第4話 F県K市
そんな歴史が好きになった自分を思い返していたが、その時間が、昼休みが過ぎてから、2時間ほどしてからのことだった。
それまでは、仕事もすっかり終わっていて、時間を持て余していた。
そんな時、自分が歴史を好きだったということを思い出し、気がつけば、3時過ぎから、
「自分がどうして歴史を好きになったのだろう?」
ということを思い出したおかげで、いつの間にか、定時近くになっていたのだ。
その日は、夕方からセミナーがあるということで、仕事はどちらにしても定時に終わる予定だった。それだけに午前中でほとんどできたのは有難いことで、昼からの2時間が地獄だったが、その後はあっという間に過ぎたおかげで、
「帳尻が合わさった一日だった」
といってもいいだろう。
「セミナーには余裕をもっていけばいいので、5時には会社を出てもいいぞ」
と上司から言われていたが、考え事をしていたので、とても、5時に会社を出られるというわけにはいかなくなった。
それでも、会社を出る時間は、決して慌てなければいけない時間でもないので、
「結果として、いつもの行動パターンの範疇になったな」
と感じられるのであった。
会社を出てから、駅まで、またしても、歴史のことを考えていた。
「そう、さっきは最初のクーデター、乙巳の変の話だったな」
と思ったが、次に思い浮かべたのも、
「歴史が百年さかのぼった」
といってもいい時代だと認識した、
「源平合戦」
である。
ただ、近年では、これを源平合戦とは言わない、
「治承・寿永の乱」
というのだった。
これは、表立っては、
「平家打倒に源氏が立ち上がった」
という意味で、源平合戦と言われていたが、実際には、木曽義仲と頼朝軍の合戦も含まれているので、
「厳密には、源平合戦というのはおかしい」
ということで、その時の年号を取って、今では、治承・寿永の乱というのだった。
平清盛というオーラが消えたことで、平家は滅亡の一途を辿ったのだが、いろいろな含みがある。一番大きなことは、
「清盛が義経、頼朝を生かしてしまった」
ということであろう。
しかし、平家が支配の拠点を朝廷内にしか目を向けておらず、東国武士の存在を考えなかったことに大きな原因もあるだろう。
「平家は、貴族化してしまった」
それが、反乱となったのだ。
しかし、平家は、海洋民族であり、目は海外、宋との貿易に向いていた。鎌倉幕府のように、土地とその支配権によっての主従関係という、
「封建制度」
は、いずれ鎖国にまで至らせることになるのだから、
「時代は100年などではないのかも知れない」
といえるのではないだろうか?
それが歴史というものであり、結局、鎌倉幕府も外敵のために亡ぶことになる。何と皮肉なことだと言えるだろうか? そして、それが証明されたのが、北条氏による、粛清。そこまでしないと、封建制度は成り立たないのだろう。
そんな古代や中世までを考えてくると、その日一日がいつの間にか終わりかけていることに気づかされた。
時計を見れば、午後五時、そろそろ、上司の言った、
「業務を終えていい時間」
だった。
興味のあることであれば、何度でも記憶がないくらいに考えることが多い畠山は、急いで、会社を出て、電車に乗った。セミナー会場は、電車で2駅ほど行ったところの予備校の入ったビルで、自分はその予備校ではなかったが、近くまで来たことはあったので、少々の考え事をしていようが、迷うことなどないはずだった。
電車の2駅が約10分くらいのものか。その間、ほとんど何も考えなかった。
それは車窓を見ているだけで、2駅などあっという間だからである。
しかも、昔は毎日のように乗っていた路線であったが、久しぶりということもあって、
「こんなにも、変わってしまっていたんだな」
と思う程だったのだ。
車窓を見ていると、それまで商店街だったところが更地になっていたり、駐車場になっていたりと、思ったよりも、ビルが減ってきていることにビックリした。
この路線に乗るのは、10年も経ってはいなかったが、毎日のように3年ほど通った路線だけに、
「勝手知ったる」
と思っていたのが、勘違いだったなんて、思ってもみなかった。
しかも、以前の10分は、もっと長かったように感じたが、この日はあっという間だった。
時間も同じ夕方だし、そんなに違う時間でもないのに、これこそ、
「カルチャーショック」
なのだろうか?
