第33話 魔性の母性

魔人に襲われ、ルカートが呪いを受けてから、早ひと月経ってしまった。

いまだに奴の居場所の特定に至っていない。


そして、最近ルカートが変態に伴う苦痛を感じなくなってきている。


セイランの話では、呪いの進行に伴い概念的な拒絶が緩和され始めている、つまり、魔獣の姿が馴染みつつあるそうだ。

確実にルカートはヒトから逸脱し、魔の存在へ移ろい続けている。


「エリー、君、最近ちゃんと寝てないだろ」


寝起きのぼんやりした頭で、前髪を押し上げ顔を覗き込んできたルカートに「そんなことない」と返して手を除ける。


「一緒の部屋で寝ているんだ、僕にはバレてるぞ」

「体力は回復できている、仕事に支障もない」

「だからって自分を過信するな、油断は怪我や万病の元だぞ」


そんなことを言われたところで、俺自身どうにもならないんだ。

気を遣わせたくなくても、ルカートはこうして俺の不調を見抜いてしまう。


「余計な世話だ、放っておいてくれ」

「断る、僕は君の幼馴染で兄貴分だ、だから君の健康に口出しする権利がある」

「ない、そんな法もない」

「僕はルーミル教の監察官でもある、とにかく今日は休んで、夜もゆっくり寝ろ、ミアちゃんにも言って仕事はさせないからな」


ルカートは監査のためと理由をでっち上げ、ここに居候する理由を正当化し、本部の許可を取り付けたらしい。

見目のいいこいつがそれっぽい事をいかにも道理のように説明すれば、大抵の奴らはあっさり納得する。

だからこの街の人々にもすぐ受け入れられた、長年暮らしている俺より顔が広く人望も厚い。

ルカートが説教する日などは、普段は教会に足を運ばないような人々も訪れ、毎回大盛況だと聞いた。こいつはルーミル教の司祭でもあるからな。

畢竟お布施の額も右肩上がりで、教会は金銭面でもかなり感謝しているそうだ。

まったく、調子のいい。


「人望っていうのは集めておくものさ、色々と融通が利くようになるからね」

「お前がペテンを働いたら、とんでもない被害が出るだろうな」

「失礼だな、そんな真似するわけないだろ、例えるにしたってもうちょっとマシな」


部屋の戸を叩く音がして、外からミアが「師匠ぉ」と弱り声で俺を呼ぶ。


「起きてますね? 出てきてくださいよぅ、久々に師匠が店にいるからって、変態とロリコンがまた小金をせびりに来てるんですぅ」


俺が返事する前に、ルカートが「あいつら、性懲りもなく」と立ち上がって向かおうとする。


「よせ、面倒を起こしてくれるな」

「心配いらない、僕なら奴らを簡単に追い払える」

「今回はそれで済むかもしれないが、後のことを考えろ」

「この先だって追い払ってやるよ、いいから僕に任せておけ!」

「ルカ!」


戸を開き、立っていたミアに「おはようミアちゃん、僕が話を付けてくるから安心していいよ」と声をかけて店へ向かうルカートを追いかける。

性根の腐りきった輩だが、片や自治長、片や行員、どちらも敵に回したくはない。

難癖付けられ代理店主の認可を取り消されて、所有者不在でこの店を接収されでもしたらどうしてくれる。


「おいルカ、やめろ、金で済むならそれで―――」


ルカートの肩を掴み、言いかけた俺の口を、振り返ったルカートが手の平で覆う。

視線で(見ろ)と促すから、店に続く戸の影からこっそり店内を窺った。


「ダメよ、坊やたち」


セイランがいる。

その手前で自治長と行員が、何故か地べたに座り込んでうっとりと彼女を見上げている。

どちらも店には入っておらず、出入り口でセイランが二人に話しかけている状況だ。


「お小遣いはママにおねだりしなさいな」

「でっ、でもぉ」

「僕らお金が欲しくてぇ」

「あら、いけない子たちね、無駄遣いしたの? 悪い子」


白い手が自治長と行員の顎の辺りをするりと撫でる。

二人はだらしのない、甘えたような表情を浮かべて「おねえさぁん」と気色の悪い声を上げた。


「坊やたちは良い子でしょう? こんなことしちゃダメよ、お家へ帰って、ママに正直にお話ししなさいな」

「でもママこわいぃ」

「おねえさぁん、僕もママこわぁい」

「大丈夫よ、怖い目に遭ったら、私が慰めてあげる」

「ほんとぉ?」

「僕たちのこと、可愛がってくれる?」

「ええ、良い子は好きよ、貴方たちは良い子? それとも悪い子?」

「僕、良い子!」

「ちゃんとママにお小遣いちょうだいって言ってくる!」

「お利口さんね、いってらっしゃい」


二人そろって「はーい!」と幼児のように挨拶して去っていくのを―――俺の隣でルカートも恐ろしいものを見たような目で眺めていた。


「な、なあ、エリー」

「なんだ」

「あれってどういうことだ、僕は今、全身に鳥肌が立って吐きそうなんだが」

「吐くなら便所へ行ってくれ」

「違うッ、そうじゃないだろ、なんだよ今のアレは!」


店の扉をパタンと閉じたセイランが、振り返り「あら」と微笑んだ。


「おはよう二人とも、あら? エリアスは今日も少し顔色が悪いようね?」

「そ、そうなんだマダム! こいつ最近あまり眠れて、って、それどころじゃない!」

「どうかしたの?」

「マダム、今のは何だ、どういうことだ?」


いつの間にかミアまで来ていて「はぇ~」なんて気の抜けた様子でぼやいている。

正直驚いた。

どんな手を使って厄介なあいつらを骨抜きにしたんだ。


「どうもこうも、見たままよ」


セイランは何事もなかったように答える。


「おいたが過ぎる子たちに、こんなことしちゃダメって言っただけよ」

「子? あれを、あの二人を『子たち』?」

「生まれて数十年程度なんて、まだよちよち歩きの赤ちゃんみたいなものだわ」

「ま、マダム」

「うひゃあ、セイランさんってもしやとんでもない年増? い、いやいやっ、精神的に熟していらっしゃる?」

「まあ、年増だなんて酷いわ、私ってそんな風に見えるのかしら」

「いーえ! 怪しいお色気の美女です! ミアの敵!」

「貴方の美しさは例えるなら咲き誇る花さ、マダム、今朝もとても芳しいよ」

「二人とも有難う」


フフッと笑ったセイランは、唖然とする俺達を煙に巻いて「さ、皆起きたら朝ごはんね」とさっさと住居の方へ戻っていった。

このひと月で理解したが、彼女は食えない人物だ。

ルカート以上に交渉事も上手い、そして面倒な奴らをあっけなく手玉に取るあの技量、もしや妖精の秘術の類だろうか。


「凄いですねえ、セイランさん」


ミアが尻尾を膨らませている。


「師匠の愛人でミアの敵ですけど、今のは素直に尊敬します、男を骨抜きにする手練手管、是非ご教授頂かなくては」

「君は今のままで十分魅力的さ」

「ミアも師匠を狂わせる魔性の女になるんですよッ、セイランさーん! 今のミアにも教えてくださーい!」


走っていくミアに、振り返ったルカートが「お前も大変だな」なんて労うように俺の肩を叩く。

ため息を吐いて俺も住居へ戻る。

最近の悩みの種が尽きない理由、お前たちのせいでもあると、内心文句をつけつつあくびを噛み殺した。

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