第2話 時間の感覚
「今の世の中、どこで何が起こるか分からない」
それだからこそ、スマホの利用には、難しいこともあり、勉強しておく必要もあるだろう。
そこで、畠山将司は、会社の上司から、
「今度、スマホの活用についてのセミナーがあるんだが、ちょっと出席してくれないか?」
と言われた。
別に時間もあったので、断る理由もなかったこともあって、出席することに決めた。
その日は、朝から仕事の段取りが結構スムーズに行き、昼食前で、その日の予定が住んでしまうという、年にそう何度もないような感じだった。昼食を済ませてからの時間が、今度は持て余してしまったことで、却って苦痛を味わうことになったのだが、それも、人間としての性ではなかっただろうか?
午前中の約4時間が普段の1時間くらいに感じられ、昼食までがあっという間だった。
「今日は昼から余裕があるな」
と思ったのだが、普段は、余裕どころではない。
昼食の時間にも、
「どう段取りすれば、定時までに終わるだろうか?」
と、時間配分を頭の中に描いている。
そこまで本当はしなくても、普通にやれば、定時の5時半くらいまでには終わるはずなのだが、考えてしまうのは、
「もし、その間に予期せぬ事態が舞い込んできたら?」
というものだった、
不慮の事故であったり、部下の仕事の尻ぬぐいなどは、考えてもしょうがないが、上司からの頼まれごととなると、少し違ってくる。ある程度は時間に余裕をもっておかないと、頭が回らない場合があるからだ、
逆にいえば、最初から予期しておくことも可能であり、いくらでも対処できると思うからだ。
不慮の事故と、部下の尻ぬぐいだけは、予想がつかない。そういう意味で、上司のお願いと、部下の尻ぬぐいとでは、似ているようなのだが、実際にはまったく違った、
「予定外の仕事」
なのだった。
上司からのお願いというのは、上司は、部下に無理難題は押し付けてはこないと思うからだ。
上司としても、いや、上司になればなるほど、それまで築き上げてきたものを壊すことを恐れるというものだ。
そういう意味で、人に任せることを怖がるものだろう。それでも任せるということは、
「この部下なら、きっと期待に応えてくれる」
という計算ずくのことに違いない。
だから、上司からの仕事は、
「命令」
ではなく、
「お願い」
となるのだ。
命令であれば、立場を利用した、強制的なもので、上司からすれば、
「自分が面倒臭いことをしたくない。そんなことは、部下にやらせておけばいいんだ」
という考えが先にあり、勝手に、仕事がうまくいく前提で考えるのだろう。
いわゆる、
「パワハラ」
といってもいいのだろうが、法律が厳しくなった中でも、いまだにブラック企業と呼ばれるものがあるのだから、普通の会社であっても、ブラックな上司がいても、それは不思議ではないかも知れない。
幸いなことに、畠山の会社は、そんなブラックな上司がいるわけではないので、上司から仕事を押し付けられることはない。だから、上司からの仕事は、
「命令ではなく、お願い」
になるのだ。
ただ、そんな上司からのお願いも、最近ではめっきり減ってきた。上司も、部下にあまり仕事を増やすようなことをしていると、自分の評価が下がると上から言われているのだろう。
そのあたりのバランスのとり方が、上司として難しいところなのかも知れない。
そんな上司がいないおかげで、その日は昼からは、時間が余ってしまった、確かに、上司からは、あまり頼み事も少なくなってきていると、
「不測の事態」
も、最近は業務も落ち着いてきたことで、別に自分のペースで仕事をしてもよくなっていた。
しかし、自分が入社した頃は、会社ができて、まだ間がない頃だったこともあり、まだ、混乱が続いていた。
