第9話:夜中のピクニック
カタビランカを出発してから十日ほどが経った日の晩、いよいよウサック要塞の目前にまで迫った私たちは、囮となる主力部隊と、城壁を破壊する別動隊に別れた。私は別動隊を連れてウサック要塞の手前の森に入った。
深い森だ。鬱蒼とした木々が月明かりを遮り、私たち別動隊を完全な暗闇で包もうとする。魔術で作った明かりがなければ前後の感覚すら失っていただろう。
別動隊の数は十人ほどだ。警戒が薄くなる夜間に城壁まで接近し、私の魔術で内部へ侵入、それから城門を開けるという作戦になっている。正直、私の負担が大きすぎるが、あの猪のような男を説得する手段はなかった。
「なぜ軍が自分たちで要塞を攻撃しないか、メヴィは知っているか?」
「損害を出したくないからですか?」
「いや、それはもちろんあるが、そもそも攻撃するための戦力がないんだ。敗戦続きで兵士も資源も足りていない。だから西方蛮族なんて放っておくべきなんだが……」
「彼らはなぜか急にやる気を出した」
「不思議だな。なにか裏がありそうだ」
「貧乏くじじゃなければいいんですけどねえ」
「はは、もう引いているさ」
明かりで半分だけ照らされたエマの横顔はどこか固い。気丈に振る舞っているが、きっと彼女も緊張しているのだ。ここは隊長として仲間を励まさねば。
「夜の森ってなんだかわくわくしますよね」
「いいや、まったく」
「澄んだ空気って気持ちよくありませんか?」
「これは血の匂いだ。要塞が近いのだろう」
あれ。駄目みたい。
うーん、元気づけるって難しい。私はあまり他人に気をつかったことがないから、相棒や仲間たちが不安そうなときに、どうしたらいいかわからない。
「メヴィは平気なのか?」
「いやいや、全然ですよ。今すぐに帰りたい気分です」
「怖がっているように見えないが……意外とお前は図太い性格なのだな。隊長に向いているぞ」
「嬉しくないです……」
「喜んでおけ。お前は仲間に気を配れる、良い魔術士だ」
「ひええ、とんでもない」
エマが「その卑屈さがなければいいのだが」とため息を吐いた。そんな彼女は少しだけ顔色がよくなっており、後ろに続く義勇兵たちもどこか空気が和らいだ様子だった。やはり会話は大切だ。人は話さねば思考が下向きに沈んでいくのだ。
「あら」
だからこそ、私は頬を撫でる空気が冷たくなったのを感じたとき、無理にでも明るい調子でエマに話しかけた。
「超えてしまいました」
「なにがだ?」
「帰れるラインです。さっきまでは要塞の敵に見つかっても全速力で帰れば逃げられました。でも、ここから先は別。見つかったらおしまいです。あっという間に囲まれますよ」
後ろから息を呑む気配がした。エマも凍りついたような表情をしている。せっかく緊張をほぐしてあげたのに、これでは台無しだ。でも仕方がない。隊長として、状況は伝えねばならない。
ざわざわと木々が騒ぐ。一寸先の暗闇に敵が潜んでいるのではないかと疑ってしまう。仲間の足音がやけに大きく響き、誰かの荒い息づかいが緊張感を高める。誰も喋らなくなった。足取りも少し重くなった。
「ここから先は明かりを消しましょう。夜目が効く魔術士は前に出てください。騎士は味方から離れないように気をつけて。ポルナード君、準備はいいですか?」
「は、はい!」
ポルナード君は優秀な準三級魔術士だ。戦闘能力こそ高くないものの、彼の魔術はこのような作戦にとても向いている。
ポルナード君が小さく魔術を唱えると、私たちの周囲から音がなくなった。彼は音を操れる。非常に便利で有用な魔術だ。ぜひ教えてもらいたいけれど、きっと私は腐敗一辺倒だから使えないだろうね。
音がなくなり、明かりも消えた森は、いよいよ夜の世界になった。こんな状況でも進むことができるのは、魔術士が魔導元素の流れを読めるからだ。もちろんはっきりと見えるわけじゃないし、慣れていなければ歪んだ視界に酔ってしまうが、地形程度ならば魔導元素の跳ね返りで把握できる。
「エマ、もう少しで要塞ですよ」
声を発せられないため、ぱくぱくと口だけで言葉を送る。
「なに? 漏れそうだ?」
「違います、もうすぐです」
「かなりやばい? 悪いが我慢しろ。私も実は我慢しているのだ」
