第5話 パチスロ
セミナー会場にいくと、まず受付を済ませ、会場入りした。会場は、テーブルに椅子という形のところで、横3列、縦に10列くらいで、テーブルにはパンデミックもあるので、両端に一人ずつということになっていた。
だから、セミナーの上限は50人ということであったが、畠山が到着したのは、ちょうど開場時間の、せみあー開始、30分前で、まだ、数人しか来ていなかったのだ。
最初から来ていた人は、皆ビジネススーツを身にまとい、男女ともに、落ち着いて見えた。
「セミナー経験が豊富なのかな?」
と感じたが、きっと、そうなのだろう。
実際に会場入りすると、早く来ていた人は、申し合わせたわけではないのだろうが、皆前から詰めていく。したがって、後から来た人は、自然と前から詰めるようになるので、最期に席が埋まった時、大体どの順番で入場したのかということが分かるようになっているようだ。
最初は、7人くらいが、待っていた。
この7人が(自分を含めてであるが)多いのか少ないのか、正直分からなかったが、前一列のすべてが埋まっているのだから、多いといってもいいだろう。
その証拠に、入場してから、しばらくは、誰も来なかった。最初から入場の時間を目指してきているわけだから、計画通りということだろう。
しかし、中途半端な時間、しかも、前半というのは、中途半端である。
開始前10分や15分というと、待ち合わせでも、
「待ち合わせ時間の少し前に行くようにする」
という、その少し前という基準が、10分から、15分前だと畠山は思っていたので、待っている人の様子を見ると、各々のことをしてはいるが、15分くらい前から、後ろを気にし始めている人もいる。
「最初は、皆同じような性格なのかと思ったが、こうやって見ていると、人それぞれなのではないか?」
と感じるようになっていた。
後ろを気にしている人は、2人だけだった。男女それぞれで、見た感じ、フレッシュな感じが伝わってくるので、会社では、まだ新入社員なのだろう。
他の人はそれなりに落ち付いているのを見ると、畠山は、
「自分ほど年齢がいっているようには見えないので、30前後くらいなのではないか?」
と思えたのだ。
会社では、まだ、第一線の中での一番の先輩というところか。これから、主任クラスにになり、部下の指導をしなければいけない立場として、研修やセミナーに、積極的に社員を参加させようという、そんな会社なのかも知れない。
テーブルの上には、その日の教材が置かれていたので、早く来た人は、教材を見ていた。
もちろん、畠山も教材を見たのだが、その教材というのは、やはり、スマホの機能の説明というよりも、スマホのアプリごとに、図解がされていて、いかに利用すればいいのかということの解説が書かれていたのだ。
たとえば、LINEや、SNSなどのアプリ、ニュースのアプリ、さらには天気予報や、災害発生情報おアプリ、ゲームのアプリなど、多岐にわたっている。
最近、スマホを手にした自分には、却って、興味深いところであった。
あまり詳しくはないが、少しは興味のあるところなので、情報が得られる感覚は有難かったのであった。
何に興味があるというわけではなかったので、それぞれ、流し見をしているような感覚で見ていた。
それぞれを、まるでフローチャートでも見ているような感覚だったが、ちょうど、パチンコはスロットなど、機種の説明書きが、台の横に掛かっている、あのフローチャートに似ている。
つまり、
「どうなれば、高確率モードに行こうするか?」
あるいは、
「そうなれば、チャンスになるのか?」
などで、大当たりすれば、大当たりが終わって、どんなモードに突入し、大当たりすればいいが、どうなれば、高確率モードから転落しているか?
