第39話 そんなんだから…

 翌朝。日が昇る前に起きた俺は、一度部屋を出てから顔を洗って部屋に戻ると、眠そうに目を擦るエレナが待っていた。


「おはよう。起こしたか?」


「おはようございます。ノア様、起きるのが早いですね……」


「まぁ、ゆっくり寝ている余裕もないからな」


「ほぇ?今日は何かありましたっけ?」


 エレナは未だ寝ぼけているのか、俺が昨日の夜何をしてきたのか思い出せていないようなので、目を覚まさせるためにも頭を軽く小突いてやる。


「あでっ」


「目が覚めたか?」


「はい」


「それで、俺が早く起きた理由についてだが、昨日のことを思い出せ」


「昨日?私がノア様に告白しましたが……まさか!逃げる気だったんじゃ……あだっ!」


 エレナがあまりにも的外れな回答をしたため、罰を与える意味も込めて先ほどよりも強めにおでこを叩くと、彼女は少しだけ涙目になりながらおでこを抑える。


「アホか。それはお前の好きにしろってことで話が済んだだろ。今さら逃げるなんてことはしない」


「そ、それは良かったです。では、いったい……」


「昨日は俺が実家に行ってきただろ」


「あ、そうでした」


 俺に言われるまで本当に忘れていたのか、それとも告白のことで頭が一杯だったのかは分からないが、実家と言われたことで漸く俺が言いたいことが伝わったようで、エレナは納得したように頷いた。


「それでだ。俺たちは今、魔法で姿を変えてはいるが、いつ正体がバレるかもわからない」


「そうですね」


「あぁ。だから早めにこの街を離れて師匠のところに行き、そこでさらに修行をして強くなろうと思う」


「なるほど、理解しました。つまり、その早くというのが、できれば今日にでもということなのですね?」


「その通り。幸いにも、この一週間ほど依頼を受け続けたのと、絡んできた冒険者から貰った慰謝料のおかげで金にはそこそこ余裕がある。だから、今日の正午までに必要なものを買って、その後にこの街を出たいと思っている」


「わかりました」


 本来であれば、事を起こした当日にその街を離れるのは目を付けられ易くて危険なのだが、ここに長居しても危険なことには変わりない。


 何故なら、公爵家の暗部が本気になって俺たちを探せば、いくら姿を変えていようとも、見つかるのは時間の問題となってしまうからだ。


 だから俺は、少しでも早くこの街を離れ、本来の目的であった師匠のいる常闇の丘へと向かうことに決めたのである。


「すぐに買い物に出るから、準備が終わったら下に来い」


「かしこまりました」


 俺はそう言って適当に着替えを済ませてから部屋を出ると、宿屋の前でしばらく待ち、準備を終えたエレナと合流して街へと出るのであった。





「あと必要なものはあるか?」


「いえ。食料も買いましたし、短剣や回復薬の補充もしました。追っ手に見つかった時に使えそうなものはノア様が買っていたので、他に必要なものはありません」


「了解。なら、一度宿屋に戻って荷物を回収した後、街を出るぞ」


「はい」


 街に出てからしばらく、朝市や武器屋と薬屋で必要なものを買い揃えた俺たちは、他の荷物を取りに行くため、一度宿屋へと戻る。


「忘れ物は無いな?」


「はい」


 改めて借りていた部屋を見渡してみれば、元々荷物が少なかったこともあり、すぐに片付けを済ませることができた。


 ただ一つだけ気になることがあるとすれば……


「そのぬいぐるみは、本当に抱えていくという選択肢しか無いのか?」


「すみません。これ以上は今持っているバッグに入りそうに無いんです。なので、この子は私が抱えていくしかないんです」


 先ほどの買い物により、エレナは自身が持っているバッグが一杯になったらしく、昨日の夜に完成したぬいぐるみが入らなくなったようだ。


 ただ、そのぬいぐるみを置いていくわけにもいかないため、結果的に自分が抱きかかえて持っていくことに決めたらしい。


「持っていくのはいいんだが、戦闘になったらどうするんだ?これから向かうのは強い魔物がたくさんいる常闇の丘だから、必ず戦闘になるぞ。その時に邪魔になると思うんだが?」


「その時は、身を挺してお守りしますのでご安心ください。ノア様のぬいぐるみは、私が命を賭けてお守りします」


(こいつ、本気で言ってるのかよ)


 ぬいぐるみなんかのために命を賭けると言った奴は俺も初めて見たため、想定外の言葉に少し引いてしまった。


(はぁ。そんなアホみたいな死に方されたら、俺もどうしたら良いのか分からなくなるな。仕方ない。レシア、方法はあるか?)


