第47話 ダンスのお誘い

◇◇


 エリザベートに呼ばれたエレナは、まるで処刑台に上がる罪人のような重い気持ちで歩いて行くが、それに対してエリザベートは実に楽しそうにニコニコと笑っていた。


「ふふ。誰かと遊ぶのは久しぶりだから本当に楽しみね」


「あの、お願いですから殺さないでくださいね。私、ノア様ほど強くありませんし、エリザベート様から見たら蟻のようにちっぽけな存在なので、手加減もエリザベート様が考えてるよりさらにたくさん手加減してもらえると助かります」


「あらあら、随分と可愛いことを言うのね」


「いや、ほんとにほんとです。私は対して強くありませんので、ほんとにたくさん手を抜いていただけると……」


「なら、エレナちゃんはここで帰った方がいいと思うわよ?」


「……え?」


 エレナが何とか手を抜いてもらえるよう情けない言葉を連ねていると、エリザベートは先ほどまでの明るい雰囲気から一転し、つまらなそうに爪を眺めながらそう言った。


「エレナちゃんがノアの言葉をどこまで理解できているのかわからないけれど、今のままついて行くと言うのなら、私は帰ることをお勧めするわ。あ、もし何か不安があるなら言いなさい?私の信頼する友達にあなたの事を預けてあげるから。誰かに狙われて死ぬことも、飢えて死ぬこともないはずよ」


「なぜ、そんなことを……」


「いい、エレナちゃん。ノアは魔皇になると言ったの。それは即ち、この世界の大半を占めている人族、それに魔族と敵対している亜人族や精霊族なんかも敵に回すと言うことよ。さらに言えば、ノアが種族進化の儀で種族を変えて魔大陸に行ったとしても、簡単に魔族に受け入れられることは難しい。あそこは実力主義のところがあるし、本来の魔皇の血筋を尊んでいる。そこに突然現れたノアが魔皇になれば、多くの反感と敵対心を向けられることになるはずよ。つまり、簡単に人を信じることができず、常に死と隣り合わせの過酷な道を歩むと言うこと。今のあなたにその覚悟があるのかしら?」


「っ。それは……」


 エリザベートの言っていることは間違いではない。


 これからノアが歩む道は茨なんて生温い、硝子の欠片が散りばめられ、全員が隠しナイフを持って襲ってくるような、そんな傷つくことが決まり切った過酷な道だ。


 最悪の場合、世界の全てを敵に回すほどの危険な道のり。


 その道について行くのであれば、それこそいつでも死ねる覚悟を持って行動し、何があっても悔いがないよう全力で生きなければならない。


「エレナ。あなたにその覚悟が無く、少しでも死ぬことを躊躇うのであれば、あなたはすぐにこの丘を降りなさい。あなたのその躊躇いが、いつかあなた自身だけじゃ無く、エレナの大切なノアさえも殺すことになるわ」