などということも、描かれている。
しかし、それはあくまでも、一般的なものであり、実際にやっていると、何ゲームくらいのところがチャンスなのかだったり、どのような演出が出ると、それが確定演出なのか? というようなことは、パネルには載っていない。
口コミのようなチャット形式のところに書かれていて、それが、一種のSNSでいうところの、ツイッターや、昔あったブログ形式のものだったりするのだ。
あとは、
「攻略本」4
なるものが出ていたりするのだが、元々はゲームなどの攻略本というものがあった。
畠山はゲームはしないので、ゲームの攻略本というものの理屈が分からない。
元々、パチンコもしたことがなかった時、
「攻略本というのがあってな」
と、パチンコに嵌っているやつから教えてもらったが、
「攻略本というのは、別に大当たりしたり、勝つためのものじゃないんだ。どちらかというと、負けないために見る本だということなんだ。つまり、台の特性を知っておけば、どのような状態になれば、当たりやすいかとかな? あるいは、その状態で当たる気配のない時は、その台を辞める時だとかいうことを知っておくと、深みに嵌らなかったりするだろう? そういう意味で、機種の特性を知るというのは、大切なことなんだよ」
というのだった。
その話を聞いて、パチンコに興味を持ち、討ち始めたのだが、
「なるほど、あいつの言っていたことはこういうことか?」
ということであった。
機械には、ゲーム性というものがあり、いろいろな演出がある。その演出も何種類かあって、その演出が出た時、大当たりする確率が高い場合などの確率が、台を研究している人が解析して、それをまとめたものが、攻略本になるということを教えてくれた。
なるほど、攻略本を見ていると、例えば、リーチの種類がいくつか書かれていて、そこに、
「大当たり確率が、30%」
などと書かれている。
台の横にあるパネルにはそこまで書かれていない、書かれているとしても、大当たりの高い順番が書かれているくらいだ。
なぜそんなことになるのかというと、
パネルはメーカーが台と一緒に納入するもので、出荷、つまり、店に置かれる時点でパネルは、用意されることになる。
しかし、確率というものは、その時には誰も分かっていない。なぜなら、確率は市場に出回ってから、解析する人たちが実践して集めた情報によるものだからである、
大体の目安はメーカーも持っているだろう。何しろ、それくらいの確率で当たるように計算して作っているからである。
しかし、あくまでもパチンコ、スロットは確率なので、メーカー発表と、実践とでは開きがあるだろう。
そういう意味では生の機械の特性を見ての確率なので、解析の方があてになる。だから、最初よりも、ある程度解析が出てからの方が、客が打ち始めるということもあるに違いない。
そんな状態を考えてみると、パチスロにおける確率というのは、結構難しいものである。
なぜなら、パチスロというのは、
「完全確率方式」
というものを取っているからであった。
完全確率というのは、一度回した時、例えば、100分の1の確率だった場合、その時に当たらなければ、次に回した時、99分の1になるわけではなく、またしても、100分の1だということだ。だから、100回回して、当たらずに、回した時も、また100分の1だということだ。
まるで、
「どこを切っても金太郎」
という金太郎あめのようではないか?
要するに、この状態であれば、
「100分の1」
というのは、
「100回回せば、必ずどこかで当たる」
というものではない。
本当に金太郎あめのようなもので、
「どこを切っても、100分の1の確率なのだ」
ということである。
分かりやすくいうと、おみくじのようなもので、神社で筒のようなものから出た棒の数字が、そのくじだったりするわけだ。この時、この時、一度引いたくじを、筒の中に戻すか、そのまま、1本少ないかたちで行うかということになるのだ。
もし、またもとに戻すとすると、分母が変わるわけではないので、何度引いても、それは、観世確率になる。つまり、最初に引いた数は、いくらやっても、同じ確率なので、棒が50本あった場合、一発で引き当てることもできるが、下手をすると、ずっと当たらない可能性もある、1000回やっても当たらないということも、可能性としてはあるのだ。
これは、ゲームが好きな人であれば、
「黒ひげ危機一髪」
などのゲームで言えば、分かりやすいのではないだろうか?