しかも、街が発展したのであれば、カルチャーショックといえるだろうが、明らかに衰退したとしか思えない。
「俺の知っているあの街は、どこに行ってしまったのだろう?」
と感じた。
ちなみに、これからいく駅は、このあたりでも中心的な駅で、新幹線の駅もある。
自分が通っていた頃はまだ駅はなく、駅ができたがm2年前だった。
「新幹線が開通したんだ」
ということで、さぞや、街は浮かれているんだろうと思っていたが、その思いが自分のハードルを上げる結果になってしまったというのか、
「何で、こんなにおとなしい街になってしまったんだ?」
と感じたのだ。
自分が毎日のように通っていた時は、まだ、駅の改装を始めた頃で、まだまだ駅前の横丁や店は半分くらい残っていた。
それでも、少しずつ歯抜けのように、店がなくなっていくのを見ると、寂しさは隠しきれなかった。
しかし。
「もうすぐ新幹線が開通し、賑やかさが戻ってくるんだ」
と思っていたが、それは大きな間違いだった。
「新幹線が開通すると、新幹線が停まるあたりしか賑わことはない」
と、今までの地方新幹線の例から分かっていたことであったが、何しろ、それまで通っていた在来線の特急列車は廃止になるのだから、特急が停まっていた駅は、閑古鳥が鳴くというわけだ。
しかも、新幹線の駅などの開発や、維持費などは、市民の税金だというではないか?
何も知らずに、
「新幹線の駅ができる」
といって、喜んでいるお花畑的な発想の人もいるが、実際には、自治体から、その負担に耐えられないという試算で、駅の建設を、反対しているところもある。
かたや、特急がなくなることで困っていると思えば、新幹線の駅ができることで、市民の血が流される。こんな誰も得をするわけではない整備新幹線など、誰が開発するというのか?
実際に、新幹線が開通しても、以前の特急ほどの利用客が見込めるというのか?
そんなことを考えていると、まさかの駅前や、街全体も、寂れてしまっているというのは、一体どういうことなのか?
一体昔の活気はどこに行ってしまったというのだろうか? 誰に文句を言っていいのか、たまにきた自分でも考えるのだから、ここに住んでいる人たちは、たまったものではないだろう。
そんな駅が、再開発されると、まずは、インフラの整備という意味で、駅前のロータリーにバス停や、タクシー乗り場がある、
以前は、駅が公園のようになっていて、噴水などがあったのに、今ではその噴水もなくなっている。
確か、ご当地の戦国武将の銅像もあったはずなのに、どこかに撤去されていて、ちなみにこの駅は、駅構内で孔雀を飼っているという珍しいところだった。
それが、人気だったのに、今では孔雀は、動物園に引き取られている。まったく昔の駅の雰囲気はなくなってしまった。
駅前は改装のためということで、いろいろなお店が立ち退きを行った。
たぶん、駅が生まれ変われば戻ってくるものだと思っていたのに、戻ってきた店は半分もない。飲み屋などは、そもそも横丁がなくなっていることで、食事ができるようなダイニングバーのようなところであれば、戻ってこれるかも知れないが、普通の焼鳥屋では、たぶん、商売はできないだろう。
一つ言えることは、今まで駅前に立ち寄っていた人は、皆、直行で家に帰るようになった。
一番の理由は、バス停などの近くに、食事ができるところ、喫茶店、飲み屋街が昔はあったのに、区画整理をされてしまったことで、駅前にバス停などは集中し、食事や飲み屋などというところは、少し歩かなければ、店がないという状態だ。
今までも、駅の改装中は皆、寄るところもないので、すぐにバス停に電車を降りてから並んでいた。
急がないと座れないということもあり、まわりを見向きもせずに、バスに乗り込む。駅は、家に帰るための、通過点でしかなくなってしまったのである。
昔は、駅前で呑んで帰るのが恒例だった人も、店がないのだからしょうがない。
しかも、そんな連中が一度家に直行のくせがついてしまうと、店ができても、立ち寄ろうという気にはならなくなってしまっている。
