第3話 歴史の分岐点
その日、家に帰ると、父親はふてくされて寝ていた。自分が情けないと思いながら帰り付くと、寝ていた父親が起きてきて、
「この恥晒しが」
といって、殴りかかってきた。
不意を突かれて、殴られ、そのまま投げ飛ばされたが、心の中で、
「何だ、これは? いう通りに帰ってきたのに、この仕打ちは何だというんだ?」
としか思えなかった。
その日は、さすがに理不尽さに押し潰されて、こちらもふてくされて寝たのだが、考えてみれば、親父のいうことも分からなくはなかった。
正月に、子供の友達が来たからといって、むげに返すわけにはいかないということで、しょがないから泊めることにしたのを考えたのだろう。
「正月くらい、ゆっくり」
と考えていたのだとすれば、そのあてが外れた親からすれば、溜まったものではない。
しかし、逆にいえば、それでも、
「泊まっていってもいい」
と言ったのは、相手ではないか?
そんな言葉を自ら口にしたのなら、その時点から、可愛そうだという考えはおかしい。嫌なら断ればいいではないか? 自分たちの世間体を優先するから、自分たちの自由が利かなくなるんだ。
自由を優先したいのなら、嫌われてもいいという気持ちになれないのか? だったら、自分たちが言った言葉に責任を持つべきだ。
と考えたのだ。
そういう意味では、自分の家庭のことを口にした親は、もし、
「泊まっていきなさい」
と言ったはいいが、そのうちに後悔してしまったかも知れないのが、友達の親だったとするならば、
「どっちも簡単に認められるものではないが、うちの親の方が、まだマシなのではないか?」
と思えてきたのだ。
しかし、だからと言って、自分の子供を自分の考えのために、無理やりの強制送還は、ひどいとしか言えない。
正直、この時のことがトラウマになって、大学時代には、友達のところを泊まり歩いたものだった。ほとんどが、田舎から出てきていて、下宿屋、学生アパートでの一人暮らしの友達ばかりだった。
「中学時代の反抗」
と言えばいいのだろうが、それだけではない。
確かに最初は、楽しかった。いろいろな話を夜を徹してするというのは嬉しいことで、何が楽しいといって、お互いに意見をぶつけ合っても、それを充実していると思えるからだ。
明らかに反対意見を持っているといっても、それを相手に押し付けるわけではない、あくまでも、
「これが自分の考えだ」
といって、話しているだけである。
それが、親とは違うところだった。
むやみに、人の意見を否定しない。そして、自分の意見を押し付けない。
相手に意見を押し付けるというのは、最低でも、
「自分の意見が絶対だ」
と思っていることが前提で、そして、そこに、
「自分は親なのだ」
などという思いが重なると、間違いなき、相手に対しての、
「押しつけ」
になってしまう。
押しつけというのは、どうにもならないことで、特に、
「親」
というものを強権として振り回されると、未成年である以上、どうすることもできない。
「子供は親から守られている」
ということなのだろうが、逆に、
「子供は親から縛られている」
といってもいいのではないだろうか?
最近は、親が自分の子供だからといって、過剰に、
「所有物」
と思うことで、幼児虐待であったり、迫害などという悲惨な事件が多い。
児童相談所などというのもあるが、あくまでも、相手が親子であることに間違いないということを言われると、踏み込むことのできない部分が存在する。
法律的には保護者であり、親権者である。子供の権利の保護を建前にされてしまうと、どうすることもできないのだ。
そのせいで、毎日のようにどこかで幼児がひどい目に遭っているという事件があったり、ひどい時には、親が他の人から洗脳されていて、金を騙し取られることで、子供にもまともな食事を与えず、餓死させるという、悲惨な事件も起こっているではないか。
「親が、親になりきれない」
というこんな時代、そんな親に忍び寄る悪魔。
「親と、その悪魔、どっちが恐ろしいのだろう?」
と思えてくる。
確かに、今の親であれば、こんな事件が結構あるのかも知れない。
ニュースにならないだけで、親による虐待。ニュースになる悪魔のような所業。
以前などでは、真夏の炎天下に、車の中に子供を置き去りにして、パチンコに行っていて、子供が、熱中症で死んでしまったなどという例が後を絶えなかった。
普通なら、一度起こってしまえば、
「自分も気を付けないと」
と思うことだろう。
「いや、それ以前に、そんなバカなことを自分がするはずない」
と思うのだろうが、そんなことを考える人にも、ピンからキリまでいて、キリの方の人間は、自分がするはずないと思いながらもしてしまったことに、
「なぜなんだ?」
と、この期に及んで、自分がしたことを分かっておらず、分かったとしても、すぐには自分がしたことを認められないという、そんな親だっていることだろう。
そういう意味では、もっと恐ろしい親は、今に始まったことではない。
昭和の頃に流行った、
「コインロッカーベイビー」
などというのもあった。
安易な気持ちでセックスして、子供ができて、中絶もできず、結局産んだはいいが、育てられないということで、コインローカーの中に放置するという事件であった。
実際に社会問題となり、今ではそこまではないが、捨て子は今でも後を絶えない。
「赤ちゃんポスト」
などというものが、物議をかもしたが、これも、難しい問題だ。
「命が大切ではあるが、抑止にはならない」
という発想だったのではないだろうか?