そのせいで、自分のペースで仕事を覚えたり、こなしたりが、できない頃だった。
だから、どうしても、
「予期せぬ出来事」
「不測の事態」
を考えて行動しなければいけなかったのだ。
仕事というのは、大体、毎日がルーティンとなっているので、慣れてくると、
「これくらいのペースで行えば、ちょうどいい」
というのも分かってくる。
畠山は、仕事というものを、大体6分割で考えるようにしていた。
最初の2までが、
「仕事に慣れる」
ということだと思っている。
確かに毎日やっていることであるが、最初からゴールが見えているわけではない。最初の2の段階までが、前の日、どこまでやったかを思い出したり、感覚を思い出すのに使うのだった。
そこまでくると、やっと、ゴールが見えてくる。
すると、次に目指すのは、3の部分である。
「ここまでくれば、半分だ」
と思うのだろうが、実は2を通り越したあたりから、自分が仕事をスムーズにこなすだけのコツが備わり、一番充実した時間になるのだった。
だから、気が付けば中間地点と通り越し、4まで来ているのだ。
そもそも、最初も2つが単位だったので、次も2だと思えば、4まで行くのは必定であり、もう、困難だとは思わないだろう。
そして、今度は最終段階に入ってくる。
ここで考えるのは、
「有終の美」
というものだった。
最期をいかにきれいに終わらせるかということは、ここまでくればやっと頭に置かんでくる。そして、完全に見えているゴールがあるおかげで、そこから先は、ある意味惰性でもできるくらいだった。
だが、そこまで来た自分が惰性を許すはずもない。
そう考えると、
「慌てる必要なんかないんだ」
と思うようになると、ここから、もう一度最後の帳尻合わせに入るのだった。
普段であれば、見えているゴールに、スムーズに入ることができる。それが、今まで十数年、仕事をしてきた強みであった。
となると、仕事を6段階に分けた場合、一番重要になるのが、
「2つ目が、終わった時だ」
と思うのだった。
それまでは手探り状態、
「昨日までできていたことが、果たして今日もできるだろうか?」
ということを考えてしまう。
野球のピッチャーで、
「立ち上がりがいつも悪い」
という人がいるが、まさに、同じことではないだろうか?
昔の野球の投手は、
「先発したら、完投は当たり前のことだ」
と言われていた時代、最期がどの時点で、どのようにイメージできるかというのが、一番重要なのではないだろうか?
そんなことを考えていると、
「果たして、今日もできているだろうか?」
という不安が消えるまでは、最初の難関なのだろう。
その日は、そんなこともあり、終わってみれば、
「午前中はあっという間だったけど、午後は、なかなか時間が過ぎてくれない」
というそんな不規則な一日になってしまっていた。
確かに、午前中は、判で押したほどに、すべてのなすことがうまく行ってしまい、午後は余裕が却ってよくなかったのか、気が付けば、なかなか仕事が進んでいなかった。
「このままのペースでいけば、することがなくなってしまう」
などという、余計なことを考えてしまうと、余計な時間配分を考える。
一番いいのは、
「時間が早く過ぎてくれることだ」
というのは当たり前なのだが、こんな時ほど、時間の感覚が思うようには感じられないものだった。
することがなくて、時間を持て余している時というのは、まったく時間が進んでくれない。
「1時間は過ぎているだろう?」
と思って時計を見ると、
「まだ、5分しか進んでいない」
という事実を見て、驚愕してしまうことだって、今までに何度となくあったことだろうか?
