第26話 エレナはチョロい

 ノアによって生かされたエレナは、その後彼に半ば脅されながらも自身の置かれた状況について説明されると、生きるためにノアについていくことを決めた。


 そして、その日のうちにファルメノ公爵領を出た二人は、西にある双子の森を目指して昼夜問わず移動し続けた。


 その時に驚いたことは、突然ノアが倒した魔物をそのまま食べ始めたことだが、あまりの狂気っぷりに言葉が出てこず、思わず吐いてしまいたくなるのを我慢することしかできなかった。


(ノア様…監禁されたことで、あなたの頭はもう………)


 ノアの奇行を何度も目にしたエレナにはもはや気持ち悪いといった感情はなく、寧ろ頭がおかしくなってしまったのだと哀れみ、悟りすら開いたような状態となる。


 その後、ノアと二人で双子の森へと辿り着いたエレナは、恐怖に震えながらも双子の森へと挑み、死にそうになっては生き残るという生活を続けた。


 その中で、ノアの目的や今後についての話も聞かされたが、さすがに彼の好きな人の話を聞かされた時は肝が冷えた。


(この事をイリア様が知ったら、お相手の方を殺してしまいそうですね。それとノア様は監禁でしょうか?ですがノア様のお相手に対する愛も異常なほどに重いですし、どうなるのでしょう)


 正直、ノアが一度も会ったことがない女性を大切な人だと言い出した時は引いてしまったし恐怖したが、考えてみれば彼の婚約者であるイリアも似たような狂愛をノアに向けていたので、ある意味似た者同士の二人だったのかも知れないと自身を納得させる。


 それが偶々お互いに向いていないだけで、自分には関係ないことだからと思考を放棄しようとした時、エレナは今の自分が置かれている状況を思い出した。


(そう言えば私、ノア様と二人だけで行動していて…しかも同じ部屋で寝ているし、上半身だけとはいえ彼の裸を見たわけで……)


 エレナは自分が今別の意味で命の危機に晒されていることに気がつくと、すぐにでも逃げ出したくなるが、ここで逃げれば追手に殺されてしまう可能性もあるため、結局は諦めるしか無かった。


(だ、大丈夫ですよね。ノア様は魔大陸に行くと仰っていましたし、さすがにイリア様もそこまで追ってくるはずは……)


 自分でそう言い聞かせながらも、暗殺者としての勘なのか、嫌な予感を拭う事はできず、結局は考えることを放棄して現実から逃げるのであった。





 ノアとの生活は最初こそ大変だったが、慣れてしまえば楽しいもので、魔物を食べるという行為には慣れないものの、自分が強くなっていることを実感できるのは素直に嬉しかった。


 エレナは最初こそノアが魔大陸に行く時に別れるつもりだったが、このままこの大陸にいても追手が消える可能性は無いし、他の大陸に渡るにしても何の伝もなければ野垂れ死ぬ可能性がある。


 であれば、ノアと一緒に行動した方が安全だろうし、何よりこの数ヶ月で彼といることが楽しくなりつつあったエレナは、ノアと離れることが寂しいと感じるようになっていた。


(それも仕方がないですよね。ノア様はお強いですし、私を虐めて楽しんでいる時もありますが気にはかけてくれます。何より、私が作ったお菓子を美味しいと言ってくれましたから)


 元々エレナはお菓子を作る職業を望んでいたが、暗殺者という職業を授かったせいでやりたくもない事ばかりやらされてきた。


 そんな時、久しぶりに作ったお菓子をノアが食べ、美味しいと言って見せてくれた微笑みが嬉しくて、エレナは心が温かくなった。


(私のお菓子を美味しいと言ってくれましたし、優しくはありませんがお顔も前公爵夫人に似て整っているらしく、とても私好みなんですよね)


 ノアの容姿は彼の母親に似て非常に美しい顔立ちをしており、公爵とは違って目元も鋭くなく、どちらかと言えばパッチリとした目は甘くて優しい王子様のようで、女性受けすること間違いなしのイケメンであった。


 そう。エレナは所謂チョロインというやつで、面食いなところもあったエレナは簡単にノアに絆され、今では純粋にノアといられるこの瞬間に幸福を感じていたのだ。


 さらに言えば、ノアのたまに見せる優しさに胸が高鳴る時があり、そのギャップにやられたエレナは、ドロドロに甘やかして幸せにしてあげたい、自分が稼いで貢ぎたいという厄介系な依存女子になっていた。


(最初はイリア様のことが気になっていましたが、魔大陸に行ってしまえば関係ありませんよね。それに、ノア様にはお好きな方がいらっしゃいますが、私は側にいられるだけで幸せですから。ですが、人の関係に絶対はありませんから、今後の頑張り次第では可能性もありますよね。ふふふ……)