意思疎通どころか知りたくない情報が返ってきた。諦めて、はぐれないように彼女の手を引く。ふと頭上を見上げると、澄んだ夜空に星がたくさん輝いていた。こんなに美しい夜だ、どこぞの新聞屋も夜空から見ているかもしれない。
ぶんぶんと頭を振って現実に戻る。森の向こうにウサック要塞が見えてきた。見上げると首が痛くなりそうな高さの城壁が左右にずーっと続いている。この城壁には耐魔術用の素材が使われており、並の魔術では破壊できないそうだ。西方蛮族の技術力は素晴らしい。うちの国も彼らを野蛮人だと揶揄する前に見習えばいいのに。
「見張りの死角から順番に行きます。まずは私から。他の人はうまく隠れながらついてきてください」
見張り番が城壁上に立っているが、数はそれほど多くない。なにせこれだけ強固な城壁だ。あえて突破しようとするのは無謀であり、見張りは城門に集中させているのだろう。
彼らが視線を逸らした隙に城壁まで走り抜ける。まずは私とエマ。ポルナード君の魔術は城壁まで届かないため、自力で音を殺しながら城壁に張り付く。見張りに気づかれていないのを確認してから、順々に仲間を呼んだ。
「まずは第一関門突破ですね」
「しかし、これを本当に抜けられるのか?」
声を抑えながら、エマが疑うように城壁を触った。できるかと聞かれたら、初めてだからわからないとしか言えない。でも多分問題ない気がする。私の魔術って腐敗しかないけど、その代わりにすごく強力だから。
「無理だったら、どうしましょうね。ここからじゃ逃げられませんし。潔く捕虜にでもなりましょうか」
「怖いことを言うな。お前を信用しているんだぞ」
「ひええ、責任重大ですねえ」
ポルナード君が真っ青な顔で震えている。捕まったときを想像したのだろうか。そんなこと考えたって無駄なのに。未来のことは未来の自分に任せて、今を精一杯生きるのだ。
城壁に両手を当てた。ひんやりとした感触が返ってくる。そのままゆっくりと周囲の魔導元素を体の中に取り込み、右腕に刻まれた呪痕へ流し、自らの魔術へと変換させる。
「なかなか硬いですね。流石はウサック要塞。ですが――」
触れていた場所からしゅわしゅわと泡が立ち、しだいに城壁が崩れ始めた。その光景は少し現実離れをしており、周囲の仲間がなぜか引いたような表情をしている。ポルナード君なんて今にも吐きそうだ。人が頑張っているのに失礼な人たちである。平気な顔をしているのは相棒だけだった。
「三級魔術士の意地ってものを見せましょう」
しゅわ、しゅわしゅわ。
腐敗の毒素がゆっくりと城壁を侵食し、少しずつ穴を広げていく。よくわからない煙がのぼり、うっかり吸い込んでしまった見張りの敵兵が喉を掻きむしった。城壁上がにわかに騒がしくなる。それでも私は力を緩めない。しゅわ、しゅわしゅわ。敵兵の異変を見てしまった仲間が煙を吸わないように姿勢を低くした。賢明な判断だ。しゅわ、しゅわしゅわ。
「なんだこの匂いは!」
「おいどうした!」
「やめろ、こっち来るな……ガぁぁァアアア!」
近くで重い物体が地面にぶつかり、肉がつぶれる音と、骨が砕けるような音がした。一つだけじゃない。ぼとぼとと続けて落ちてくる。ついにポルナード君が言葉にならない悲鳴をあげた。幸い、頭上の喧騒に紛れて敵には気づかれなかった。
「うん……いい感じですね。これだけ広がれば十分でしょう」
大人が通れるほどの穴が空いた。一仕事を終えて満足である。誇るように振り返ると、なぜか仲間たちが真っ青な表情で目をそらした。でもそらした先にちょうど人が降ってくるものだから、悲鳴を上げながら何人かが尻もちをついてしまった。
「魔女の弟子とは恐ろしいな。ウサック要塞の城壁にこうも容易く穴を空けるとは」
「ふふん、ルル婆の教えが良かったのです。エマも気が向いたら屋敷に来てください」
「ハハ、恐れ多いから遠慮しよう」
乾いた笑みを返された。ルル婆の悪名は根強いらしい。
気を取り直して仲間たちと顔を合わせた。まだ私たちの役目は終わっていない。むしろ、ここから先が忙しくなる。
「さあいきますよ皆さん。仕事の時間です」
仲間を鼓舞していざ進軍。目指すは城門だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます