【短編】上の階に住むワガママな彼女は今日も俺を振り回す
石田灯葉
上の階に住むワガママな彼女は今日も俺を振り回す
キッチンでパスタを茹でていると、電話がかかってきた。
どうせYouTubeを流し見ながら8分間が過ぎるのを待っているだけなのだから、電話がかかってくるのには絶好のタイミングとも言えるだろう。
しかし、問題なのはスマホの画面には表示されているその名前だ。
『
「また今井かよ……」
とはいえ、彼女からの電話に出ないわけにもいかない。どうせすぐにバレるし。
「……もしもし」
『ちょっと、出るの遅くない? 出るかどうか迷ったでしょ?』
「迷ってないよ」
本当に迷ってはない。出るのが面倒だな、と思っただけだ。
『ふーん。まあどっちでもいいけど。今から
「なんで?」
『すごいコト、思いついたから!』
1分後に、今井が来た。
「邪魔するわよ!」
ばこーん!と、2000年代ラブコメみたいなノリでドアを開けた彼女は、ショートカットの髪を揺らして、ワクワクキラキラの笑顔を浮かべている。タンクトップとショートパンツという、カジュアルというかもはや部屋着というか、とにかくその生活感と太ももが逆に眩しい。
……いやいや、そうじゃなくて。
「いつもいきなり過ぎるだろ。俺にも用事があるかもしれないんだから……」
呆れ顔で迎えると、今井も「はあ?」と、顔をしかめる。
「今まで用事なんてあったことないじゃない。大体何かあったとして、それがあたしからの連絡に
それに、と彼女は続ける。
「電話切ってから1分間も家を出ないで待ってるのよ? 話したいコトあってうずうずしてるのに、玄関先で足踏みして我慢してるの。
そう言いながら彼女はその場でドタドタと足踏みをしてみせる。俺の部屋は1階だからいいものの、2階でそれをやるんだから、
まあ、幸か不幸か、その心配はないわけだけど。
俺は真上を指差す。
「
「来いって言ったり来るなって言ったり、あなた情緒どうかしてるわよ?」
「今井に情緒を指摘されたら終わりだな……」
「1分間待ってあげてるのは、あんたがエロ同人とか片付けるための
「今井が一階上に住んでる時点で俺にそんなセイカツは保証されてねえよ」
「え、うそ……」
今井は自分の口に手を当てて大袈裟に
「それ、不健全で不健康よ? こないだなんかの記事で読んだけど、あんまり溜めてると精巣がんになる確率が高いって……」
「本気で心配すんな。そして、俺の性生活をこれ以上深掘りすんな」
「あたしだって別にそんなの深掘りしたくないわよ! あんたに死なれたら困るから言ってるだけ! 勘違いしないでよね!」
「それだけ聞くとツンデレ幼馴染みたいなんだけどな」
しかし、そうではない。
彼女が俺を心配する理由は、
「違うわよ、
あくまでも俺と彼女が2人で1人の漫画家——イマイシコミヤだからである。
俺が死んだって、今井に作画してもらえるならもっと面白い作家がいくらでも名乗り出るだろ。……などと言えば彼女を怒らせるだけだということは分かっているので、俺はその代わりに質問をする。
「で、その最強の思いつきってなんだよ?」
「新作のアイデアに決まってるでしょ!」
そして、彼女は、これ以上ないほどに
「身体中がツヤツヤテラテラしてるみたいな制服美少女が描きたいから、そういう物語を書いて欲しいの! あ、間違えないでね? 服を着てても、その上からツヤツヤテラテラしてるのよ? ラミネート加工されてるみたいな!」
「ああ……。…………ああ?」
「それと、意見欲しいんだけど」
その変な味のするアイデアを
「ハイソとニーソとタイツ、ラミネートされてたらどれが一番えっちだと思う?」
どれでもいい。ていうか前提が分からない。
とはいえ、彼女の質問に無回答はタブーだ。
「…………裸足は?」
「あなた、正気? なんのためにラミネート加工してんのよ?」
「……なんのためにしてんの?」
俺が聞き返すと、彼女は腕組みをして、むむむ……?と首をひねる。
「…………なんのためかしら?」
「わかんないのかよ……」
虚しい沈黙を強調するように、ピピピピピ……と、キッチンタイマーが音を鳴らした。
2年前——高校2年生の2学期のある日の朝のことだ。
登校すると、
「
「は……?」
隣のクラスの美少女——
朝日が彼女のショートカットと大きな瞳を照らす。そわそわしたみたいな、わくわくしたみたいな、そんな表情で教室の前の扉をちらちらと見ていた。
「えっと、……そこ、俺の席なんだけど」
と言い終わるかどうかのタイミングで、「そっちから来たか!」と言わんばかりにニパッと笑った彼女は、