 エリザベートの言葉はどこまでも正しく、偽りのない真っ直ぐな言葉は自然のエレナの弱い心に染み込んでいく。


 その姿は朝のだらしない姿とはあまりにもかけ離れており、ノアが彼女を師として尊敬し、大切にしている理由が分かったような気がした。


「ふぅ……」


 エレナは目を瞑ってゆっくりと息を吸い、そして大きく息を吐く。


 そして、閉じていた目を開けた彼女の瞳にはすでに迷いなどなく、彼女は両手に握った短剣を構え、真剣な表情でエリザベートを見据えた。


「情けないことを言ってしまい申し訳ありませんでした。お願いします」


「ふふ。そうこなくっちゃね」


 エレナの覚悟を受け取ったエリザベートは、ゆっくりと自身の魔力を練り始める。


 すると、彼女から群青色の美しい魔力が溢れ出すが、その魔力から放たれる威圧感はゲイシルとの戦闘以上に冷たいもので、覚悟を決めたエレナでさえ冷や汗が頬を伝う。


「さぁ、いらっしゃいエレナちゃん」


「いきます」


 それでも逃げないと決めたエレナは、ノアから与えられた短剣を強く握り、身体強化を使って地面を強く蹴った。





◇◇


「はぁ、はぁ、はぁ……」


「ふふふ。楽しかったわ、エレナちゃん」


 エレナの試験は、終わってみればあっという間だった。


 身体強化を使って距離を詰めたエレナに対し、師匠は得意の闇魔法で槍や剣を作って飛ばす。


 エレナは持ち前の洞察力とスピードを活かしてそれらを躱し、隙を見ては短剣を投擲したり、距離を詰めて短剣で連撃を放った。


 しかし、今回は相手と常闇の丘というこの場所が悪かった。


 師匠は武術も一流なため、エレナの連撃はまるでダンスを踊るように躱され、常に夜のこの丘では移動できる影も少ないため、影移動のスキルも使うことができなかった。


 その結果、師匠の放った黒い槍や剣によって少しずつ追い込まれていったエレナは、最終的に決死の覚悟で呪暗の短剣を師匠目掛けて振り下ろしたが、軽く躱さられて腕を掴まれたあと、綺麗な一本背負で地面へと叩きつけられた。


「エレナちゃんは速さと洞察力に優れてるわね。職業が暗殺者だから目が良いのね」


「ありがとう……ございます」


「でも、ただそれだけだわ。目は良いようだけど、攻撃はまだまだ単調だし、同じフェイントも何回も使っていた。それじゃあ本当の強者にあった時は遊ばれるかすぐに殺されてまうわ。何より、攻撃系のスキルを持っていないのが致命的ね。だから、エレナちゃんはまずお勉強から始めましょう」


「お勉強…ですか?」


「そう。まずは人体の構造から学んでもらって、暗殺者として必要な知識とスキルを身につけてもらう。基礎的な戦い方はノアから教わったのかはわからないけれど、今すぐ学ぶべきことは無さそうだし、最初は座学に力を入れてもらうわ。詳しくはあとで改めて説明するわね」


「わかりました」


「それじゃあ、エレナちゃんは戻っていいわ。お疲れ様」


「ありがとうございました」


 師匠はたった一度の戦闘でエレナに足りない点や今後教えるべきことを全て理解すると、これからの修行内容についてざっくりと彼女に説明した。


「さて、次はノアね。過去の私の弟子なら、楽しませてくれるわよね?」


「期待に添えるかはわかりませんが、頑張りますよ」


 エレナの試験が終わってすぐ、一度も休憩を挟むことなく俺の試験を始めることを告げた師匠は、優雅に宙へと浮かび広場の中央へと降り立った。


(移動のためだけに重力魔法を使うとか、相変わらず頭おかしいなぁ)


 人や物は本来、惑星の引力によって下に向かって引っ張られる存在であるため、空を飛んだり物を宙に浮かべることはできない。


 しかし、重力魔法はその物理法則を捻じ曲げる魔法であり、人や物体に掛かっている重力を自在に操作することで、宙に浮いたり物を引き寄せたりすることのできる魔法だ。


 そもそも、魔法自体が物理法則を無視した力であるため、風魔法を使えば空を飛ぶことも可能だが、重力魔法は風魔法の〈飛翔フライ〉よりもより高度な魔法である。


(重力魔法は確か、闇魔法をレベル9まで上げて使える魔法だったよな。魔力燃費が悪すぎて使う人はあまりいないって聞いたことがあるけど、師匠の魔力量を考えれば大したことないんだろうな)


 重力魔法は闇魔法の一種で、闇魔法のレベルを9まで上げることができれば習得できる魔法ではあるが、例え習得したとしても消費する魔力量が多いため、基本的には切り札として使う場合が多い。


 そんな魔法をただ楽に移動するためだけに使う人など、おそらくこの世のどこを探しても師匠だけだと思う。


「さぁ、ノア。私とダンスでもいかがかしら?」


「喜んで」


 そのダンスが死のワルツとなるのかは分からないが、俺はゲイシルとの戦闘以上に覚悟を決めて一歩を踏み出すと、刀に手を添えながらゆっくりと師匠のもとへと歩んでいくのであった。






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