「家に帰れば、食事がある」
という生活が今の生活になったおかげで、駅前で飲み食いする人も少なくなってきた。
そうなると、今までの雑踏のような駅前のカオスが、今は芸術的な感性を持った駅に生まれ変わり、シックな色合いが似合う、これこそ、
「令和の駅」
といえるような佇まいになっているのだった。
だから、店もそんなにたくさんはない。食事処も、駅構内の一部に、数軒ある感じで、駅下の、ロータリー前にはコンビニがある。
昔のように、鉄道会社が、コンビニやスーパーのような事業をしていないので、一般的なコンビニが入っているのだ。
「何とも、昔を知っている人間には、これほど寂しい雰囲気もないのもだ」
といえるだろう。
在来線の駅のホームはほぼそのままなのだが、建物部分は、完全に生まれ変わった。
「まさか、こんなところに、孔雀小屋があったなんて」
と思えるようなところには、壁ができているだけで、その奥には、駅事務所が広がっていた。
つまり、昔の改札口があったあたりが、今は事務所になっていて、駅の改札口や、コンコースなどは、二階に建てられている。
そっちの方が、新幹線との乗り換えに便利なようで、新幹線から降りてくる客が重なる中央改札口も、正直、朝夕のラッシュ以外はほとんど、人がいない状態に見えるのだった。
それでも、一年に一回、大イベントがあるのだが、それが花火大会の日で、その時は、入場制限をしないといけないほどで、下手をすると、正月の初詣などの時よりも、人は密集しているのであった。
花火大会の時は、隣にある大きな川から花火が打ちあがる。
人が多いせいなのか、打ち上げ花火の規模が大きいからなのか、打ち上げ会場は、3会場になっている。
そもそも、ここの花火は、由緒正しい歴史があるもので、近くにある天神様に奉納する花火から始まったものだった。
五穀豊穣を願い、一年のお礼も兼ねての花火の奉納。
ここ数年は、全世界的なパンデミックによって、中止の憂き目に遭ってきたが、復活する年はさぞや、賑わうことに違いない。
この街の人口は、約40万人くらいの、県庁所在地にするには、規模が寂しいところである。ただ、全国的には結構有名なところなので、知らない人はあまりいないだろう。ただ、それが何県にあるのかというのを知っている人は、離れた地方だと、きっと分からないことだろう。
ここの市は、元々面積が広いところではあったが、平成の市町村合併で、近隣の町村をかなり取り込んだことで、面積も人口も結構増えていた。
「えっ、こんなところまで取り込んだんだ」
と思うほどのところで、そういう意味で、都心部の都会だけではなく、まわりの農村部の割合も増えたことで、いよいよ、都会は都心部の一部という感じになっていた。
それでも、まわりの田舎部分にも、郊外型のショッピングセンターや、分譲住宅の開発などが行われ、平成の途中から、
「ドーナツ化現象」
というのが進んでいた。
中心駅に新幹線が停まるということで、駅前の再開発が行われたが、そのせいで駅前の活気がなくなったのだったが、それも、最初から、ドーナツ化現象を分かってのことだったのか。
もしそうだということであれば、
「先見の明があった」
といえるだろう。
ここは、F県でも、中心部から、少し離れたところにあるので、県庁所在地からでも、在来線なら、40分くらいだろうか? 新幹線を使えば、15分という、そんなには遠くはないが、その間に人がる田園風景を見ていると、かなり遠くに来たような錯覚を以前は受けていた。
しかし、新幹線ではあっという間、席に座っても、すぐについてしまうほどで、少し行くと、海も近く、正面には、隣の県をまたいでの山脈も広がっている。
このあたりは、隣の県と接していることもあり、市外局番も、県をまたいで同じだったりするという珍しいところであった。
全国には似たようなところは結構あるようだが、最近は、ケイタイやスマホの電話が多くなっていて、固定電話の市外局番を使うということも少なくなってきていることから、ピンとくる人も少ないことであろう。
