第38話 好きです!
「お帰りなさいませ」
公爵邸から戻ってくると、俺が帰ってくるのを待っていたのか、寝間着姿のエレナが出迎えてくれるが、彼女は何だか見たことのあるシルエットのぬいぐるみを抱きかかえていた。
「ただいま。起きてたんだな」
「はい。ノア様のメイドとして、主人の帰りを待つのは当然ですから」
「その割には寝る準備がしっかりできているようだけど。それに、その腕に抱えてるのはなんだ?」
エレナが抱きしめたいたのは、金色の髪に青い瞳をしたぬいぐるみのようなもので、頭や体が大きめに作られているため可愛らしくはあるが、あれはどう見ても……
「ノア様です!」
「やっぱりか」
どうやら俺の予想は当たっていたらしく、彼女が大切そうに抱きしめていたのは、デフォルメされた俺のぬいぐるみだったらしい。
「えへへ。可愛いですよね?毎晩頑張って少しずつ作っていたんですが、今日ようやく完成したんです!!」
エレナは自慢するかのようにぬいぐるみを俺の方に突き出し、何が楽しいのか分からないがニコニコ笑いながらそれを左右に揺らす。
「特に難しかったのがこの髪の色なんですが、ノア様の太陽のように暖かい金色の糸を探すのが大変で、この街のいろんなお店を見て回ったんです。そしたら先日、ようやく理想的な色を見つけて、今日完成したんですよ!」
「そうか」
嬉しそうにそう語るエレナには悪いが、自身のぬいぐるみを知らないうちに作られ、さらにその出来について語られても、本人としてはどう返したら良いのか分からない。
「てか、夜っていつ作ってたんだ?ずっと同じ部屋に泊まってるけど、そんな素ぶり見せなかったよな」
「ノア様は寝つきがいいですからね。いつも邪魔をしないように、ノア様が寝た後に作ってました」
「そうだったのか。それと、一つ疑問なんだが、それどうやって持ち歩いてたんだ?そこそこ大きいよな」
「知らないんですか?女の子のバッグは異次元に繋がってるんですよ?」
「は?」
「ふふ。冗談です。ただ普通にバッグに入れてました。ただ、女の子は色々と持ち歩く物が多いので、整理や入れ方が上手いんですよ」
「ふーん」
よく分からない理論を述べられ、空返事しかできなかった俺は、ぬいぐるみを見て嬉しそうに笑っているエレナを眺めながら、ふと気になったことを尋ねてみる。
「もしかしてお前って、俺のこと好きなのか?」
「え?」
俺があまりにも予想外の言葉を言ったからか、エレナはぬいぐるみで遊んでいた手を止めると、何とも言えない表情で俺のことを見てくる。
「いや。今思い返してみれば、ポルトールの町にいた時もそれっぽい言動があったし、今も俺のぬいぐるみなんか作ってるからな。そうなのかと思ったんだが、どうだ?」
「そう……ですね。寧ろ今まで気づかれて無かったことに驚きもありますが、まぁノア様ですからね。あなたの感情が基本的に死んでることはわかってましたから、仕方がありませよね」
「なんかさり気なく貶された?」
「おっしゃる通り、私はノア様が好きです。大好きです。一生あなたから離れたくないと思うくらいには重ためです」
「え、まじ?」
「まじです」
そう言って俺のことを見るエレナのアメジストのような紫色の瞳からは、嘘は一切感じられなかった。
「んー、理由を聞いても?自分で言うのもあれだが、お前に好かれるようなことをした覚えは無いんだが?」
「そうですね。確かに私たちの出会いは思い返せば最悪なものでしたし、その後も脅されたり囮にされたり犬扱いされたりと、客観的に見れば恋心が芽生えるようなことは一つもありません」
「おぉ。すごい言うじゃん。でもお前の言う通り、最初はお前が監視をするために俺のところに来て、その後は殺すために連れ出されたもんな。良い出会いではなかった」
俺とエレナの最初の関係は、監視対象と監視者だった。
しかし、俺の職業が決まって殺されそうになると、俺はそれを返り討ちにして殺してやった。
ただその時に、エレナは囮として使えそうだからという理由で生かしたが、それ以上の深い理由も考えもなかった。
それからは文句を言いながらも俺の側に残ることを決めたエレナは、一緒に魔物を食べるようになったり、二人で命を賭けてゲイシルと戦ったりもした。
だから俺としても、前のように囮とか道具というわけではなく、それなりに使える仲間程度には思っている。
「ノア様は、人が恋に落ちるのはどんな時だと思いますか?」
「そうだなぁ。その人をもっと知りたい、側にいたいと思うようになった時かな」
未だ人の感情というものがよく分からないでいる俺だが、それでも恋愛感情がどういうものかは分かっているつもりだし、愛情だって、母上の思いを知ってからは理解できるようになった。
それに、実際に俺は彼女に恋をしている訳だし、そのきっかけが彼女を知りたいと、実際に側にいたいと思って芽生えた感情なのだから、間違いというわけではないはずだ。
「私もその考えには同感です。他にも、一目惚れをしたり、困っている時に助けてもらったり、あとは一緒にいる時間が長いことで芽生える場合もあります。つまり、恋に落ちる瞬間というのは人によって異なるということです」
