第46話 骨も残らない

 師匠の家へとやって来た翌日。


 俺が作った朝食を師匠とミリアと俺の3人で食べ終えると、ミリアが食器を洗っている間に俺は洗濯をする。


その間、師匠は薄着のままソファーにだらしなく寝そべっていた。


「師匠。こっちは全部終わったので、そろそろ起きてください」


「んん〜」


「ダメです。いつもは寝てる時間なのかもしれませんが、今日からは俺たちもいるんです。起きて着替えて修行してください」


「んん〜?」


「昨日も明日からって言ってたじゃないですか。どうせ明日になれば、また次の日にとか言い出すんでしょ?それは許しませんよ」


「んん……」


「はぁ。ようやくですか。ほら、手を引くんで起きてください」


 俺はそう言って師匠が上に伸ばした手を力一杯に引っ張ると、彼女は長い髪を揺らしながら体を起こした。


「さぁ、早く部屋に行って着替えて来てください。服はさっきベッドの上に置いて来ましたから」


「んん」


 師匠は眠そうにしながらフラフラと自分の部屋に向かっていくと、今度はそんな俺たちのやり取りと見ていたエレナが、何とも言えない顔をしながら近づいてくる。


「あの、さっきのはいったい?」


「あぁ。師匠は低血圧だから朝が苦手なんだよ。まぁ、ここはいつも暗いから時間の感覚が狂ってるのもあるけど、寝起きは特に酷いんだ」


 過去に俺が世話をしていた時も、師匠を起こすことは本当に一苦労で、低血圧のせいで朝が弱い彼女は、朝食もほとんど寝た状態で食べているくらいだ。


「いえ。それも気になりましたが、何故ノア様はあれで会話ができていたのですか?」


「ん?あれってなんだ?」


「んんってやつです。エリザベート様はそれしか言ってませんでしたが、ノア様はあの方の言葉を理解しているようでしたので」


「あぁ、あれか」


 しかし、エレナが気になっていたのは先ほどの俺たちのやり取りの方だったようで、言葉にすらなっていない師匠の声に対して、俺が会話をしていたことが理解できていないようだった。


「あれは慣れだよ。師匠がどんな性格をしていてどんな人なのか、あの人のことをよく知って深く理解すれば、あんなのでも何が言いたいのかわかるようになる」


「はぁ。なんか、凄いと褒めるべきなのか気持ち悪いと貶すべきなのか微妙なところですね」


「酷い言われようだな」


 俺だって、好きでこんな特技を身につけたわけじゃない。


 ただ師匠があまりにもだらしない人で、戦闘になれば強くてかっこいいし、見た目だって大人っぽくて綺麗なのに、中身が残念過ぎた結果、俺が彼女を理解して前もって動けるようになる必要があっただけなのだ。