そんな経験を何度もしているのに、そんな状況に陥った時、どうしていいのか、頭にその方法が浮かんでこないし、感覚を、錯覚であっても、変えることはできないのであった。
そんなことを考えていると、気が付けば、目が時計に向かっている。時計を見ていることに意識がないくせに、いつも時計の針を見た時、ハッとするのだった。
「ああ、また時計を見ている」
と、その時、5分しか経っていないというのも、お約束だった。
時間に余裕のある時というのは、どんなに短かったり長かったりする時間であっても、実際には、5分という時間が、自分の中でのキーポイントであったり、結界のようなものなのかも知れない。
ということは、その日、午後、4時間あったわけだから、
「約50回近くも、ハッと我に返り、時間を気にしたということになるのだろうか?」
と考えたが、
「いや、そんなことはない。確かに、無意識に感じることもあるだろうが、気が付いて時計を見たという自覚は、正確な数は憶えていないが、あったとしても、10回がいいところだと思う。その5倍も本当はあったのだとすれば、自分の錯覚が甚だしいということなのか、それとも、5分というのが、実は違っていて、5分単位の、その倍数が、ターニングポイントになっているのではないか?」
と、感じるのだった。
だから、実際に終わってみると、どとんどの感覚がマヒしていたおかげか、本当は苦痛でしかたがなかった気持ちが、思い出してみると、それほどでもないと思えるのだ。
「悪夢を見る」
という感覚とは、正反対なのかも知れない。
夢を見る時、
「怖い夢は絶対に忘れないのに、楽しい夢は、なぜ、簡単に忘れてしまうのだろう?」
という感覚である。
最近少し、今までと違う感覚を感じるようになったのだが。
「忘れてしまうのではなく、本当は憶えているのではないか?」
ということで、忘れていると思うのは、
「他の夢と混乱してしまって、中和されてしまうことで、見えるものも見えなくなってしまっているのではないか?」
と、感じるのだった。
楽しい夢というのは、意識として、遠い夢のように位置付けられ、夢の中では、
「遠くであり、小さな存在」
としてしか、残っていないのだろう。
つまりは、記憶の中で、
「かなり昔のもの」
という錯覚を植え付けられている。
そのおかげで、錯覚となる子供の頃の夢や意識は、意外と夢の中では遠い記憶としても、深く残っているもので、
「遠く小さい」
という、楽しい夢とは違う感覚になっているのではないだろうか?
だから、楽しい夢も、一瞬で終わってしまうということになるのだと思っている。
夕方になるまでに、かなりの時間を有したと感じているから、
「さぞや、仕事が終わった時は、相当に疲れきってしまっているのではないだろうか?」
と、考えているのではないだろうか>
しかし、実際にはそんなに疲れていない。まるで、帳尻が合わされたかのように思うのだった。
それは、
「一日が終わってから思い返すと、そんなに時間が長かった」
とは感じないからだ。
仕事が終わって思い返してみると、確かに、昼はかなり遠かったように感じる。しかし、疲れという意味においては、そんなに疲れていないのだ。終わってみれば、自分が考えている時間の通りだというのは、
「時間に限ったことではなく、長さを感じさせるもの、すべてではないか?」
と思ったのだ。
一日が長く感じる日々が続いていても、一週間が経ってしまうと、あっという間だったような気がしたり、あるいは、その逆だったり、ということがあったりするではないか?
それが、自分の中で、
「帳尻を合わせている」
と感じるようになったのは、高校を卒業し、大学に入ってからのことだった。
高校時代は、とにかく、一分一秒を惜しんで勉強したものだ。
「俺が気を抜いている間に、ライバルはその瞬間、一問分の正解を得たのではないか?」
と考えると、気を抜くわけにはいかなかった。
それだけ、学校でも、予備校でも、生徒を煽る。そうでもしないと、自分でも、エンジンが関わらないのだと、畠山は自覚していた。
だから、毎日毎日、いや、一分一秒が緊張の連続で、一日が終わると、疲れ切ってしまっていた。
だが、若さからなのか、一晩寝れば、その疲れも吹っ飛んでいたりするものだった。
そのおかげなのか、一日一日のメリハリがしっかりとついているので、翌朝には疲れが取れている。
だが、
「また勝負の一日が始まる」
と思うと、精神的に憂鬱になるのも仕方のないことであった。
大学に入ると、今度は、そこまでの緊張感はない。緊張感がないというよりも、腑抜けのようになっている分、一日があっという間に過ぎていく。疲れを感じることもなく、
「高校時代とはまったく違うんだ」
という感覚になるのだった。
高校時代のように、時間を刻んでいるという、いわゆる、
「時刻」
という感覚はない。
それだけに、あっという間に一日が終わっている。
ということは、
「時刻という単位を高校時代は意識していなかったから、一日がなかなか経たなかったということではないだろうか?」
と考えた。
大学に入ると、高校までと違って、時刻を感じるようになった。まるで、耳元で、秒針の音が聞こえてくるかのようである。
それは、高校時代のように、一秒を意識していないことへの怖さがあるのではないだろうか?