剣を差す人だけが見ていて、他の人は見ていなかったとして、一度刺した場所の剣を引き抜いて、見ていなかった人がどこを差すか。これと同じことである。下手をすれば、10人連続で、同じところを差すことになるかも知れない。そう思えば、ずっと黒ひげが飛び出さないという可能性だってあるのだ。
普通の遊び方であれば、必ず、差す穴の数までには絶対に黒ひげは飛び出してくる。これが完全確率とそうでないものの違いなのだ。
もう一つの考え方として、双六などをやっていて、
「ゴールに入る時のルールをどうするか?」
で、決まってくることもある。
要するに、最期、オーバーしても、ゴールと認めるか? それとも、ちょうどの数を引かないと、オーバーした分は、後戻りするというようなやり方であれば、前者は、先に進んだ方が絶対的に有利だが、後者では、いくら先に進んでいても、ラストでちょうどを引かないと勝てないということになる。後者の方が完全に、運任せということになるのではないだろうか?
後者の方が、ギャンブル性がある、つまりは、
「完全確率は、ギャンブル性に満ちている」
といってもいいかも知れない。
そう考えると、やはり、
「パチスロというのは、娯楽性のあるゲームではなく、ギャンブルなのだ」
といえるのではないだろうか?
そういう意味で、攻略本というものの存在は必要なのだ。
それも、完全確率という、可能性を考えれば、
「一日打っていても、大当たりがない」
ということもあるだろう。
しかし、スロットのほとんどの台は、それはない。なぜなら、
「天井」
というものが存在するからだ。
これは、天井のゲーム数が決まっていて、例えば、1000ゲームが天井だとすれば、もし、前の大当たりから、あるいは、朝一からのうちはじめから、1000ゲームあたりがなかったとすれば、
「必ず大当たりする」
という、いわゆる救済措置である。
パチンコにはそれはない。
今の機種には、スロットでいうところの、
「天井」
に近いようなものはあるが、それは、チャンスゾーンというだけで、必ず大当たりをするというわけではないのだ。
そういう意味で、当たらない時はまったく当たらないのだが、その日の機械によっては、大連ちゃんすることがある。
つまり、
「大当たりが繋がるフラグを引いてしまった」
というわけである。
そうなると、もう辞められなくなってしまう。
大当たりが終わって、通常に戻って、30ゲームも回していないのに、大チャンスになり、またあたりがくる。そんなことが、30、40回と連荘するのだ。
パチンコをする人は、この時の夢が忘れられないのだ。
どんなに当たらなくて、一日中、回しても一度も大当たりしなかったという記憶よりも、大連ちゃんした記憶の方が頭の中に大きく残っている。
つまり、
「それだけ、大当たりが連荘する方が、当たらない時よりもはるかに少ないということであろう」
麻雀で、マンガンくらいはいくらでもあたりが、役満ともなると、そうもいかない。
「何かよくないことが起こる前触れか?」
などということで、役満を当たった時は、厄払いと称して、他の人に食事を振る舞うくらいのことをしないと怖いというくらいであった。
これは、確率ということで片付けるのは難しいだろう。そもそも、麻雀は確率のゲームではないからである、
パチスロのように、確率を求めるもので、その数字と、演出が分かっていないといけないものだ。
そうしないと、辞め時が分からなくなり、最後まで追いかけてしまい、最悪の形になりかねないからだ。
それでも、たまには、大連ちゃんする。その時の記憶だけが残っているということになると、どんなに、負けても、懲りないということになってしまう。
そうなると、
「ギャンブル依存症」
というのは、パチスロでは深刻な問題になるのだろう。
そういう意味で、攻略本は、
「命綱」
でもある。
ただ、攻略本を信じて、
「これで勝てる」
などと思ってしまうと、まず間違いなく、痛い目に遭うことだろう。
この確率は、
「激熱」
の文字が液晶に出てきた時くらいの確率ではないか。
まず、80%は超えているといってもいい。
しかし、この80%をどう感じるかである。
「外れたら、ショックで立ち直れないレベル」
というべきか、
それこそ、その時がやめ時といってもいいだろう。
しかし、80%というのは、分数で考えると、5分の4である。
つまりは、5回に1回は外れるのだ。
ということは、100分の1の確率の台であれば、単純に考えて、
「500回回せば、外れてもおかしくはない」
ということになり、
「それが、今回なのかも知れない」
といってもいいだろう。
500回転くらいであれば、一日回していれば、数回は来ることになる。そうなると、外れることは、一日に何度かはあるわけだ。
「これを本当に激熱といってもいいのだろうか?」
と思うのだった。
確率の問題は、正直、誰にも分からない。制作したメーカーも、最初に、
「大体100分の1を大当たり確率にする」
といって製作するのだが、その通りに作れば必ず誤差が出る、
そのために、何度も試して、分母を大きくしたところで、分子のあたりの確率を、いかに、
「通分して、100分の1にするか?」
ということが大切なのだ。
「それだけに、完全確率というものは、制作において、どれほど難しいということなのか?」
ということになるのだ。
さらに、そこに演出のパターンが絡んでくる。ゲームをするユーザーが頭を悩ますのだから、機種を生み出す製作者がそれ以上の頭脳と、苦労によって作り出されるのが、パチスロというものなのか?