 そんなエレナにとっては幸せな逃亡生活だったが、ある日の夜。ノアがいつにも増して真剣な表情で追手がこの町に来ていることを話した。


 しかも、その中には三殺卿と呼ばれるファルメノ公爵家暗部の幹部がいる可能性があると言うのだから、彼女が情けなくも勝てないと口にしてしまうのは仕方のないことだった。


 しかし、ノアは自信があるのか戦うことを選択すると、未だ怯えているエレナに「俺が問題ないと言って問題になったことがあったか?」と尋ねる。


(そ、そんな自信に満ちた素敵なお顔でそんなことを言うのはずるいです)


 結局、ノアの顔の良さに負けたエレナは彼の言葉に従うと、暗殺者たちと戦うことを決めるのであった。





 そして現在。暗殺者たちと交戦中のエレナは、改めて自身の成長に驚いていた。


(私、暗殺者二人と互角に戦えていますね)


「くっ!何で攻撃が当たらないんだ!」


「ちょこまか動くな!」


 エレナは身体強化と気配感知を併用して使い、さらにノアに囮として使われてきた経験から逃げることと相手のヘイトを稼ぐことが上手くなっており、今も暗殺者たちの気を引きながら上手く攻撃を交わし続けていた。


「〈投擲〉」


「はっ。どこ狙って……な、何だ?!体が急に動かなく……」


「呪暗の短剣」


「がぁぁあ!!?」


エレナが投擲した短剣は暗殺者に刺さることなく地面に突き刺さると、彼女が外したと思った暗殺者は馬鹿にしたように笑う。


しかし、次の瞬間には突然体が動かなくなったことに驚き、その間に近づいたエレナの短剣で軽く切られると、切り口が黒く変色し、体に斑模様の黒い斑点が現れ、そのまま苦しみ出して息絶える。


「な?!どうした!!」


「残念ですが、あなたのお仲間は死んでいますよ。それより、動きを止めてしまってよろしいのですか?〈投擲〉」


 仲間のあまりにも悲痛な声に反応し僅かに動きを止めた暗殺者は、エレナが取り出した左手の短剣に気づくことができず、投擲された短剣が暗殺者の影に突き刺さる。


「は?!う、動けない!!」


「やっぱりすごいですね、ノア様は。こんな短剣を作ってしまうとは」


 エレナが投擲した短剣は『影縫いの短剣』といい、ノアが影魔法を付与して作った特殊な短剣だった。


 効果は3秒間だけ相手の動きを封じるというもので、発動条件は相手の影に短剣を突き刺すだけ。


 効果は絶大だが、その分使い切りとなってしまうため効果がなくなると短剣が消滅してしまう。


「くそっ!!動け!俺の体動けよ!!」


「無駄ですよ」


 エレナは身体強化を使って一瞬で距離を詰めると、右手に持った短剣で男の腕に軽く切り傷を作る。


「あ、あぁぁぁあ!!!!」


 それだけで暗殺者は先ほどの仲間と同じように苦しみ出すと、口から泡を吐き、白目を剥いて死に至った。


「この短剣本当にヤバいですね。切った相手を呪い殺すなんて」


 暗殺者二人を死に追いやった短剣は、ノアがゴブリンシャーマンから獲得した〈呪術〉のスキルを付与したもので、『呪暗の短剣』という武器であった。


 こちらの効果は切った相手を呪い殺すという恐ろしい効果を持ち、僅かにでも切り傷を付けられれば、そこから呪いが黒い斑点と共に身体中を巡り、激痛に苦しんだ末死に至らせる。


 しかも、呪いなので回復薬などは一切効かず、状態異常無効か聖水でなければ防ぐことも治すこともできない。


 しかし、効果が強力な分呪術の付与がすぐに切れてしまい、連続で使用できるのは二回が限度だった。


 ただ、影縫いの短剣とは違い使い切りではないため、ノアがもう一度付与を行えば、何度でも使用することができる。


「さて。こちらは片付きましたし、ノア様の方に……」


「かはっ!!」


「え…ノア様?」


 暗殺者たちを始末したエレナは、すぐにノアのもとへ戻ろうとするが、彼女が振り返った瞬間、小石のように吹き飛ばされて自身の横を通り過ぎていくノアの姿が目に入った。


「あぁん?もしかして、俺の部下たちやられちまったのかぁ?情けねぇなぁ」


 ノアが飛んで来た方に目を向けると、そこには両腕に毒々しい紫色の魔力を纏わせたゲイシルが立っており、ノアとの戦闘でローブを脱いだのか、黒い髪と痩せこけた頬が顕になっていた。


 そして、長い前髪の奥からはギョロリとした赤い瞳がエレナのことを見ており、その瞳と目が合っただけで、心臓を鷲掴みにされたような圧迫感と恐怖が彼女の体に広がった。


「お前もぉ、ご主人様と一緒に殺してやろうかぁ?」


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