第32話 ヴァーリーバレー 4
「僕は今日で一年分のカニを食べたかもしれない」
「そうね、お腹いっぱいね」
「満足だぁ」
ぐでっと伸びる魔獣の膨れた腹に、セイランも凭れかかり寛いでいる。
周りには炭になったデグラブの山。
そしてさっきまで俺達が囲んでいたのは、そのデグラブの肉を使った鍋。
何とも緊張感に欠ける光景だ。
「結局何も見つからなかったな、エリー」
「そうだな」
「有効な手掛かりはナシか、まあでも、仕事自体は達成したし、僕も空を飛べるようになった」
「この姿が馴染むような行動をあまり進んでしちゃダメよ?」
「分かっているさ、マダム、忠告有難う」
竜の遺体には何も無かった。
死因もはっきりせず、半ば腐りかけ焼け焦げた肉、それだけだった。
「魔人はいずれ、貴方たちをコレクションに加えるため必ず現れるでしょうけれど」
「待っていては後手に回ってしまう」
「そうね、今後も奴の居所を探るべきね」
ルカートの変異だって期限がきっちり三か月あるわけじゃない。
あれからもう半月、残りはあっても二か月半、だが慎重に、今後も奴を探し続けよう。
「そういえばあのエヴァってお嬢さんだけど、エリアスとどういう関係なの?」
不意に訊いてくるセイランに、ルカートが苦笑した。
「一応商売敵だよ、さっきも話したけどさ、エリーの仕事先に今日みたいに現れて邪魔してくるんだ」
「困った子ね」
「まあ、彼女なりに頑張って印象に残ろうとしているんだろうけど」
「それって逆効果じゃないかしら?」
「だよなあ」
「貴方は彼女のことをどう思っているの?」と訊かれたが「別に」としか答えようがない。
エヴァは殊更鬱陶しいが、ハンターに邪魔されること自体は間々ある。
「俺みたいに自分で仕入れをする肉屋は、ハンターからすれば食い扶持を奪う商売敵だ、利害がかち合えば争いは避けられない」
「そうでしょうね」
「だけどエヴァは資産家の娘だそうだ、あの装備からして金がかかっているだろ」
「他人の事情に興味はない」
「これは望み薄ね」
「前からずっとそうだよ、マダム」
水筒を手に空を見上げた。
遺体の竜は、どこから来て、何故この谷で死んだのだろう。
断裂の向こうに広がる夜の闇。
あの大空から墜落して深い谷底へ、そして魔獣たちの餌となり喰われた。
―――強者である竜も死ねば弱者の糧に成り下がる、虚しいな。
「エリー、そろそろ君もこっちへ来いよ、もう寝るぞ」
「今夜もルカートの毛皮を寝具に使わせてもらいましょう」
「光栄だが、寝具って言われるのはどうも、まあいいか」
「屋外でもよく眠れて助かっているわ、魔物も貴方を恐れて寄ってこないし」
「美女に快適と安心を提供できるなんて光栄だ、ほらエリー、君も早くおいで!」
「俺を騎獣と同じように呼ぶな」
ルカートの傍へ行き、セイランの横に寝そべる。
本当に手触りのいい体毛だ、心地よい温もりに昼間の疲れも相まって、早速眠気が押し寄せてくる。
「おやすみエリー、マダムもおやすみ」
「おやすみなさい二人とも」
「ああ、おやすみ」
目を瞑って息を吐き、とろとろと意識が闇に溶け、気付けば―――夜明け前。
空が淡い色に染まり始めている。
隣にいたはずのセイランの姿がなくなっていて、立ち上がり見渡せば、あの竜の遺体の傍に佇んでいるのが見えた。
「セイラン」
「あら、おはようエリアス、早いのね」
「なにしている」
セイランは竜の遺体を眺めて「弔っているの」と静かに答え、目を瞑った。
「弔いか」
「竜は死んだ姿を誰にも見せない、死期を悟るとどこかへ去り、そのまま永遠にいなくなるの」
「確かに遺体を見つけたという話は聞かないな」
「でしょう?」
再び目を開くと、セイランは遺体に片手を翳した。
直後、竜の遺体は青白い炎に包まれ燃え上がる。
「すごいな」
「この火は浄化の炎、私達種族特有の能力で、汚れを払い、焼き尽くす」
触れても熱くないというから、恐る恐る手を伸ばしてみる。
―――本当に熱くない、不思議な感覚だ。
「穢れだけを焼くの、この死骸は穢されてしまったから、全て炭になるでしょうね」
「そうなのか」
「この竜の魂は、再び大いなる循環へ還り、いずれまた世に生まれ出る」
「それが君の妖精としての力なのか」
「とんでもないわ、私は、送ることしかできない」
いつもそう、とセイランは寂しげに呟く。
「見送ることしかできないのよ、大切な人の背を、守ってあげられないの」
「セイラン」
「ふふ、ごめんなさいね、こんな話をして」
以前、夫を亡くしたという彼女の過去に、何があったのか。
魔人への復讐とその動機、それは俺も知っているが、他のことは何も知らない。
謎めいた女性だ。
他人の語らないことを根掘り葉掘り聞きだすような趣味は持ち合わせていないが、抱え込んだ感情は随分重いのだろう。
ルカートと同じように。
俺も、一人で負うには重すぎるものを抱え込んでいる。
「ねえエリアス」
「なんだ」
「貴方の師匠だけど」
すっかり燃え尽きて、完全に炭と化した竜の姿を、朝日が照らす。
「早く見つかるといいわね」
「ああ」
ふっと微笑むセイランの姿が、またヨルと重なった。
美しい白銀の髪。
深い色をした紫の瞳。
ヨル、今どこにいるんだ―――俺は今も、貴方の帰りを待ち続けている。
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