「会いたかったわ、ヤミコシ先生!!」
と大声をあげる。
「ちょっ……!」
俺は激しく動揺した。
決して、美少女が顔をぐいっと近づけてきたからではない。
いや、それもあっただろうけど、それ以上に「いや、俺の秘密を勝手に大声で言ってくれてんの!?」という動揺だ。そのちょっと後に、「ていうかなんで知ってんだよ!?」というのも来た。
つまり、『ヤミコシ』というのは、俺がネット小説を書いている時のペンネームだったからだ。
「やみこし?」「先生……?」
学年でも有名な他クラスの美少女が教室に来たことで衆目を集めているところに、大きな声で謎の単語が飛び出し、教室がにわかにざわつく。
「おい……」
しかし、そこまでの疑問や
「これを読んで欲しいの!!」
彼女の差し出したiPadの画面を見た瞬間にすべて吹き飛んだ。
「え、これって……!」
信じられないほどの画力で描かれたマンガ。
「どう? 最強じゃない?」
そのマンガは、俺の投稿した小説のコミカライズだったのだ。
「これ、どうして……」
驚愕と狂喜を一気に注ぎ込まれて溢れてぼやける視界の中、今井佑衣は不敵に笑って言った。
「
それが、俺たち2人の漫画家——イマイシコミヤの結成の瞬間だった。
それから1年半後に俺たちは、同じ大学に入学した。
俺は地道に勉強を重ねて指定校推薦で入学したが、今井は冬休みが始まる高3の12月から受験勉強を始めたくせに、危なげなく合格を果たした。一応有名私立大なんだけど……本当に可愛げがないやつだと思う。
まあ、そこまでは、今井も「肇と同じ大学に行く」と言っていたから、彼女の天才肌の頭脳を知っている人間なら予想のつくことだが、そこから先が彼女の今井らしいところだ。
一人暮らしを始めた俺の部屋の真上に、彼女は部屋を借りたのだ。
とんでもない距離感だと思うが、これでも今井的には譲歩しているらしい。
なんといっても、最初は内見に付いてこようとしていた。
「何で……?」と聞いたら、
「なんでって何? あたしも住むんでしょ?」と睨まれて、
「いや、断じて俺たちはそういう関係じゃないんだから一緒に住むわけにはいかないだろ」と説明すると、
「はぁ!? 肇、そんなコト考えてたわけ? 不潔なんですけど……!」と軽蔑された。なんでだよ。
そんなこんなで始まった不思議な共同(?)生活だが……。
「ごめん、あたしがどうかしてたわ……ラミネートされた人間とか意味わかんないわよね……」
入学から1ヶ月強が経った今、俺たちは圧倒的に迷走していた。
あの時に今井が書いてくれた読み切りを有名少年誌のアプリの新人発掘コーナーに投稿し、優秀賞を受賞して一度は連載を開始したものの、結果は振るわず、即打ち切りで単行本は1巻で終わってしまったのだ。それが俺たちが高校3年の秋頃のこと。
受験も終わり、次に連載するための企画を編集さんに出すため、日々アイデアを出してはつぶしたり、練ろうとして途中でつぶしたり、ほぼ完成しそうなのに最後の最後でつぶしたりしているのが大学入学してから1ヶ月の俺たちの現状である。
「いや、全然……麦茶飲むか?」
「うん、飲むー……」
ちゃぶ台の上の皿を片付けて、麦茶を2つのコップに注いで戻り、パソコンを開いてその前で腕組みをする。
「うーん……」
と、右肩に柔らかい重みを感じた。
「……おい、今井。サボるな」
「サボってないわよ。何も浮かばない時こそインプットが大事なの」
俺を背もたれにして今井が漫画を読み始めたのだ。
「それ毎日言ってるだろ。もう2週間も」
「だから? 2週間前も今もインプットが大事なのは変わらないわ。真理っていうのはそんな数週間で変わるものじゃないのよ」
「でも何も浮かんでないじゃん」
「浮かんでるわよ。浮かんだアイデアがちょっとイケてないだけで。逆にずっとパソコンに向かってる肇からはイケてないアイデアすら出てこないじゃない。はい、論破」
「よく回る口だな……」
脚本担当に作画担当が口喧嘩で勝つなよ。
まあ、彼女のいう通りかもしれない。
馬鹿の考え休むに似たり。腕を組んでいる俺よりは漫画を読んでいる今井の方がまだ有益な時間を過ごしているような気もする。真面目に作ろうとしている相方に体重をかけるのはどうかと思うが。
俺も漫画を読むか……と思ったその時。
「……ねえ、肇」
今井は、少し声のトーンを落として、開いた本をそっと胸元に置きながら、顔だけ俺の方に向ける。
「何だよ?」
俺はそっちを向かない。そうすると顔がものすごく近くにあることは分かっているから。
代わりに、真っ黒になったパソコンの画面越しに彼女を見ていた。その艶めいた唇で、彼女は言う。
