第38話 温もり

「血?」

「そう」


怪我か、いや、女性は外傷を伴わない出血が月に一度あったな。

その可能性をセイランに問うと、首を振り「違うわ」と返ってくる。


「あれは業の臭い、同じ臭いをさせているヒトを私は知っている」

「誰だ」

「同族殺し、つまり、ヒト殺しよ」


ヒト殺しだと?

その言葉とミアが俄かに結びつかず、唖然とする俺に、セイランは「彼女がそうだとは限らないけどね」と続けた。


「他の可能性もあるわ、あなたの仕事だって血に塗れることがよくあるでしょう?」

「そうだな」

「命を奪えば血の臭いがつく、それは仕方のないことだわ、誰であれ多少の血の臭いをさせているものよ」

「俺には分からなかった」

「それはそうよ、私の種族ならではの感覚だもの、そして臭いは奪った分だけ強く濃くなる」

「ミアからする血の臭いは濃かったのか」

「少なくとも普通のヒトじゃないわ、あの子」


「そうなのか?」と復活したルカートが椅子に掛ける。

まだ頭をさすっているが、自業自得だ。


「でもミアちゃん、特に変わった様子はなかったぞ」

「ええ、当然ね、だって見て取れる危害を加えてきそうな存在なんて、誰でも警戒するでしょ?」

「確かにそうか」

「ヒトの中に上手に紛れて、気付かれないようにヒトを殺す、何か思い当ることはない?」

「殺人鬼、いや―――」


暗殺者か。

まさかミアが、と思う。

だが、今更になってセイランの言葉を裏付けるように、可能性に気付いてしまった。


「ミアを拾った時のことだが」


大雨の晩だった。

仕事帰り、通りかかった街道の隅で、ミアは物陰に倒れていた。

雨のせいで人通りは無かったが、あったとしても誰も気付かなかっただろう。

ひとまず連れ帰り様子を見ることにした。

転んで擦り剝けたような怪我の他に、刃物でつけられた傷と、銃創。

迷ったが、訳ありかと医者に診せるのはやめて、俺が処置した。

職業柄手当は慣れているからな、素人がまだどうにかできる範疇だったというのもある。


意識を取り戻したミアは、最初こそ口も利かなかったが、自分の状況を理解してからはあっという間に馴染んだ。

何も覚えていないから、記憶が戻るまで居候させて欲しいと頼まれ、それで放り出すことも出来ず、うちに置いてやった。


だがミアは、本当に記憶をなくしていたんだろうか。


「違うと思うわね」

「そうだな」


セイランに同意したルカートは、卓の上で組んだ手に顎を乗せて長々と息を吐いた。


「まさか僕まで騙されるとは、これでも監査官だっていうのに」

「職務怠慢だな」

「違う、意地の悪い言い方をしないでくれ、ミアちゃんの方が一枚上手だったんだよ、あんなに可愛い女の子なのに」


「私、聞いたことがあるの」そうセイランは話を切り出す。


「暗殺者の一族がいるんですって」

「どこに?」

「それは知らないわ、でも、その一族では生まれた子供がまだ幼いうちから暗殺の術を仕込むそうよ」

「将来有能な暗殺者にするためか、恐ろしい話だな」

「まだ若いミアちゃんが暗殺の技術を持っているのなら、その一族の子って可能性が高いんじゃないかしら」

「ミアが暗殺者だと決まったわけじゃない」

「そうだけど、可能性は高いわ」

「切りつけられた傷に銃創、行政をあてにするのも、病院に行くのも嫌がって、血の臭いをさせていたなんて、殆ど決まりだろ」

「だがそれだけでは裏付けとしては不十分だ」

「ええそうね、状況証拠だけでは根拠には足らない」

「なら明日、僕とマダムで手分けして聞き込みをしてこよう、何か情報を得られるかもしれない」


「それがいいわね」とセイランも頷いた。


「ねえ、エリアスがミアちゃんを拾った時の状況から鑑みて、ミアちゃんはもしかしたら仕事を失敗したんじゃないかしら」

「なるほど、あるかもしれないな」

「彼女の行方を捜す手がかりになるとすれば、多分そこでしょうね」


厄介なことになってしまった。

ただでさえ時間が惜しいというのに。

だが―――俺が押し切ったところで、ルカートもセイランも納得しないだろう。

こいつらは状況が分かっているのか?

より切羽詰まっている自分の問題を棚に上げて、呆れたお人好しどもだ。


話し合っているうちに夕方になってしまった。

晩飯を食べて、寝ることにして、全ては明日から。

俺から提案して捜索期限を定めることにした。

一週間だ。

それ以上かかりそうならミアのことはひとまず置いておく。

ルカートが完全に魔獣化してしまう期限が迫っている、今は僅かも時間を無駄に出来ない。


―――ふと目を開く。

薄暗い視界で、赤い目をした大きな影が俺を覗き込んでいる。


「エリー」

「ルカ、なんだ」

「大丈夫か?」


どうして気遣われたのか、間を置いて察した。

夢を見た。

久々に―――あの夢、師匠がいなくなった時の夢だ。

全身にじわりと滲む汗の湿った感触、起き上がって額を拭い、ついでに着替えるためベッドを降りる。

今夜も魔獣と化したルカートが俺をじっと見つめている。


「随分うなされていたぞ、ただでさえ最近眠れていないのに」

「体調は問題ないよ」

「エリアス」


着替えてベッドに戻ろうとすると、寝間着の裾をグイと引かれる。


「何だ」

「なあ、今夜は僕と一緒に眠らないか?」


そう言って体を横たえ「ほら、おいで」とルカートは尻尾をゆらゆらと揺らす。


「ついに寝具としての自覚を持ったか、生憎俺には自分のベッドがある」

「バカ言うなよ、そうじゃなくて、ほら、この姿の僕は触り心地がいいだろ」

「そうだな」

「だから暫く体を貸してやる」

「そっちの趣味は無いが」

「違うって! 夜だぞ、くだらない冗談を言ってないで寝るんだ、ほら、来いよ」


まったく、くだらないのはどっちだ。

今の自分の姿を理解していないのか、俺を気遣う余裕なんてないはずだろう。


言いだすとルカートは聞かないから、仕方なく腹の辺りに体を横たえる。

滑らかな手触りの毛並み、呼吸と共にゆっくり上下する腹、じわりと伝わる温もりが確かに心地いい。

目を閉じる。

「おやすみ、エリー」と優しい声が囁いた。

―――ああ、なんだか懐かしいな。


「大丈夫、もう怖い夢は見ないよ、僕が傍にいるからな」


「うん」と返事をしたような気がする。

そして実際、その後は朝まで目覚めることはなく、悪夢も見ることもなかった。

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