「最悪、子供ができて、生活に困れば、赤ちゃんポストに入れればいいんだ」
と、真剣にそう思っている人はいないだろうが、結果そうなるのだとすれば、世間は、そう考えたんだとしか思わないだろう。
「自分の都合のいい考えを、世間は、暖かい目で見てくれるはずなどない」
ということを、いい加減分かる大人にならないといけないだろうというのは無理な考えなのだろうか?
普通であれば、
「親は子供を危険から守るもの」
というのが、当然のことであるはずだ。
しかし、実際には、
「子供を守るべき親があてにならない」
という家庭も結構あったりする。
「子供は親が産んだから、生きていられるんだ。子供を管理するのは、親の特権だ」
と思っているのだろう。
本当は、
「特権ではなく、義務」
なのだ。
特権などと思っているから、子供を束縛したり、虐待してもいいのだと、まるで、所有物だと思っているのだろう。
そんな親に限って、人のいうことを聞かない。
「ひょっとすると、自分が子供の時代も同じような迫害を受けていたり、苛めを受けていたりして、引きこもりだったのではないだろうか?」
と勘ぐってしまう。
さすがに、他人が親の過去のことを探るわけにはいかない。
かといって警察や児童相談所に連絡しても、警察では、
「何かが起きてからでないと、本格的に動かない」
さらに、自動相談所などは、やってきたとしても、親から門前払いされてしまうと、家に入り込むこともできない。とにかく無力だといっていいだろう。
そんな状態なので、親もやりたい放題である。特に、家族環境などを調べてみれば、怪しいことは一目瞭然のはずだ。
特に、母親に愛人がいたり、その愛人が、遊び人だったり、チンピラだったり、ヒモだったりすることもある。そうなってしまうと、子供は、ほとんど放置状態だ。
それよりも、
「あんたがいなければ、もっと楽に生活できて、彼に貢げるのに」
などと正気の沙汰ではないことを、ほざく親だっているだろう。
そんな親に、本当に親権を与えたままでいいのだろうか?
親戚がいれば、どこかに訴え出ることもできるだろうが、その親戚も、この親子のことなんか、知らないという感じである。
母親からすれば、
「コインロッカーに捨てずに、育てているだけマシだろう」
と思っている、最低限と比較して、それが自分の優位性だと思うような親なのかも知れない。
そんな親を親と言えるのだろうか? 子供はここまでくれば、完全に委縮してしまい、
「親から苛められることは、当たり前のことなんだ」
と思うようになるのも、当たり前のことなのかも知れない。
そんなことを思うと、親から逃れられない子供というのと、自分の子供の頃に、友達の家から、
「強制送還させられた自分」
とかぶってしまう。
今の子供ほどひどくはなかったが、自分でさえも、トラウマが残ったのに、虐待を受けていた子供というのは、それどころではない。PTSDくらいになっていても、まったく不思議ではないだろう。
実際に、子供の頃に何があったか分からないが、大人になって、会社で倒れた人がいて、検査をすると、PTSDに罹っていたという人もいたのだった。
「きっと、児童の頃に受けた何かがトラウマとなって、今でも、残っているに違いないんでしょうね」
と、神経科医がいうのだった。
その人は休職することになり、入院まではしないが、通院で、いろいろ調べるということだった。その人自身、今から思えば、知り合った時から、
「あまり子供の頃の記憶はないんだよな」
といっていたので、
「思い出したくないことがあるんだろうな?」
と感じるのだった。
子供の頃の記憶は、誰にだって、大なり小なり思い出したくないことがある。それを、
「黒歴史」
といってもいい人も結構いるだろう。
自分がやらかして、思い出したくないことや、外的要因によるもの、さまざまであるが、突き詰めれば、自分がやらかしたことも、元をただせば、外的要因だったということも少なくないと思えるのだった。
特に物心ついたかつかないかの頃のことを、普通はなかなか覚えていないのだろうが、それならそれでいいはずなのに、必要以上に、
「思い出したくない」
と感じるのは、それだけ、思い出したくないという思いが頭の中にあるからで、それが、トラウマというやつだろうというのは、大学の時に感じたのだ。
畠山の黒歴史は、一番記憶に深く残っているのは、例の、
「強制送還事件」
であろう。
しかし、その事件の影に隠れて、それ以上のトラウマがあるような気がして仕方がないのだ。
それは、明らかに、10歳よりも前で、本当にいつ頃だったのか、曖昧なのは、どうしても、強制送還の意識が深いからだろう。
「まさか、昔の記憶を思い出したくないから、強制送還事件が起きたのか?」
と、余計なことを考えてしまうほどだった。
子供の頃、幼児というか、児童の頃の自分の記憶の前に立ちはだかる思春期の頃の記憶。思春期の頃に味わった、屈辱というか、恥辱は、ひょっとすると、自分を、被虐の世界に誘い込み、一歩間違えれば、マゾヒストにさせてしまうだけの効果があったのかも知れない。
そうならなかったのが、ひょっとすると、児童の頃の忌まわしい記憶が働いてのことであれば、この二つは、それぞれに、
「必要悪」
としての存在感を示しているのかも知れない。
そんなことを考えると、まるで天体の、
「月と太陽と地球」
の関係のように思えるのだった。
時系列で考えれば、真ん中にいるのは、
「思春期の強制送還事件」
であり、その両端に、今の昔を顧みている自分と、もう片方に忘れてしまっている、児童の頃の記憶なのではないだろうか?