「ふむ。お前の言いたいことはわかった。それで?その話で言うのなら、お前にはお前なりの理由があって俺に好意を抱いたということになる訳だが、全く心当たりがないな。敢えて言うなら虐めてたくらいだが……もしかし、虐められるのが好きなタイプか?」
俺自身も実際に会ったことはないが、世の中には虐めるのが好きな奴と、逆に虐められるのが好きな奴がいるらしい。
というか、俺を操作していたプレイヤーの中にもそんな性癖持ちの奴がおり、思い出すだけでも死にたくなるような恥ずかしいセリフを言わされた覚えがある。
「確かにそういう人もいるかもしれませんが、私は違います」
「ほんとかなぁ」
「本当です。私の好みの男性は、優しくてかっこよくて、私の作ったお菓子を美味しいって食べてくれる人なんです」
「なんともまぁ、曖昧な理想だな。けどそれでいうのなら、それこそ俺には当てはまらないと思うんだが?まぁ、見た目はそこまで悪くはないと思うが、優しくはないしな。お菓子は……ん?お菓子?」
俺はエレナのお菓子という言葉を聞くと、何故だか引っかかるものがあり、完全記憶を使って過去の記憶を思い出してみる。
すると、頭の中では過去の情報が映像のように流れていく訳だが、ある日を境に、エレナがよくお菓子の差し入れを持ってくるようになったのだ。
「一つ聞くが、ポルトールの町にいた時、お前が持ってきたお菓子は店で買ったものだよな?」
「いいえ。あれは、私が宿の厨房を借りて作ったお菓子です。ノア様がいつも美味しそうに食べてくださって、本当に嬉しかったです」
「……まじかぁ」
俺はてっきり、エレナが持ってくるお菓子はポルトールの町で買った物だと思っていたが、実際はどうやら彼女の手作りだったらしい。
つまり俺は、知らないうちに彼女が理想とする男性の条件を二つも満たしてしまったらしく、それがこの結果へと繋がっているようだ。
「いや。だか俺は優しくした覚えはないが?」
「確かにノア様はずっと優しいというわけではありませんが、時々見せる優しさは胸にくるものがありますし、何よりノア様も言ってましたよね」
「なにを?」
「その人をもっと知りたい、側にいたいと感じた時が恋だと。私もノア様をもっと知りたいと思いましたし、ずっと側にいたいと思ったんです。最初は自分が生き残るためにノア様といることを選びましたが、今はあなたのためなら命だって惜しくはありません。ノア様の側にいて、ノア様のお役に立てるのなら、それが私の幸せなのです」
『ノア。ここは真剣に答えるべきです』
真剣な表情で真っ直ぐこちらを見てくるエレナの瞳には、揺るぎない覚悟が込められており、この状況を静かに見守っていたレシアはそんなことを言った。
(はぁ。レシアの言う通り、これ以上は何を言っても効果はなさそうだな。なら、俺も真剣に向き合うべきか)
「エレナ」
「はい」
「お前の気持ちはわかったし、それが本気だということもわかった。けど、前にも言ったが俺には好きな人がいる。だから、お前の気持ちに応えることはできないよ」
これは、偽りのない俺の本心だ。
正直、エレナといる時間はそれなりに楽しかったし、彼女を揶揄ってその反応を見るのも面白かった。
けど、俺が現実となったこの世界で命を捧げると決めたのは彼女だけで、この気持ちを捧げると決めたのも彼女だけだ。
「わかってます。そのお話は、私がノア様に恋をする前に聞かされてましたから」
「なら……」
「でも!人の感情に絶対なんてものはありません!情熱的な愛がすぐに冷めてしまうように、長く変わることのなかった友情が愛情に変わるように、人の心は時間と共に変わっていくものです。なので私は、死ぬまで諦めるつもりはありません。例えお婆さんになって、ノア様が一日しか愛してくれなかったとしても、その一日でもあなたの愛をいただけるのであれば、私はその瞬間まで諦めることはありませんから」
(……はぁ、これは)
『どうやら、ノアの負けのようですね』
これほどの強い覚悟を見せられてしまえば、俺にはこれ以上どうすることもできず、レシアの言う通り、俺が負けを認めるしかなかった。
「わかったよ。お前の好きにするといい。ただ、俺は今まで通りにしか接するつもりはないからな」
「わかってます。寧ろその方がやり易いので、変に気遣われることがなくて嬉しいです」
「はぁ。お前もモノ好きな奴だな」
「ふふ。言ったでしょう?私の愛は一生離れたくないと思うくらいには重めですと。これからもよろしくお願いしますね、ノア様」
エレナはそう言って幸せそうに笑うと、自分で作ったぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。
その後は夜も遅いということもあり、細かいことは明日の朝に話し合うことに決め、俺たちはすぐに眠りにつくのであった。
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