第2話:厄介な新聞屋さん
翌朝、目覚めた私は埃のたまったベッドからおりると、古びた姿見鏡の前に立った。眠そうな幼子が映っている。
目はそこそこ大きいだろう。八歳であるため背丈はちんちくりんだが、藍色に近い深緑の髪は我ながら綺麗だと思う。森の渓流を想像させる落ち着いた色合いだ。しかし、いかんせん地味である。このまま成長しても十人並みの町娘になる予感しかしない。そもそも、これが自分だということに違和感があるのだ。私の髪色はもっと黒かった気がする。
「そろそろいいですか?」
「わぁぁああ!」
急に後ろから声をかけられたため、思わず叫び声を上げてしまった。
立っていたのはセルマだ。ひねくれ
「無言で部屋に入らないでくださいよ」
「魔導士ならば気配を感じてください。さあ、ルーミラ様がお待ちですよ。お小言をもらう前に早く降りましょう」
「ルル婆が?」
「ルル婆……」
少年がきょとんと目を瞬かせた。愛称があったほうが仲良くなれそうだし、「ルーミラ・ルー」だからルル婆と呼んでみたのだけど、なにかおかしかっただろうか。
「婆……そうですね、ルル婆が、お待ちです」
少年は「婆」の部分を強調するように言った。よほど気に入ったのか、唇の端がわずかに上がっている。小間使いが呼ぶのは少々問題がありそうだが、私が注意するよりも早く、彼は口許を歪めたまま部屋を立ち去った。直後、パタパタと上機嫌に走っていく音がする。
「まあいいや。私は知りませんよーっと」
小間使いはご丁寧に着替えを用意してくれており、袖をとおすとまるで計ったかのようにピッタリだった。色は黒。腰回りをキュッと閉めたシルエットが可愛らしい印象を与える。膝までありそうな長いブーツを履き、フリルがついた袖先の紐を閉め、スカートをふわりと揺らして立つと、魔術士見習いに相応しい格好になった。ルル婆は気難しそうな人物だが服のセンスはあるようだ。
食卓に向かうと、ルル婆は先に朝食を食べ始めており、セルマがまるで執事のように彼女の後ろで立っていた。
「ようやく起きたのかい。師匠を待たせるんじゃないよ。それに魔術士があまり長く寝るもんじゃない。そのうち覚めなくなっちまう。長生きしたいなら、わしみたいに早起きを心がけるんだよ」
「人間という種族は大人になるにつれて眠りが短くなるのです。つまり、それは歳でしょう」
「ひねくれ
仲のよろしい主従関係を横目にしながら椅子に座り、私のために用意された朝食をそそくさと食べ始めると、ルル婆は「遠慮のない弟子じゃな」と面食らった様子だった。
「改めて名乗ろうか。わしは魔導の最高峰、魔女ルーミラ・ルーじゃ」
ルル婆が誇らしげに魔女を名乗った。たしか二つ名があったはずだ。
「えーっと……枯れ木の魔女でしたっけ?」
「輪廻の魔女じゃい」
やだなあ、冗談じゃないですか。そんな怖い顔をしないでください。
私の思いが通じたのか、ルル婆は「ふん」と鼻息を鳴らした。
「食べながら聞きな。おぬしは魔術士になる。じゃがわしは弟子をとるのが初めてじゃ。加減なんてわからんし、おぬしには理解が難しいかもしれん。それなりの無茶は覚悟をしておけ」
「そもそもルル婆は人と関わりませんからね。私がこの屋敷に暮らし始めて結構経ちますが、訪れた人は数えるほどでしょう」
「……ちょっと待ちなセルマ。そのルル婆ってのはなんだい?」
「メヴィ様がそう呼ぶように、と」
言っていない。断じて言っていないが、ルル婆に睨むような視線を向けられた。
それから食事を終えるとルル婆の部屋に映り、魔術士に関する基礎的なことを教えられた。
いわく、すべての魔術士は魔導協会に加入しなければならないらしい。魔術士間の連携を取りやすくするため、というのが表向きの理由だが、一番の目的は「新たな魔女が生まれるのを防ぐこと・もしくは魔女の誕生を事前に察知すること」である。つまり、それだけ魔女は恐れられているのだ。
そもそも魔術は人間の感情と強く結びついており、扱える魔術の強さは人それぞれが抱く感情によって異なる。簡単にいえば、強い願いをもつ者が強い魔術士になれる。そして、魔術に傾倒するあまり、常軌を逸した力を手にした者を魔女と呼ぶ。
魔女は天災だ。
彼女たちは常人から外れた者たちだ。魔女は国に縛られない。魔女は常識に縛られない。自らの利害のみで判断し、時には一国と争えるほどの化け物となる。
「修練を繰り返せば呪痕は成長するが、それだけでは魔女にならない。魔術士と魔女の間には大きな壁があり、なにがきっかけで魔女になるかは不明じゃ。これを見てみい」
ルル婆がローブを脱いで背中を向けた。
「ルル婆のお色気姿は見たくないです」
「あほをぬかせ。背中の呪痕を見ろと言っているんじゃ。文字が刻まれているじゃろう?」
ルル婆の呪痕は背中にまで広がっていた。そして、呪痕の最終点が文字のような形になっている。
「ルー?」
「呪痕が最大まで成長すると、宿主に相応しい名前が背中に刻まれる。わしの場合は“ルー”。じゃから、ルーミラ・ルーじゃ」
「どうすれば魔女になれますか?」
