんだ。メヴィ隊長が時間との勝負って言ってただろ?」

「で、でもよお……」

「大丈夫、大丈夫だ。俺たちには隊長様がいる」

「お前……」


 隣を走る同僚がやけに盲信的な表情でメヴィを見ていた。彼もつい先ほどまでは僕と一緒に青ざめていたはずなのに、今はまるで覚悟を決めた騎士のごとくすわった目で前を向いている。

 彼だけではない。周りの空気がいつの間にか変わっていた。誰もが死を覚悟した作戦だったがゆえに、たった一人で惨劇を生むメヴィの姿がとても頼もしく見えるのだ。悪魔に魅了されたかのような仲間の姿を見て、僕は背中がブルッと震えた。戦場の狂気は伝染する。平常なのはたぶん、僕だけだろう。


 やがて前方に大きな鉄の塊が見えた。生半可な攻撃ではビクともしないであろう、ウサック要塞の強固な城門だ。内側に大きなかんぬきが差されており、あれを抜かないと城門を開けられないのだが、その守りは固く、近づくのも難しいほどの兵士が門の周囲を警戒していた。僕たちは高台から城門前の敵を見下ろした。


「ど、どうするんですか?」

「ふふん、慌てなさんなポルナード君。私には秘策があるのです。触らないと魔術が使えないなんて不便ですからね、こういう時のために新しい魔術を編み出しました」


 メヴィ隊長が両手を前にかざす。次第に周囲の魔導元素が集まり始めた。一般的に、魔導元素は魔術士の呪痕と触れることで色が変わり、魔力糸となって魔術士独自の魔術を編む。そして彼女の魔力糸は赤黒い。腐り落ちた肉塊のように不気味だ。思わず込み上げそうになった吐き気を我慢していると、メヴィは静かな声で呪文を唱えた。


「“腐敗の棘”」


 赤黒い何かがぎゅるぎゅると集まり始めた。あれはおそらく水だ。空気中の水が彼女の魔術によって腐ったものだ。

 腐敗した水は針のように鋭く尖り、直後、一本の槍となって射出された。黒く染まった魔術の槍が猛烈な勢いで城門に迫る。いち早く攻撃に気づいた兵士が盾を構えて防ごうとした。


「あ」


 腐敗の棘はそんな兵士ごと貫いた。腐り落ちるように兵士の鎧をどろりと溶かしながら、そのままの勢いでかんぬきに突き刺さった。

 かんぬきにも対魔術用の素材が使われていたが、彼女の魔術の前では紙も同然だ。腐敗の棘はかんぬきだけではなく城門をもつらぬき、穴の周囲を高温で熱したようにドロドロと溶かし、例の異臭を放ち始めた。


「な、なんだ! なにが起きた!?」

「攻撃だ! 城内に入られている、探せっ!」

「この匂いは一体……ギャァァアア!」

「あそこだ! 高台の上に魔術士がいるぞ!」


 僕は信じられなかった。鋼鉄とうたわれた城門をいとも容易く貫いた魔術も、それを見て動揺する敵兵と、当然と言わんばかりに鼻を鳴らす味方たちも、今も溶け続ける哀れな敵兵も、そんな彼らに「もういっちょ」と呟いて腐敗の棘を浴びせる幼き隊長も。


「わっはっは! 作戦成功です!」


 地獄を見下ろしながら彼女は笑った。見た目こそ十三歳の可愛らしい少女。だが、その内側に秘めた悪魔がほんの少しだけ顔を出した。周囲の仲間も興奮して「パラアンコ万歳! カタビランカ万歳! 魔女の弟子に万歳!」と拳を掲げている。彼らは戦場の空気に酔っていた。否、正確に表すならば、メヴィ隊長の生み出した狂気に酔わされていた。


「メヴィ隊長、敵の魔術が飛んできます!」

「魔術の対処はエマに任せます!」


 エルマニア騎士がすくい上げるような動作で盾を構えると、僕たちめがけて飛来した土塊を逸らすように防いだ。はじかれた魔術はあらぬ方向へ飛び、別の敵兵を巻き込んだ。


「私が前に出るから、メヴィは魔術に集中しろ!」

「頼もしい相棒です! あなたたちも、騎士は前へ! 魔術士を守るように展開!」


 エルマニアは先陣をきって盾を構えると、鎧の内側からにわかに光を放ちながら、飛来する魔術をことごとく防いだ。

 これが騎士の強さだ。彼らは左胸を中心に呪痕を刻んでおり、魔術を扱えない代わりに驚異的な膂力と治癒力を得る。三級騎士ともなれば並大抵の魔術でも耐えられるだろう。


「さあ、フィリップ隊長が来るまで頑張りましょう! 騎士は魔術士の防衛に専念! 魔術士は敵兵を狙ってください!」


 僕たちは十数名と思えぬほど士気が高かった。誰かの雄叫びが空気を揺らしながら仲間に伝い、もっと前へ、もっと殺せと背中を押した。まるで花火のように、無数の魔術が高台を飛び交った。防いだ魔術の余波が周囲の敵兵を巻き込み、戦場をさらに混乱させた。

 ふと城門に目を向けると、あちらも騒がしく魔術が飛び交っていた。フィリップ本隊が突撃を開始したのだ。

 戦場に流れが生まれる始める。勝機という名の流れ。一度傾けば逆転は容易でない。それを理解しているからこそ、西方蛮族も怒涛の攻めをみせた。高台にも次から次へと敵がのぼってくる。


「ひええ、敵が蟻のように集まってきますね。西方蛮族もここは落としたくないのでしょう。ですがこれも実績作りのため。どうか恨まないでください」

「ぼ、僕はどうしましょう……?」

「うーん、ポルナード君は音を操れるんですよね?」

「そうですけど、戦うには役に立たないというか……」

「こんな感じで、こう、音を一方向にだけ絞って、思い切り大きくできませんか?」


 よくわからないが、言われたとおりに魔導元素で道を作ってあげた。音が周囲に拡散しないように、まっすぐな筒をイメージする。


「そうそう、いい感じです。それを敵兵にぶつけてみましょう」

「は、はい……」


 彼女が示した先に、ちょうど高台へ登ろうとする敵兵がいた。僕は周囲の音を集めて凝縮し、敵兵にのみ届くように発動した。


「ガッ……!」


 敵兵は突如、はじかれたように頭を後ろへ倒すと、そのまま下へ落ちていった。突然の爆音によって意識が飛ばされたのだ。僕が驚きに両目を見開いていると、メヴィ隊長は満足げな笑みを僕に向けてきた。


「ポルナード君はセンスがありますね。よかったら今度うちの屋敷に来ませんか?」

「……遠慮します」

「そうですか、残念です」


 きっとこれは悪魔の誘いだ。僕は迷わずに首を振った。



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