それを思うと。街が様変わりするのも、時代の流れということで、しょうがない部分もあるのだろう。
そういう意味でも、数百年続いてきている、
「奉納花火大会」
は続けていってほしいものだ。
とは言いながら、そこで生活している人にとっては、その日はあまりありがたくないと思っている人も少なくない。
「確かに年に一度のことなのだろうが、その日は夕方から、夜にかけて、車であれば、交通規制がかかり、電車で移動しようとしても、入場制限がかかるほどの人手の多さ、迷惑千万というものだ」
と言いたくなってくる。
特に、だいぶ収まってきたとはいえ、パンデミックがなくなったわけではない状態で、電車内で密になるというのは避けてほしい。
何と言っても、あのパンデミックでのひどさは、今までにないほどの未曽有の大惨事を引き起こしたのだ、
「救急車を呼んでも、すぐには来てくれない。救急車が来ても、受け入れ病院が決まらず、救急車の中で待機状態。病院にやっと入れても、最期は手遅れだった……」
そんな悲惨な状態だった。
それは、パンデミックを引き起こした伝染病患者に限ったことではなく、通常の病気やケガで救急搬送しなければいけない人が、病院がいっぱいで受け入れることができず、
「すぐに病院に搬送されれば、死なずに済んだものを」
という状況を引き起こしていたりするのだった。
さらに、伝染病患者は、病院のベッドが空いておらず、自宅療養を余儀なくされ、そのまま自宅で死亡などということも増えていた。
病院もいっぱいいっぱいで、完全に、
「医療崩壊」
を起こしていたのだ。
これは、もうどうしようもない状態にまで来ていた。
政府としては、
「人流を抑える」
という対応しかできなかったので、何とか、今は抑え込んでいるが、この状態がどれほど続くのか? と思っていたが、その後は次第に収まってきて、今は少し落ち着いている状態だ。
かといって、パンで三区が収まったわけではない、
しいて言えば、
「なくならないのであれば、共存を考えるしかない」
というもので、今は何とか、これ以上の患者数を増やさないようにしながら、経済を復活させていくしかないのだった。
ただ、怖いのは、
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」
ということわざにもあるように、それまでの予防対策を、徐々に緩和政策をしていくと、考えの浅い連中が、
「ああ、もうパンデミックは終わったんだ」
と思い、かつてのような、バカ騒ぎを起こしかねない。
このパンデミックというのは、確かに恐ろしいものではあったが、ある意味、
「自然界が人間に対して発する、警鐘なのではないか?」
といえるのではないだろうか?
人間社会は、文明の利器によって、生かされている。逆に言えば、文明の利器がなければ、生きていけない。
インフラが混乱すれば、人間も大いに混乱する。電気がなければ、生活すべてがストップするといっても過言ではない。
スマホやパソコンが動かない。情報が入ってこない。まるで、盲目状態も同然だ。
目が見えないコウモリであれば、その代わり、超音波を発し、その反射で、自分の位置を知ったり、敵を察知することができるという超能力を持っている。
しかし、人間には、一切の超能力のようなものはない。すべてが、電気などの文明の利器で生かされている。今回のパンデミックで、そのことを悟るべきなのだろうが、悟った人はいるのだろうか?
完全に、
「病気が流行ったから、それを抑えるために、不自由な暮らしもしょうがない。しかし、早いとこ何とかしてくれないと、人がバタバタ死んでいったり、経済が停滞して、生活ができない人が増える一方だ。ただの、警鐘という言葉だけで片付けていいものだろうか?」
そんなことを考えていると、パンデミックというのは、
「今回は警鐘という名のプロローグであり、一つが収まっても、どんどん他の伝染病が生まれてきて、結局、いたちごっこが、半永久的に続いていくものだ」
といえるのではないだろうか?