毎日があっという間に過ぎることで、大学生活が四年間しかなく、そのうちの三年生以降は、就活や卒業のための研究や準備で、遊んでなどいられないという意識があることで、「一日を無駄に過ごしてしまうのは、受験勉強で気を抜くのと、一体どこが違うというのだろうか?」
と考えてしまうのだった。
そう思うと、今度は、一週間前がだいぶ前のことだったように思うのだ。
何かをしたわけでもないのに、一週間が長かったという感覚が残っているのは、まるで、何かのぬか喜びをしているようで、決して嬉しいことではない。
却って、焦りを呼んでいるのと同じであった。
学生時代、彼女を作って、楽しい大学生活を送るのにも、時間が掛かるのだ。無為に過ごした時間が長ければ長いほど、時間がどんどん過ぎてしまっていることに恐怖を覚えるようになる、
「そう、毎日が夢のように過ぎるのが、いいことの積み重ねであれば、何もない無為な毎日は、夢とは言わず、幻だといってもいいのではないだろうか?」
そんな高校時代と大学時代の間で感じた極端な時間への感覚の差というものは、その後の自分に時間の感覚というものを、いかに感じればいいのかということを示してくれたような気がする。
ただし、
「これが、もし逆だったら?」
と考えたとするならば、少し感覚が違っていたのではないかと感じるのだった。
特に社会人になってから、いや、学校を卒業してからといってもいいだろうが、それまでとまったく違った毎日を過ごすようになって、余計に、
「一日一日がなかなか過ぎてくれないのに、一週間があっという間だった」
というような、今度は高校時代のような感覚に戻ってしまっていたのだ。
それは、
「大学時代というものが、特別な期間であり、何をやっても許されるのではないかと思うような、お花畑にいるような毎日だったからではないだろうか?」
と感じたのに対し、大学を卒業してしまうと、今度は、
「会社という組織に縛られて、お金を貰って生活をしていくことが、大人になるということであり、そこには、義務や責任というものが見える形として自分に襲いかかってくるのではないだろうか?」
と感じるのだった。
ただ、大学時代も、別に何も考えずに遊びまくっていたわけではない。ちゃんと、四年間というものが、どういうものなのかということを自覚するようになり、自分の中で、逆算して時間を見ていたような気がしたのだ。
「時間を逆算して見る?」
そんなことを大学時代に考えたこともなかった。
あとになってから考えるから、
「逆算」
などという発想が生まれてくるのであって、
「大学時代だけが、特別に、時間の感覚が違っていたのだ」
という、まるで他人事のような考えではなく。感覚が違うのであれば、それにはそれなりの理由というものがあるのではないだろうか?
