第8話:怖がらないで
意気揚々とカタビランカを出発した私たちだが、ウサック要塞まで十日ほどかかるため、途中の村で休憩を挟む必要があった。出発してから二日目の晩、私たちは川沿いにつくられた村に訪れた。小さな村だ。村人の数よりも義勇兵のほうが多い。全員が泊まることはできないので、フィリップを始めとした一部の義勇兵だけが村長の家に泊まり、他の義勇兵は野宿をすることになった。それでも外で見張りを立てながら寝るよりは安全だろう。
村の人たちは優しかった。きっと今までも多くの戦士がウサック要塞に挑むのを見送ってきたのだろう。私たちを激励するために小さな歓迎会をひらいてくれるほど、温かな空気に包まれた村だった。
「あら! あなたも義勇兵なの!?」
「そうですよ。こう見えて三級魔術士なのです」
「まあまあ、こんな小さな子がどうして義勇兵に……ううん、人それぞれだもんね……」
村に用意された猪肉の串焼きを頬張っていると、エマと同い年ぐらいの女性に話しかけられた。彼女はミレッタといい、村一番の技師の娘さんらしい。父親はよくカタビランカに出張しており、代わりに彼女が村の魔導具を修理しているそうだ。
「ミレッタさんはずっと村で暮らしているんですか?」
「そうだよ。本当は色んな街を巡ってみたいんだけど、ほら、ここは小さな村だから、私がいなくなると魔導具を扱える人がいなくなるんだ」
一般的な魔術士は呪痕で魔導元素を生成し、魔力糸と呼ばれる見えない糸を編んで魔術を使う。そんな魔力糸を魔導回路として組み込んだのが魔導具だ。魔導具は広く浸透し、田舎の農村であっても照明や農具に回路が組み込まれている。
「エマさんとメヴィちゃんはカタビランカ出身なの?」
「いいや、私は別の国から来た。実家が代々騎士の家系でな。鍛練を積むために義勇兵を選んだのだ」
「なるほどね。メヴィちゃんは?」
「私は旧シャトルワース領です」
「シャトルワース!?」
「知っているんですか?」
「もちろんだよ! なにせ“魔女に滅ぼされた街”だもん!」
ぱちぱち、と焚き火が燃えた。食べようとしていた串焼きの手が止まる。いつの間にか月が雲に覆われ、村をいっそう深い暗闇で包み、野鳥の鳴き声が遠くで聞こえ、肌寒い夜風が頬をなでる。そのなかで焚き火に照らされるミレッタの横顔は、ひどく憎々しげに歪んでいた。
「有名な話だよ。なんだったかな、たしか、シャトルワースって優秀な魔術士がたくさんいたの。特に精霊術が盛んに研究されていて、パラアンコの軍隊にもあそこの出身の魔術士がたくさんいたんだって。でもある日、魔術士の中から魔女が現れた。それが“輪廻の魔女”」
「どうなったんですか?」
「詳しくは知らないけど、領主は殺され、街の住民も多くが犠牲になったらしいよ。領主の娘さんは潜在的な魔力が高くて、未来のパラアンコを背負う魔術士になるって期待されていたんだけど、今も行方不明なんだって。当時は八歳だったかな……ひどい話だよね。魔女が現れなかったら、優秀な魔術士がたくさん生まれて、戦争に負けることもなかった。そうしたら、村の暮らしはもっと楽だったのに」
敗戦のしわ寄せは立場の弱い農民にいく。税がつり上げられ、自分たちの食事すら満足にまかなえず、飢える民のなんと多いことか。パラアンコは荒れている。西方蛮族という内紛すら満足に鎮圧できないほどに。
「……」
エマは黙々と食事をしていた。彼女はあえて語らないのだろう。国の事情も、私の出自も知っているからこそ、無意味な争いを避けるために口を閉ざしている。素晴らしい相棒だ。あとで感謝を伝えよう。
「メヴィちゃんも大変だったね」
ミレッタに哀れみの目を向けられた。彼女はおそらく私のことを、シャトルワース領の生き残りだと勘違いしているのだろう。ごめんなさい。口には出せないけど、私がルル婆の代わりに謝ります。騙していることとか、苦しい生活を強いられていることとか。
ルル婆はきっと良い人ではない。だって魔女だもん。善良な魔術士なら隠れて暮らす必要はないし、恐れられることもない。でも、私はルル婆に拾われた。暗くて寒い輪廻の海からすくい上げてくれた。だから、ルル婆の一番弟子として、心の中で謝るのだ。
「あ、お父さん」
ミレッタが嬉しそうに手を振った。ひげもじゃで背の低い男がいる。彼がミレッタの父親だろう。「帰ってきてたんだ。ちょっと行ってくる。また話そうね」と残してから、彼女は父親のもとへ駆け寄った。並んでも親子に見えない二人。たぶんミレッタは母親似だ。
エマと二人になった。宴もたけなわ、酔いつぶれた義勇兵が遠くで寝転がっている。せっかく英気を養うつもりだったのに、私のせいで湿っぽくなっちゃった。だからごまかすようにお酒をついで、相棒にもお酒をすすめて、かちん、と小さく乾杯をした。相棒は私がお酒を飲むのを一瞬だけ止めようとしたが、結局許してくれた。
「エマも怖い?」
何がとは言わない。少しずるい聞き方だ。魔女がとか、私がとか、今回の任務がとか、受け取り方はエマに任せた。
「怖いのは、死ぬことだけだ」
エマも曖昧な答え。でもなんだか嬉しくなったから、私のぶんの猪肉をエマにわけてあげた。彼女は騎士だから私よりもたくさん食べないといけないはずだ。私は空腹に慣れているから大丈夫。でもエマが「本当にいいのか?」と申し訳なさそうにするから、むりやり彼女の口に押し込んだ。そうしたら美味しそうにもっきゅもっきゅと食べ始めた。
悪くない夜だ。ほどよい緊張感とお酒の酩酊感がまざって、ふわふわと幸せで、風は冷たいけど、
それから酔いに任せてルル婆の話とか、魔術の話とか、逆にエマの実家についてとか、眠くなるまでたくさん聞いて話したけど、起きたらほとんど忘れていた。でも心はとっても軽かった。
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