ということを考えると、
「実際に作り出した人も、解析する人も、それぞれい大変なんだな」
と思わずにはいられない。
そんなことを考えながら、畠山は、テキストを見ていたのだった。
畠山がパチスロに嵌ったのが、演出と確率の問題だということを自分で分かっていた。
しかし、分かってはいたが、実際に皆がどこまで考えているのかが分からないので、自分も、
「パチンコというギャンブルに嵌った」
と思うようになったのだ。
ただ、畠山がパチスロが好きだとは言っても、いろいろな台を打つわけではない。
パチンコにしても、スロットにしても、自分の好きな台があるわけで、それ以外の台で遊ぶことはなかった。
パチンコもスロットというのも、免許期間のようなものがあり、そのほとんどが、3年であるという。3年経てば、一般的には、店に置いていてはいけないことになる。
パチンコというのは、警察に認可された台でなければ、店に置くことができない。
つまり、新台入れ替えの時などは、必ず警察が立ち会って、不正がないかをチェックしている。
だから、警察も閉店後に新台入れ替えをチェックするのだから、大変だ。
店によっては、2週間に一回という頻度で頻繁に行うところもあれば、2,3カ月に1度、新台が出る季節に合わせて入れ替えをする店もある。
それは、店の規模と、利益によるのだろうが、基本的には、入れ替えが激しいからといって、店が儲かっているというわけではないだろう。
昔であれば、本当にパチプロという人たちがいただろう。
昔は釘師のような人がいて、釘の角度で、球がアタッカーに入るかどうかが分かった。
ただ、それは、昔の羽根ものと呼ばれるものであり、一度入ると、何秒か開きっぱなしになるというようなものもあったりした。
しかし、今はアタッカーに入ると初めてデジタルが回り始めて、そこから抽選が行われ、演出が発生するのだ。
確かに、アタッカーにたくさん入り、回転する台が、
「いい台だ」
ということで、討ち続ける理由にはなるだろう。
要するに、1000円で購入した球で、何回転したか?