そういう意味での今回のセミナーだった。
基本的には、メディアの活用というもので、今回は、スマホについてだった。
前述のように、スマホというのは、ガラケーと、タブレット端末との融合のようなもので、タブレット端末とは、パソコンのディスプレイを、指でタッチして捜査するために開発されたものだった。ほとんどはスマホなので捜査すれば足りるのだが、今でも実際に使われているものもある、
例えば、絵を描いたりするのには、スマホの画面では小さく、パソコンの画面くらいの大きさを必要とする、
さらに、保険の外交員が持っている場合もある。以前は大きなカバンにいろいろな書類を入れていたが、タッチパネルを使って、契約を行ったり、契約内容の確認を行ったりと、営業活動に、便利に活用している。
また、最近では、飲食店などで、注文する時、カウンターやテーブル席にタッチパネルが置かれている。いちいち店員を呼ばなくても、タッチパネルで注文ができるというものだ。
人によっては、
「使い慣れていないから、店員に直接注文する方がいい」
という人もいれば、
「自分は、人見知りなので、人の顔色を伺わずに注文できるのは、ありがたい」
と思っている人もいるだろう。
これは、パンデミックの対策として、
「マスク着用」
が、半強制的に言われるようになってからも、言われ出したことだったのだが、
「マスクをしていると、他の人から人相や、感情を読み取られることがないので、気が楽だ」
という人もいる。
以前であれば、
「表情が分からないと、相手が何を考えているか分からないので、怖い」
と思っていたはずなのだ。
「自分が怖いと思っているのであれば、相手も怖いと思っているはず」
ということが分かっているのであるが、本当にそうなのであろうか?
実際にマスクをするようになって、相手の考えが分からないと、確かに不安にはなるが、こっちが何を考えているかを相手も分からないのは、確かに気が楽だった。
以前であれば、人によっては、表情が微妙な人は、笑っているつもりもないのに、上司と話をしていて、
「何笑ってるんだ。もっとまじめにしんあいとダメじゃないか」
と言われたりしたものだが、本人には、そんなつもりはまったくないのだ。
しかも、そんな表情は自分だけでなく、若い連中は結構そういう表情になっていたりする。年配の上司からすれば、たまらないことであったが、それだけ、人のことが簡単に信用できない時代になってきたことの裏返しなのかも知れない。
確かに、人のことが簡単に信用できない時代になってきた。
だからこそ、詐欺が横行してきたり、個人情報やプライバシーなどを尊重するために、
「個人情報保護法」
などができてきたり、
人のことをつけたり、余計な情報を自分から収集して、相手を自分のものにしたいというようなストーカーのようなものが流行ってくることで、
「ストーカー防止法」
などができたりしたのだ。
最近では、会社などで昔から問題になっていた。上司による、他愛もない一言や態度が、部下を苦しめたりしていたことで、
「ハラスメントの防止」、
「コンプライアンスの強化」
などという問題が増えてきている。
この側面として、
「男女雇用均等法」
というものが、根底にあるのかも知れない。
そこから、上司のセクハラ問題であったり、パワハラ、そして、モラハラなどというのもどんどん出てきて、今では上司が肩身の狭い思いをしている自体に陥ってしまっている。
上司が取りまとめて、皆を引っ張っていくのが仕事なのに、ちょっとしたアドバイスや気分転換のための世間話であっても、
「課長、それセクハラです」
などと言って、部下は、上司の小言を聞きたくないので、コンプライアンス違反を必死で探している。
だから、最近のセミナーや研修は、結構頻繁に行われているようだ。
それも、実践に役立つものだけではなく。コンプライアンス、個人情報保護、著作権などの法律に絡めての、今では常識になっていることを、再認識させるということでのセミナーや講習会が多いのだ。
今回のスマホの研修も、どうやら、
「操作方法」
というよりも、
「スマホを使って、コンプライアンス的にどういうことができて、どういうことがダメなのかということを、考えるセミナー」
ということであった。
それは、若者にとっても、年配の人の考えを知るという意味でも、真剣に聞ける内容なのではないだろうか?
正直、若者に、いまさらスマホの操作方法などレクチャーしても、
「そんなのは、最初から分かっているさ」
ということになるのが、関の山であった。
そういう意味で、普段使っているスマホが、どのように活用できるのかということを知る方がいいのではないだろうか?
それを考えると、今回のセミナーは、
「出る価値があると思うぞ」
と、部長が言っていただけのことはあるんだろうと感じるのだった。
その会場があるのが、この、
「F県K市」
である。
畠山が、通っていた大学があった街だった。
毎日というわけではなかったが、ほぼ毎日通った車窓だったので、本来なら懐かしさだけなのだが、それからまったく景色が一変したことで、懐かしさとは違う環境になったのだった。
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