第56話 見慣れた光景
「ただいま戻りました〜」
スキルの検証を行いながらキメラを討伐した後、家へと帰ってきた俺は、いつものようにノックをする事なく扉を開けて中へと入る。
「あら、お帰りなさい」
するとそこには、お風呂から上がったばかりなのかタオルで髪を拭いている一糸まとわぬ姿の師匠に出迎えられた。
「はぁ。いつも服を着てから出てきてくださいと言ってますよね」
「仕方ないじゃない。お風呂上がりって暑いのよ。それに、ノアたちが来る前はいつもこうだったから、なかなかその癖が抜けないのよね」
髪をしっとりと濡らす水滴と、お風呂上がりのせいか熱っぽい白い肌、そして水滴が伝う胸や首筋を見れば普通の男なら理性を失うことに間違い無しだが、生憎と俺にはそんな彼女を見ても感じるものはなかった。
(というより、見慣れてしまったんだよなぁ)
今世でも何度かこんな事はあったが、過去の世界でも記憶としてこんなやり取りをしていたことだけは情報として覚えている。
最初の頃は大人の魅力に溢れる師匠を見て頬を赤らめていた俺でも、二年も一緒に生活していれば見慣れるというもので、何なら半年も経たずに師匠の体を見ても何も感じなくなった。
(まぁ、それでも、師匠が魅力的じゃないってわけじゃないないけどさ)
断じていうが、これは師匠に魅力が無いというわけではない。
寧ろそこら辺にいるどんな女性よりも魅力的だし、トップレベルで美しい人ではある。
あるのだが……
(興奮とか見惚れるよりも最初に、ちゃんと髪を拭いて欲しいとか、風邪を引いたらどうするんだとか、そっちの心配ばかりしてしまうんだもんなぁ)
感覚としては、もはやお世話係や家族に近いものなので、そういった欲を抱くよりも先に師匠の体調を心配してしまうのだ。
「なぁ〜に?そんなに見つめちゃって。もしかして見惚れちゃった?」
「はは。ご冗談を。師匠が美しいのは今に始まったことじゃありませんが、だらしない師匠の姿もよく知ってますからね。それより、あなたの髪から滴った水を拭くのが大変だろうなと思ってましたよ」
「ぶぅ〜、その素っ気ない返事はあまり感心しないわね。ここに来た日の夜は私とそういう関係になっても構わないと言っていたのに、そんな愛しい師匠の裸を見たにしては、反応が薄すぎるんじゃないかしら」
「師匠。今の俺をよく見てくださいよ。もう直ぐ13になるとはいえ、まだ子供ですよ?そんな俺に何を求めているんですか?」
「あ〜」
自分で言うのもあれだが、過去の記憶があるため性格や行動的には大人びて見えるかも知らないが、俺の体はまだまだ子供であり、成長期のため身長や筋肉はついてもまだ子供っぽさが残っている。
そんな俺を上から下まで見た師匠は納得したようにニコリと笑うと、あからさまに視線を逸らした。
「確かにそうだったわね。行動や性格が達観しすぎていて忘れていたわ。確かに年齢を考えると、まだまだアウトね」
「理解してもらえて良かったです。というわけで、俺は水滴がシミにならないうちに床を拭きますので、師匠は服を着てきてください」
「はいは〜い」
師匠は少しだけめんどくさそうに返事をすると、服を着るために自室へと戻っていく。
「はぁ、全く。あの人はいつまでも子供みたいだな」
長生きする人の感覚なんて俺には分からないが、ゲーム時のヒロインの一人にエルフの少女がおり、彼女の話では長命な種族ほど子供っぽい性格をしている人が多いという。
その理由は、真面目な性格をしている者ほど精神的に病んでしまい、生きていることに飽きて自殺してしまうからだそうだ。
(もしかしたら、師匠もそうなのかもな……ん?)