それはまるで、日食か、月食のような出来事であり、それを思うと、
「忘れてしまっているのは、無理もないことで、ただ、逆にこの三つが重なる時ほど、見えなくなっていることが思い出されようとしているのではないか?」
と感じるのだった。
昔の記憶は確かに薄れていくもので、それは、まるで、夢から覚めてしまうと、夢の内容はまったく忘れているというのと同じである。
起きてから徐々に忘れていくわけではなく、気が付けば忘れてしまっているのだ。
目覚めた瞬間と、かなり時間が経ってからの記憶では、ほとんど違いはない。ということは起きていて思い出そうとするのは、時間とは関係がないということだ。
つまり、夢の世界と現実とでは、それだけ結界が深くなっているわけで、その深さは。
「時間という概念は、この世にしか存在しないのかも知れない」
と感じた。
いや、異次元にも時間という感覚はあるのだろうが、それが、本当に時系列として並んでいるものなのかどうか分からない。
実際に起こったことは、同じ時間に他でも別のことが起こっているわけなので、こちらに影響があることであれば、一歩間違うと、その事実は狂っていたのかも知れない。
時系列が狂ってしまうと、そこから求められる事実も、本当に同じものなのかが分からない。
だから、パラレルワールドが存在するとすれば、次の瞬間と、今の瞬間で少しでも違えば、無限に広がるというのは、そういうことなのだ。その無限がさらに、無限に広がるということになる。
ということは、この世での繋がりを確認できるとすれば、それは、次の瞬間までだといってもいいのではないだろうか?
だから、人工知能などというものはありえない。そんなものが存在すれば、
「無限というものを否定しなければいけなくなる」
ということになるからだった。
「パラレルワールド」
というものを否定できないのは、
「この世が時系列で繋がっているからだ」
といえるからなのではないだろうか?
まさか、トラウマの話から、こんなSFチックな発想になるというのも、我ながらすごいことだと、畠山は感じた。
しかし、彼は元々、時系列であったり、時間や、算数などという、
「規則正しく並んだ数列」
のようなものが好きで、時間が、そもそも、
「規則正しい数列」
なのだから、当然のことである。
しかも、畠山は歴史も好きで、
「歴史こそ、時系列で決まっているものだ」
と考えていた。
中学時代などは、名前をいじられた時、
「畠山って、鎌倉、室町時代の名門じゃないか。歴史が好きなのは、名前のせいなんじゃないか?」
と言われた。
実際には、時系列だったのだが、いろいろ説明するのが面倒くさくて、
「ああ、そうだよ」
といって、ごまかしていたのだ。
畠山は、高校時代の途中まで、
「歴史が好きだ」
と言ってはいたが、
それは、自分の中で、
「かなりムラのある教養」
だったのだ。
好きな時代と、ブラックボックスの時代が激しくて、自分の中で勝手に大きく三つに分けていた。
それは、古代、中世、近代、現代に近いものであったが、どちらかというと、
「事件」
というもので、
「歴史の結界」
を差別化していたといってもいいだろう。
事件というのが、大きく分けて、4つあった。事件、クーデターのようなもので、まずは、
「乙巳の変」
である。
「大化の改新」
と言われている事件であるが、自分の中では、この時代を正直、ブラックボックスにしていた。
どうしても、戦国時代のような派手さがないということで、この時代を好きな人のような、
「古代へのロマン」
が自分にはないのだと思ったのだ。
古代ということがどうしても頭にあり、それほどきちっとした改革や発想のない時代だと勝手に思い込んでいたのが、一番の原因だったのだ。
「しかし、この時代にもきちんとした考え方や、制度が確立されていて、厩戸皇子、いわゆる聖徳太子の時代には、中国文化を取り入れ、政治的にも、冠位十二階、憲法十七条などと、改革的なことをした時代だった」
といえるだろう。
しかし、一番の大きなものは、
「中国から、仏教を取り入れ、蘇我氏とともに、仏教文化を育んだ」
というところが一番の大きなところだったのだ。