「おぬしは魔女になりたいか?」
「うーん、どうでしょう……」
ルル婆がローブを羽織りながら問うた。ルル婆が誇らしげにしているから、きっと名誉なことなのだろう。魔女になりたいか、と聞かれてもまだわからない。なにせ目覚めたばかりなのだ。許してくれ、私はまだ八歳である。
「魔術を学びながら考えます」
「ふん、悠長じゃな。まあそれでいいじゃろう。おぬしに魔女の素質があるならば、否応がなく魔女になる。魔女ってのはそういうもんじゃ。なりたくてもなれず、なりたくなくても魔女になる。おぬしもそのうちわかるじゃろう」
「魔女になりたくない人もいるんですか?」
「もちろんじゃ。むしろ魔女は嫌われ者じゃよ。一般人は言わずもがな、魔術士だって普通は魔女になりたがらない。魔女は人を害するからの」
「ひええ、ルル婆は悪い魔女ですか?」
「カカッ、魔女に善悪なんてないわい」
私はまだ、ただのメヴィだが、いつか魔女の名を背負う日がくるのだろうか。もし魔女になるなら格好良い名前がいいな。自分で決められないのだろうか。変な名前が背中に刻まれたらちょっと恥ずかしい。
そんなことを考えていると、急に部屋の中が暗くなった。まだ外は明るかったはずなのに。
「珍しい。奴がわざわざ来るなんて」
ルル婆が手を止めて窓を睨んだ。外が黒く塗りつぶされている。こんなに暗い夜は知らないというほど深い闇だ。
やがて窓枠がかたかたと震え始めた。なにかが来るのだろうか。「ふええ、怖いですう」なんて言いながら、私はしれっとルル婆の後ろに回り込んだ。いざとなればルル婆を盾にしよう。
やがて窓が勢いよく開かれた。夜が溶け出したかのように黒い霧が部屋の中へ広がり、霧の中から魔術士が現れた。
暗い目をした男だ。ひどい隈と痩せた体、青白い肌に星のような瞳。街を歩けば誰もが不審者だと判断しそうな風貌である。彼は部屋を一瞥して「ふん」と鼻を鳴らした。
「失礼するよルーミラ。相変わらず汚い部屋だね。君は使用人がたくさんいるのだがら、彼らに掃除をさせたらいいだろう」
「黙りなルドウィック。わしの
「おや、君が例の弟子ちゃんかい。可愛らしい女の子じゃないか」
「話を聞けい、死に損ない」
不健康な見た目とは裏腹に陽気な口調で話している。
「初めまして、僕は“
「ルル婆の弟子になりました、メヴィです」
「ルル婆……おいルーミラ、君もついに婆と呼ばれるようになったのか。ハハッ、これは傑作だ。明日の魔女新聞に新しい記事を加えないといけないな」
「魔女新聞?」
首をかしげて問い返すと、代わりにルル婆が答えてくれた。
「こいつは新聞屋じゃよ。毎晩、新聞配達と称して人の家に土足で入る無法者じゃ。いつもならこいつの使い魔が届けに来るんじゃが、今日は本人が来てしもうた。まったくもって厄介じゃ」
「そりゃあ君が初めての弟子をとったと聞いたからさ。ほら、見てくれよ。今晩の新聞だ。一面は君、新たなる魔術士メヴィを歓迎せよってね。これで一躍有名人だ」
なるほど、たしかに厄介だ。私の名前が勝手に使われているのだから。せめて名前を載せるならば使用料をもらいたい所存である。ルル婆がいまだに「ああ厄介じゃ、厄介じゃあ!」と叫んでいた。
魔女新聞の内容は、私の記事さえ気にしなければ面白いものだった。前哨都市に新しい魔導触媒屋が開店したとか、ひどい大雨で北の街が沈んだとか、“夢見の魔女”の目撃情報、もしくは隣国との戦況、などなど。
「挨拶が済んだのならさっさと帰りな。おぬしがいると他の魔女からいらぬ反感を買ってしまう。ああ、新聞は置いていけ。それと次からは使い魔に来させるように」
「……聞いたかい、メヴィ。君のお師匠様はこんなにも性格がひねくれているんだよ。来客を追い返すくせに新聞は置いていけだなんてひどいと思わないか?」
「おいセルマ! 客人……いや、無法者が帰るそうじゃ! 屋敷の外へ見送ってこい! ちゃんと居なくなるのを確認するんじゃぞ!」
「おおっと、ひどい扱いだよ、僕がせっかく会いに来たのに……ああメヴィ、ここが嫌になったらいつでも新聞屋においで。うちはいつだって人手不足だ」
「考えておきますね」
「相手にするでないメヴィ。そやつの話をまともに聞いたら耳が腐るわい」
「あっはっは、それじゃあまた、星がまたたく深い夜に会おう」
そう言って彼は再び窓から帰ろうとした。
しかし、なにか思い立ったように足を止めると、意味ありげな微笑を浮かべながら私に振り返った。
「世界は神秘と悪意に満ちている。いや、悪意は語弊があるか。害意、そうだ、害意だ。魔導とは人を害ある獣に変えてしまう。ゆめゆめ、気をつけておくんだよ」
忠告するルドウィック。その心配するような言葉とは裏腹に、彼の瞳には愉悦の光が宿っていた。彼の体を黒い霧が包み隠していくなか、魔女の瞳が星のように輝く。ルドウィックの言葉に善意はなく、悪意もない。ただただ、私という新たなる魔術士の誕生を楽しんでいるようだった。
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