「肇って、キスしたコトある?」
「…………は?」
「あたし、ないのよね」
俺の頭の上に「!」と「?」が噴出する。
今井とタッグを組んでもう2年も経つのに、未だにこんな感じで俺の頭は混乱させられっぱなしだ。
「柔らかいのかしら? 本当にレモンの味とかするのかしら?」
混乱する俺に構わず彼女は続ける。
「気持ち良いものなのかしら?」
「いや、それは……」
「
「知ら、ないけど……」
その唇からこぼれでるその想像上のオノマトペに動揺する。
「そ、そもそもなんでいきなりそんなこと言い始めたんだよ?」
俺がなんとか口にした抵抗に、
「肇のせいよ?」
今井は真剣な声音で答える。
「俺の……?」
それってどういう……。
彼女はむくりと起き上がって、読んでいたマンガの1シーンを見せてくる。案の定、キスシーンなわけだが……。
「たいていのマンガには大なり小なりキスシーンが存在しているわ。恋愛がテーマじゃなくってもよ? それなのにどうして今の今までキスの感触を知る必要性を感じてなかったと思う? 肇がキスをする描写を脚本に入れてこないからなのよ!」
「だから俺のせいってことか……」
安堵(多分)のため息がまろび出る。
「そう。肇、それって、みんなが持ってる強力な武器を使ってないってコトよ?」
「でも、俺は自分の体験から想像できないことは」
「書けないっていうんでしょ? だったら、体験すればいいじゃない」
「おい、今井、もしかして……」
こうなった彼女が言うことは、決まっている。
「キス、しよう?」
「それは、さすがに……!」
「どうして?」
今井は眉間に皺を寄せて首を傾げる。そんな色気のない仕草すら今は
「初めては好きな人としたいの?」
「うん……うん?」
うん? そうなのか、俺?
戸惑う俺に今井が呆れ顔になる。
「あのねえ。その迷っちゃうような曖昧な信条と、あたしたちの作品とどっちが大切なわけ?」
「それは、作品だけど……」
「じゃあ、ほら、正座して」
せ、正座? 正座でするものなの?
「ていうか、今井は嫌じゃないのか……?」
「嫌じゃないわよ」
そのあまりにもまっすぐな視線に、俺の方が間違っているんじゃないかと思わされる。
「そう、なのか……」
固まっている俺を見かねて、仕方ないわね、と彼女はため息をつく。
「分かったわ、じゃあ、こうしましょう」
今井はちゃぶ台の上に置いてあるラップの容器を取り、少し引っ張って切り離した。
「
「それ、逆にいやらしくないか?」
「うるさい!」
イライラした様子の彼女は俺の顔にラップを押し付ける。
青や赤の淡い光のキラキラする膜のその向こうから、今井の整った顔が近付いてくる。
怖いのかなんなのか分からず目を閉じた瞬間、唇に何かが触れる。
その柔らかいような硬いような、有機物っぽい動きをする無機物は、ただ触れただけじゃなく、
「ん……」
「……!?」
少しだけついばむような動きを見せた後、
「……ふん、こんな感じ」
そんな言葉と共に離れていった。
「今井、えっと……」
呆然としている俺の目の前、今井はすぐさま立ち上がって。
「……帰る」
「帰るんだ!?」
玄関へと歩き出すその横顔は真っ赤に見えたが。
「すぐにこの感触を絵にするの!」
「お、おう……」
バタン、と扉が閉められると、トントン、と足音が外階段を鳴らして。
そして、
『うぅぅぅぅぅぅぅぅ〜〜!!』
上の階からドタドタという足踏みの音と、枕かクッションか、はたまた手のひらに多少は吸音された、それでも大きな声が聞こえた。
「今井も恥ずかしいんじゃねえか……」
などと独りごちるものの、彼女のその傍若無人なまでの向上心に引っ張られてここにいるんだろうなとも思う。あわあわ言っていただけの自分をこそ恥じるべきなのかもしれない。
とはいえ。
……机の上に視線を戻すと、乱暴に放置されたラップがある。
どう処理すればいいの? これ……。と、口をへの字にして見ていたのだが、
「そうか……!!」
数十秒後に慌ててパソコンを起動して、メモ帳に新しい企画を書き出す。
『彼女は透明な膜に包まれている(仮)』
舞台は近未来。肌を空気に触れさせられることが出来ず、ラップみたいな膜に常に包まれた、どうやっても直には触れることが出来ない女子とのラブコメだ。
多分、ラミネート加工されたみたいな制服女子がヒロインになるだろう。
【短編】上の階に住むワガママな彼女は今日も俺を振り回す 石田灯葉 @corkuroki
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