それをやったのが、厩戸皇子であり、蘇我馬子だったのだ。
だが、厩戸皇子が亡くなり、時代は蘇我氏の時代になると、蘇我氏の独裁色が膨らんできたことで、他の勢力が、
「潰されないだろうか?」
という怯えの中で、中臣鎌足と、中大兄皇子が立ち上がったのだった。
そもそも、中大兄皇子は、
「やらないと、殺される」
という立場にあった。
厩戸皇子の子供である、山背大兄王が、蘇我氏に滅ぼされたことで、危機感が募ったのだ。
しかも、そもそも、蘇我氏は、厩戸皇子の下で勢力を伸ばしてきたのだ。それなのに、一族を滅ぼすというところまでする蘇我氏を、皆怖がっていたといってもいいだろう。
ただ、これは息子の入鹿が勝手いやったことで、父親の蝦夷は、反対だったのだ。山背大兄王を滅ぼしたことが、入鹿は自分の命を縮めたといってもいいだろう。
蘇我氏が全盛期を迎えたことで、危ないと思った連中が組んだのが、乙巳の変である。
蘇我氏の考え方としては、仏教を広め、朝鮮半島の国とは、平等に外交をするというのが、政治のやり方だったのだが、乙巳の変が起こり、蘇我氏が滅亡すると、ちょうど、朝鮮半島では、新羅と高句麗の連合軍が、百済を攻撃し、滅亡の危機に立っていた。そこで百済は日本に助けを求めてきた。
中大兄皇子は、兵を百済に向かわせ、百済を再興させようとしたが、失敗してしまった。
日本軍は大敗し。百済も滅亡する。
そこで日本は、
「新羅、高句麗の連合軍が日本に攻めてくる」
と考え、それまで難波にあった都を、筑紫に移し、そこで、守りを強硬なものにしようと考えた。
筑紫に、水城という堤防を築き、大野城や「きい城(変換ができない)」、さらに、熊本県との県境近くにある、きくち城(これも変換できず)などの三つの、古代山城を築くことで、筑紫国に、
「大防衛前線基地」
を築いていたのだ。
これも、最初から、蘇我氏のように、
「対等外交」
を行っていれば、こんなことにはならなかった。
しかも、蘇我氏のやろうとしていたことは、順調に日本を海外に負けない国にしようという改革だったものが、蘇我氏が滅亡したことによって、
「時代が百年、さかのぼってしまった」
と言われたのも、無理もないことだ。
しかも、攻めてもこない半島からの侵略を恐れて、防衛に金と人を使ったことで、時代は逆行し、防衛にばかり気を遣っているのでは、繁栄するはずなどない。
おまけに、都は、難波に戻し。さらにそこから、平城京に至るまでに、難波、飛鳥、信楽、大津、そして藤原京と、30~40年くらいの間に、6,7回の遷都が行われたのだ。そのたびに、人員と金が使われるのだから、
「時代が遡った」
と言われても無理もないことである。
これが、古代における最大のクーデターであり、その後起こった、
「壬申の乱」
という、古代最大の、内乱で、やっと、中国の政治に近づける、
「律令制度」
を確立できるようになったといえる。
大化の改新でも律令制度を目指したのだが、いかんせん、
「後ろ向きの政治で、それどころではなかったことで、中途半端な率用制度に終わってしまった」
のであった。
まず、歴史の一番最初の分岐点はここであり、自分で勉強してやっと、勉強する意義が分かったのであって、学校の授業では、
「ただの一つの事件」
というだけで、通り過ぎてしまう。
もっともそうでなければ、2000年という歴史を一年間の授業でできるはずもない。
高校になって、専門的に選択した授業であれば、もう少し深いのだろうが、しょせんは、受験のための、
「暗記の学問」
となってしまうので、それも難しいところであった。
畠山が考える、
「時代の転換期」
の他の三つは、
「平家の滅亡」
「本能寺の変」
「坂本龍馬の暗殺」
と、たぶん、歴史が好きな人であれば、ほとんどの人が選ぶ分岐点に違いなかった。
特に、キーワードが、
「クーデター」
ということになれば、それらが大きなことになるに違いない。
もちろん、時代時代に分岐になる事件、クーデターはあっただろうが、
「謎の多い事件」
ということで、共通しているのは、それが分岐点だという証拠だからであろう。
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