 それに、頭の中には数え切れないほどの師匠との生活が記憶として残っているため、その記憶を基に彼女のことを考えれば、ある程度のことは予測できてしまうのだ。


「お前だって、メイドとして俺の行動を前もって予測して行動していただろう?それと同じようなものだよ」


「そうでしょうか。確かに私もメイドとしてノア様の行動や考えを理解できるよう努力していますが、ノア様のようにただの返事だけで会話まで予測することはまだ難しいです」


「無理とは言わないんだな」


「無理って言ったら本当にできなくなっちゃいますからね。将来的にはできるようになりたいので、これから頑張ります!」


 エレナはそう言って胸の前で手のひらを握り、やる気を感じさせる可愛らしいポーズを取る。


「ふわぁ〜、お待たせぇ〜」


 そして、ようやく準備を終えた師匠が眠そうに欠伸をしながら部屋から出てくる、俺たちを見ながらニッコリと笑う。


「あ、これやばいやつだ。エレナ、覚悟決めとけよ」


「え?」


「それじゃあ二人とも、まずは外に出ましょうか。修行についての話はそれからね」


 こうして俺たちは、楽しそうに笑う師匠に連れられて、家から少し離れたところにあるひらけた場所へと連れて行かれるのであった。





「わぁ、すごく広い場所ですね。これから何が始まるんでしょうか」


 エレナは師匠に連れられて来た場所に着くなり周囲を見渡すと、不自然なまでに木が一本も生えていないこの場所を眺めながら呑気にそんなことを言う。


「試験だ」


「試験ですか?」


「あら。さすがノア。やっぱりこの場所についても知っていたのね」


「当然ですよ。この場所で何度死にかけたことか」


「ふふ。でも死ななかったでしょう?」


「まぁ、そうですけど。もし師匠が封印を解いたら、俺なんてすぐに存在ごと消えてしまいますからね」


「封印のことも知ってるのね。過去の私は、随分とノアのことが気に入っていたようね」


 実は師匠は、自身に力を抑えるための封印をかけている。


 その理由は単純で、彼女が未だに自分の力を制御することができておらず、もし封印を解いてしまえば、レンド王国と同じようにここら一帯を意図せず消してしまうからだ。


「なら、試験の内容ももちろん知っているわよね?」


「師匠との一騎打ちですよね」


「え、一騎打ちですか?!あの宵闇の魔女と呼ばれる魔法使いと!」


「せいか〜い。ただ、一騎打ちと言っても命を取り合うわけじゃないわ。私が今のあなたたちの実力を知りたいのと、それを参考に今後の修行内容を決めたいだけよ。それに、私は力を抑えて手加減もするから安心してね」


「ほっ。そ、それなら……」


 師匠から手加減をすると言われたエレナは安心したように息を吐くが、彼女は俺が死にかけたと言ったことをもう忘れてしまったのだろうか。


「お前、なんで安心してるんだ?」


「それは、手加減してくださるそうですし、命を取り合うわけでもないと仰っていたので」


「はぁ。やっぱり、俺がさっき言った言葉を忘れてしまったようだな」


「言葉ですか?」


「俺はさっき、死ぬかと思ったと言ったはずだ。それはつまり、死にはしないが死ぬ直前まではいくということだぞ」


「は?」


「いいか。師匠は確かに手加減をすると言ったが、それはあの人にとっての手加減だ。大人が子供の力量も分からずとりあえず手加減をするのと同じで、あの人の感覚で『まぁ、これくらいかな』っていう軽い感じの手加減だ。つまり、例え手加減をされていたとしても、俺たちにとっては油断したら死ぬレベルで強いってことだ」


 そんな出鱈目なと思ってしまうかもしれないが、英雄武器に選ばれるという事は、それだけ一般人とはかけ離れた力を手に入れるということなのだ。


 そして、それは俺の父親であったファルメノ公爵も同じであり、師匠ほどではないが、英雄武器に選ばれた彼はここアルマダ帝国内でも上位の強さに入るほどの実力者であった。


「さらにタチが悪いことに、あの人は死ななければどんな怪我をしても構わないって考えを持ってるから、腕の一本や二本は覚悟しないとダメだぞ」


「エレナちゃ〜ん!まずはあなたからやるから、早くこっちにいやっしゃ〜い」


 そして、そんな試験に最初に選ばれたのはエレナであり、師匠はニコニコしながら手を振ってエレナを呼ぶが、そんな師匠を見て恐怖したのか、彼女は目元に涙を浮かべながら僅かに震えていた。


「わ、わたし、本当に死にませんか?あのやるは、試験をやるで合ってますよね?殺るのやるじゃありませんよね?」


「油断しなければ死にはしない。だから行ってこい」


「そのいってこいはどっちですか!!私すごく怖いんですけど!!!」


「エレナちゃん!早く〜!」


 エレナには行ってこいという言葉が逝ってこいに聞こえたらしく、彼女は非難するように叫ぶが、待ちかねた師匠がもう一度エレナの名前を大きな声で呼んだ。


「うぅ。骨は拾ってください……」


「残念だが、師匠に殺されると死体すら残らないからそれは無理だな」


「あぁ、私の命……儚かったなぁ。せめて楽に死にたいです」


 もはや彼女の中では死ぬことが確定しているのか、エレナは哀愁を漂わせながら師匠のもとへと向かって行く。


 そんな彼女の後ろ姿は、さながら親猫に首根っこを噛まれてライオンの前に置いて行かれた子猫のように哀れで、何とも見ていて可哀想な姿をしていた。






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