 さすがに自分の仲間がぬいぐるみを守って死にました、なんてことになれば、いくら俺でもどう反応するべきなのか困ってしまう。


 なので、今回はレシアに相談して何か良い方法は無いか尋ねてみる。


『〈影法師〉のスキルを使えば、荷物を影の空間にしまう事が可能です。ただし、時空間魔法の収納ストレージとは違い容量が少ないため、今持っているノアのぬいぐるみと、バッグを一つ入れるだけで限界となります』


(わかった。ならそれで頼む。バッグはエレナの物を入れてくれ)


『了』


「エレナ。お前の荷物も俺が持ってやるから、バッグとそのぬいぐるみを床に置け」


「え?ですがノア様も自分の荷物をお持ちなのに、さすがにそれは……」


「いいから早くしろ」


「わ、わかりました」


 エレナは少し困惑しながらも、持っていたバッグとぬいぐるみを床へと置く。


「〈影法師〉」


「……え?」


 俺が〈影法師〉のスキルを使用すると、足元にあった影が伸びてエレナが置いた荷物を包み込み、次の瞬間には彼女の荷物が跡形もなく消えていた。


「あ、あの、私のノア様はどこへ?」


「その言い方は誤解を招くからやめろ。それと、お前の荷物とぬいぐるみは俺の影の中にしまった。あんなのを持ったまま戦うなんて邪魔でしか無いだろ」


 エレナの荷物とぬいぐるみを俺の影にしまった事を説明しながら、もう一度スキルを使ってぬいぐるみを出すと、彼女は少し驚いた様子でぬいぐるみを見つめる。


「わぁ。本当に影の中に入っているのですね。さすがノア様です」


「あぁ。必要なものがあれば、言ってくれれば今みたいに出してやるよ。だから、ぬいぐるみを抱えて外に出るのも、ぬいぐるみに命を賭けるのもやめろ。どうせ賭けるなら、俺のために死んだ方が得だと思うが?」


「あはは。確かにそうかもしれませんね。私がノア様を庇って死んだら、ノア様も少しは私のことを覚えていてくれそうですし、その方がいいかもしれません」


 何とも能天気に笑ってそう答えるエレナだが、その瞳からは一切の嘘が感じられず、いざとなれば彼女が本気で自身の命を捨てる気だということが伝わってくる。


「いつか私が死んだとしても、その時は忘れないでくださいよ?」


「さぁ、どうかな。そもそも、お前に庇われるほど俺は弱く無いし、本当に覚えてて欲しいのなら、死なずに側にいた方が確実だと思うけどな」


「ふふ。確かにそうですね。ですが、未来は何があるかわかりませんから、悔いのないようにいろんなお願いをしておかないと」


「ほんと、図々しい奴だななぁ」


「そうですかね?もし私が図々しくなったのなら、誰かさんに似てしまったのかもしれません。ほら、夫婦は一緒にいると似てくるっていうでしょう?」


「誰が夫婦だ。まぁ、そんな冗談が言えるならいいか。ほら、そろそろ行くぞ」


「はい」


 そうして宿屋を出た俺たちは、いつものように俺がエレナを揶揄いながらナシュタリカの街を出ると、師匠がいる常闇の丘へと向かうのであった。


 ただ、俺はまだこの時、一番大切なことを理解していなかった。


 それはこの世界がゲームでは無く現実世界となったことで、俺や他者の行動に不確定要素がいくつも増えたということを。


 そしてエレナの言う通り、未来では何が起こるのか分からないということを。


 俺は自分のことを過信していたのだ。


 ゲームの記憶が全てあるからといって、未来が全て分かるわけではないというのに、全てを知った気になり、全てが俺の想定通りに動くと思ったいた。


 その過信が後になって自分の首を絞めることになるなんて、この時の俺は、想像すらしていなかったのだ。






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