ということが、台選びで有効な手段となるのだ。
スロットの場合は、コインの数で回転は決まるので、回転の多い少ないはありえない。
だから、どのような演出が最初に頻繁に出てくるかということで、ここからは勘なのだが、大当たりに繋がるかが決まってくるのだった。
スロットには、6段階の
「設定」
というものがあり、
あらかじめ、設定しておくと、6に近づくにつれて、当たりやすくなるということだ。
つまり、設定によって、確率がいくつなのかということが、解析されていると、台選びの根拠になるというものだ。
しかし、設定は店長しか分からず、その日が終わっても、公表されることはない。
「今日のあの挙動だったら、設定は4くらいかな?」
という予想をして、翌日、店長の設定がどっちに動くかを予想し、打ちに行くというのが、
「パチンコ、パチスロというギャンブルの醍醐味だ」
といってもいいだろう。
それを思うと、朝一の設定推測が重要になるわけだが、このあたりは攻略本に乗っているものもあれば、あくまでの打ち手の勘ということもある、解析する人たちは、その存在を信じて、解析をしているのだ。
パチンコライターのような人たちがいて、パチンコ番組などで、実践を行い、攻略本に乗っているようなことを解説しながら、実践してくれているのは、パチンコファンとしてはありがたい。
昔のような単純な台では、釘が大切であったが、今に時代は、機械にはロムが入っていて、それが、人工知能のような働きで、大当たりを演出したり、確率を生かした演出を出したりしているのだ。
だから、パチプロも、勘というものが大切になるというのも分からなくもないことであろう。
そんなパチンコのことを思い出していると、今回のテキストも、勝手に確率や演出が頭に描かれてしまう。
ただ、今回はスマホというあまりよく分からないものであるだけに、
「スマホもパチンコのように、確率や、演出のような楽しみがあるのかも知れない」
と感じるのだった。
そんなことを考えていると、30分など、あっという間だったのだ。
最近は、パチンコもスロットも行かなくなった。
最近というより、行かなくなってから、1年以上が経つ。
最初は寂しいという思いがあったのだが、畠山の場合は、他の人のような、
「ギャンブル依存症」
ではない。
いや、ギャンブル依存症なのだが、同じ依存症でも、
「パチンコが打ちたい。スロットが打ちたい」
というわけではない。
彼の場合は、気に入った機種があれば、それしかしないという特徴があった。
つまりは、パチンコを演出であったり、確率として考えているのだ。だから、いろいろな機種があって、演出もたくさんあり、大当たりのパターンもいろいろあるから、確かに最初パチスロに嵌った時は、どんな機種でもいいというわけではなかったが、好みの機種の幅は広かった。
スロットなど、AT機が好きだったりしたのだ。
「AT機は、どちらかというと荒い機種が多く、ギャンブラーには向くかも知れない」
と言われていた。
今のスロットというのは、どんどん、ギャンブル性が失われている。
規制がかかる台が多いというのか、大当たりが続いたとしても、
「2400枚までしか出ない」
ということになっている。
昔であれば、
「0ゲーム連で、5000枚なんていう奇跡的なことが、年に一度くらいはあったものだったんだけどな」
と、いう時代が懐かしい。
今は、リプレイが結構出たり、ベルが並んだりして、
「コイン持ちがいい」
という台も多かったりする。その分、大当たりが、
「しょぼい」
のだ。
これは、パチンコにも言えることで、
「ST状態で、次の大当たりまで、嵌れば嵌るほど、コインが少しずつだが増える」
という、
「小当たりラッシュなるもの」
がついていたりする。
つまり、
「お金をそれほど使わずとも、コインが減ることもなく、その分、長い時間遊べる」
ということになるのだ。
しかし、そんなことをして、一体どうなるというのか?
お金はそんなに出ていかないのかも知れないが、
「ギャンブル依存症」
であるということに変わりはない。
逆に、長い間、休憩なしでプレイをするということは、それだけ、神経を蝕んでいるということであり、本当にいいことなのだろうか?
それを考えると、
「ギャンブル依存症」
というのは、裏と表が存在し、まるで、
「諸刃の剣のようではないか?」
といえるのではないだろうか?
「パチンコやスロットをギャンブルと考えるか、ゲームと考えるかによって、違う」
という人もいるかも知れないが、
それは法律や行政の話であって、パチンコはギャンブルであることに変わりはない。
パチンコ屋の壁に、
「ギャンブル依存症を解決するソフト」
なる張り紙があり、登録することにより、それ以上課金ができないようにしてしまうなどのことができるようだ。
しかし、そこの但し書きに、
「あくまでも、プレイする本人の自覚があってこその制限である」
などということが書かれている。
まさに、ギャンブル依存症を解決するのは、他人ではなく、本人でしかないのである。
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