それが、
「逆算」
という考え方であり、自分にとって、長い短いという感覚と、長さの感覚が正反対になったのは、
「楽しい毎日だった」
という単純な考えからだった。
しかし、大学時代には焦りというものがあり、その焦りが、
「一週間などのまとまった単位があっという間だった」
と感じさせるのだろう。
4年の中で一週間といえば、微々たる長さで、別に態勢としては影響のあるものではないだろうが、それが何度も繰り返されてくると、
「あっという間に一年生が終わっていた」
ということになるに違いない。
一年が終われば、二年、三年、とあっという間であった。その記憶が自分の中に残っている。三年生が終わって、いよいよ就職活動ともなると、すでに、大学時代という感覚はなかった。
そのくせ、面接官や、世間は、
「まだまだ学生の青二才が」
という目で見ているのを感じる。
考えてみれば、今は大学の4年生、つまり、学生では最高峰にいることになる、しかし、卒業してしまえば、どこに行こうとも、すべてにとって一年生だ。だから、会社勤めをしている人は皆そんな目で見る。
「自分たちだって、そんな時代があり、今の自分と同じ思いをしていたであろうに、やはり、社会というものに、一歩足を突っ込んでしまうと、学生とは、一線を画す自分がいることを感じさせられるに違いない」
ということであった。
つまり、
「立場の変化がというものが、時間の感覚や、時間の周期の感覚に、影響を与えるのではないだろうか?」
と感じるのだった。
社会人というものになってしまうと、時間に対しての感覚やまわりへの感覚も変わるが、一番変わったように見えるのが、自分である。
しかし、それは幻であって、一番変わってはいけないのは自分ではないだろうか? つまり、変わったかのような幻想に惑わされ、一喜一憂してしまうのが、危険だということになるであろう。
畠山は、
「社会人」
という言葉が嫌いである。
さらにいえば、
「一般常識」
あるいは、
「国際社会」
という言葉も嫌いである。
親がよく口にしていた言葉であり、政治家が口にする言葉でもあった。そういう意味で、最近では、
「安心安全」
という言葉も嫌いである。
これは、
「欺瞞に満ちた」
といってもいいくらいの言葉であり、
「そんな言葉で国民を騙せると思うのか?」
と思わされた言葉で、これを聞くと、ある腐った、元ソーリの顔が思い出されるようで嫌だった。
今のソーリもさらにひどいソーリだが、
「本当にこの国に、まともな政治家なんかいるんだろうか?」
と考えさせられてしまう。
父親は、
「立派な社会人になるには、身だしなみをちゃんとしないとだめだ。ずんだれた格好をしていると、立派な社会人になれない」
という言い方をする。
「ずんだれるってなんだ? そんな言葉存在するのか?」
と心に思って決して口には出さなかったが、睨みつけることしかできず、父親に逆らえない自分が情けないと思ったものだ。
とにかく、世間的に平均的な人間が一番いいと思っているのか、やたら、
「世間一般」
あるいは、
「普通の社会人」
などと言う言葉を使う。
そもそも、普通や一般というものがどのようなものなのか? さらには、社会人っていったい何なのか? 聞いてみたいものだった。
そんな家に育ったので、やたらと自分を、
「平均的な大人。人から笑われないような大人」
そんなものを目指せと言われていて、その曖昧さが次第に、怒りに変わってくるのであった。
あれは、中学時代の頃だっただろうか? 皆友達の家に泊まり込んで、遊ぼうと、遊びに行ったその時に急遽決まったのだ。正月に友達の家で集まって遊んでいたのだが、友達の家でも、歓迎してもらえるということだったのだ。
「だけど、皆ちゃんと、家の人に許可を取ってね」
と相手のお母さんはそういった。
「皆許可さえもらえれば、それでいいのよ」
と言っているのであり、その裏返しに、
「自分たちが許可してるんだから、ダメっていう親はいないだろう?」
と思っていたに違いないのだ。
実際、畠山のそう思っていた。
しかし、皆、許可が得られる中で、最期に電話をした畠山の親は頑強だった。
「いけません。帰ってきなさい。お父さん怒ってるわよ」
というではないか。
「こっちの親も許可してくれてるんだよ」
というと、
「よそ様はよそ様。うちは違うの」
というではないか。
埒が明かないと思い、友達の親から話をしてもらうことにした。
すると、
「やっぱり、向こうのお母様は頑なに帰らせるようにいうのよ。申し訳ないけど」
というではないか、
「いいえ、説得ありがとうございました」
といって、一人情けなく帰らなければならない、自分の運命を呪い、それ以上に親を憎んだ。
「どうして皆泊まるというのに、俺だけ、惨めな思いをしないといけないんだ?」
と、その理不尽さに、怒りと情けなさとが交差して、情けなさで涙が止まらない。
「どうして涙が出るんだ」
と思えば思うほど、目頭が熱くなるのだった。
「要するに親は自分が憎いんだ」
としか、その時は思えなかったのである。
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