そんな事を考えながら床を拭いていると、机に向かって一生懸命勉強をしているエレナの姿が視界に映り、彼女のもとへと近づく。
「勉強はどうだ?」
「わっ?!ノア様!!いつお帰りになったんですか?」
「ついさっきだ」
よほど勉強に集中していたのか、エレナは俺が声をかけるまで帰ってきたことに気づいていなかったようで、声をかけると驚いた様子を見せる。
「今は何の勉強をしてたんだ?」
「あ、魔物についてです。魔物ごとに体の作りや弱点となる部分が違うので覚えるのは大変ですが、まずは弱点となる攻撃から勉強していました」
「なるほどな」
確かに魔物は人と違って心臓や首筋など共通の弱点がある訳ではなく、心臓を複数持っているものもあれば、硬い鱗や筋肉で弱点を守っているものもいる。
そのため、全ての魔物の弱点となる攻撃箇所を覚えようと思えば途方もない時間が必要であり、まずは弱点となり得る攻撃から勉強をするのは悪くない選択だった。
「今見てるのは
「はい。幽霊系は主に水か光魔法の『浄化』が効くとこの本に書いてありました。それと、物理攻撃を無効化するスキルを持っているため基本的に武器などによる攻撃も効かず、対処法としては聖水を武器にかけると効くらしいですね」
自信満々に幽霊系の魔物の弱点について語ってくれるエレナだが、俺は彼女が参考にしている本を見て、何とも言えない気持ちになった。
「それ、合ってはいるが情報としては不十分だぞ」
「え?」
「その本、ジーホ・タランが著者の本だろ」
「は、はい。エリザベート様の本棚にあったもので、読みやすそうだったので」
「そいつ、一般的に知られてる内容しか記さないから、重要な情報がいつも足りてないんだよ。そんなんでよく本が出せたなって言いたいレベルに一般常識しか書いてないから、ある程度魔物に詳しいやつは読まないし、冒険者ギルドの依頼書にも魔物の弱点としてほとんど同じ内容が書かれてるから、参考にしても意味ないぞ」
「そ、そんな……」
ジーホ・タランの本は、魔物の襲撃が多い村の子共なら当たり前のように知っている情報しか書いていないため、魔物討伐を生業としている冒険者ならまず買わないものだ。
もちろん、全く役に立たない訳ではないため、初めて魔物と戦う人や基礎知識だけを身につけたい人などは買う場合もあるが、より専門的な知識を求める人にとっては対して必要のない本だった。
「まぁ、お前は暗殺者として教育されてきたから知らないことも多いと思うし、魔物の基礎知識を身につけるならだけならそれでも良いかもしれないが、より専門的な知識を求めてるならその本じゃダメだ」
「そ、そうなんですね」
「少し待ってろ」
俺はそう言ってエレナのそばを離れると、本棚で目当ての本を見つけ、それをテーブルの上に置く。
「より魔物について知りたいなら、クワシュク・シールスの本がおすすめだ。お前が今見ていた幽霊系の魔物についてだと……ほら。こんな風に、浄化魔法以外にも、火魔法レベル7で覚えられる『聖火蒼』でも浄化できるし、光魔法の効果がある武器なら倒せるって書いてあるだろう?」
「ほ、本当だ……」
古来より、炎には不浄の力があると考えられて来たため、この世界では死んだ人を火葬するのが主流となっている。
そのため、必要レベルは高くなるが火魔法にも毒や幽霊系の魔物を浄化する魔法が存在しており、他にも幽霊系の魔物が嫌う光魔法の効果がある武器なら物理的にも攻撃する事ができるのだ。
まぁ、その武器は教会などでしか買う事ができない高価な武器であるため、なかなか買おうとする人はいないのだが。
「しっかりと魔物について学びたいのなら、そんな本よりこっちを読むように」
「わかりました。それにしても、どうしてこんな本をエリザベート様はお持ちなんですか?あの方にとっては何の役にも立たない本に思えますが」
「あぁ、それはな。あの人、変な収集癖があるんだよ」
「変な収集癖?」
「簡単に言えば、誰も買わないような、誰も必要としないような、そんな物を興味本位で買う癖があるんだ。そして、買ったら興味を無くして部屋のどこかに置いておく。しばらくすれば本人すら買ったことを忘れるんだ」
「それは何とも……」
「ダメ人間だろ?だからここに来た時は、あんなに部屋が汚れてたんだよ」
「あはは」
エレナもようやく師匠が如何にダメ人間なのかを理解してきたようで、彼女は頬を引き攣らせながら笑うだけだった。
「ちょっと、失礼じゃない?ノア」
「師匠」
すると、着替えを終えた師匠が不満そうな声で俺の名前を呼びながら部屋から出てくる、何故か後ろから抱きしめてくる。
「失礼じゃありませんよ。どうせあの本だって、買ったことすら忘れていましたよね」
「ふふ。買ったことどころか、存在すら忘れていたわ」
「あぁ、そうですか」
遠回しに存在すら否定されてしまったジーホの本には多少なりとも同情してしまうが、師匠にとっては知っている知識を得意気に羅列された本でしかないため、当然と言えば当然であった。
「それよりノア。今日はいつもより帰りが早かったわね?魔物を狩り過ぎて数でも減ったの?」
「まぁ数は少しずつ減ってはいますが、そこまで相手になるやつがいなくなったんですよね。今日は最後にキメラが出てきましたが、それも倒してしまいましたし」
「あら。キメラっていうと、北側でリーダーをやってる1匹じゃない。そう、あれも倒しちゃったのね」
「はい。なので、明日からはもっと早く帰ってこられるかもしれませんね」
「ふーん」
師匠はそう言って少し考える素振りを見せると、何かを思いついたのかニコリと笑い、俺を抱きしめている腕に力を込める。
「なら、明日から西側から登りなさい」
「え。もうですか?」
「えぇ。元々はもう少し様子を見る予定だったけど、ノアの反応を見るにどうやら余裕だったみたいだし、北側にいる他のリーダーの魔物たちを相手にしても物足りないでしょう。なので、明日からは西側で頑張ってきなさい」
「まじですか」
「まじよ。エレナちゃんも勉強頑張ってるんだから、あなたも頑張りなさい」
「はぁ。わかりました」
確かに師匠の言う通り、最近では北側のルートでも物足りなさを感じていたのは事実だし、何よりエレナが最低限の睡眠だけで勉強を頑張っていることを知っている俺としては、彼女に負けないよう頑張るのは当然だと言えた。
こうして、明日からは最も危険な西側のルートを使い、この場所まで戻ってくる修行が始まるのであった。
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