第29話 ヴァーリーバレー 1

全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。

一瞬、鼓動がドクリと震える。

―――竜の死骸?


「アレがあるからデグラブたちは争わず、この谷からも離れようとしないのね」

「死骸は半分ほど食われていたよ、でもまだ半分残ってる、アレを食い尽くしたら恐らく例年通り殺し合いが始まるんだろう」

「竜殺しなんてヒトには到底無理よ、老齢で死ぬにしたって竜はこんな場所に遺体を晒すような真似はしない」

「つまり、アレを仕留めたのは神の眷属、もしくは」

「魔人」


両手を握りしめる。

魔人は複数いる、この状況をそうと断言できないが、可能性としてはあり得る。

ここで、ドルシコーがその竜を殺したのかもしれない。


「竜の遺体を調べたい」

「ええ」

「それじゃ改めて作戦を立てよう、調査するにしたってデグラブの駆除はしなくちゃだろ?」

「そうだな」

「日の出を待って、デグラブを一掃しましょう」


あの数のデグラブだ、大掛かりな作戦になる。

だが、やっと掴めた魔人につながる可能性を食いつくされる前に、片を付けなければ。


ひとまず休むことになり、荷物を置いた場所へ向かう。

荒らされていないことを確認してから、ルカートが広げた翼の下へ潜り込んだ。

滑らかな体毛、心地よい体温、すぐ眠気が押し寄せる。


「本当に心地がいいわね」

「フフ、お気に召して何よりだよ、マダム」

「エリアス、貴方もう眠そうよ」

「エリーは昔からよく寝るんだ」

「だからそんなに大きく育ったのね」

「うるさい、お前達もう寝ろ」

「はいはい」

「子守唄を歌いましょうか?」

「いらない、寝ろ」


目を瞑る。

クスクスと笑う声が鼓膜をくすぐる。

そういえば、とふと思った。

―――ここ最近、ずっとあの夢を見ていない。


翌朝。


「おはようエリー!」

「おはよう、ルカ」


やはりよく眠れた。野宿らしからぬ目覚めの良さだ。

早朝の薄水色をした空には、登り始めた太陽が輝いている。


「それじゃ、決行前の最終確認をするぞ」

「ああ!」

「ええ、頑張りましょうね」


始めに俺とルカートで、デグラブを駆除しつつ谷へ近づく。

谷の近くまで来たら俺とセイランで水の精霊アクエを呼び出し、デグラブを谷底へ押し流す。

だが一度に大量の水を発生させると水害の恐れがある。

ヴァーリーバレーがあるこの辺りは乾燥地帯だ、土に保水力は無い。


「ハーヴィーが唱える『ハーヴィーコール』って知ってるかしら」

「いや」

「あれだろう? 海神の眷属ハーヴィーはいかなる場所でも水を呼ぶことが出来る、それが『ハーヴィーコール』だったか」

「そう、でもここで大量の水を呼び寄せるなんて真似をしたら、大変なことになるでしょうね」

「デグラブは水に惹かれる性質がある」

「そのようね、だからアクエには谷底に限定して雨を降らせてもらって、その水でデグラブたちをおびき寄せるの」

「谷底へ向かうデグラブを僕とマダムで片っ端から駆除して援護しつつ」

「俺は谷底へ降りて集まったデグラブを掃討する」

「君の負担が一番大きいが、大丈夫なのかエリー?」


心配するルカートに、問題ないと頷いた。

荷物からデグラブが吐く泡対策用の、靴底に取り付けられる鋲を取り出す。


「お前たちの分もある、試作品だが実用可能だ」

「君が作ったのか!」

「器用ねぇ」


それぞれ靴底に取り付けさせる。

いけそうだ、だが、過信はするなと釘を刺しておいた。


「君って本当、大抵の道具は手作りするよな」

「妖精は手先が器用なのよ」

「へえ、それじゃマダムもその繊細な指先から何でも生み出せるのか?」

「何でもは無理ね、でも、編み物くらいはこなせるわ」

「それは素敵だ」

「俺だって編める」

「エリー、君が編むのは罠用の網じゃないか」


同じだろうが。

―――簡単に朝食を済ませ、また荷物の周りに簡易結界を張り、少し離れた場所にいるピオス達に声をかけておく。

昨晩も逃げ出さずにいてくれた、俺が傍に行くとしかつめらしい様子で鼻を鳴らし、ここで待っているという意思を示す。

思っていた以上に忠義者だ、後で何か美味いものを食わせてやろう。


「さて、仕事だ」

「よし!」

「行きましょう」


谷へ向かうと、辺りをうろつくデグラブたちが大きなハサミを振りかざして威嚇する。

そいつらを片っ端から殴りつけていくと、俺たちを脅威とみなしたデグラブは一斉に襲い掛かってきた!


「ルカッ」

「任せてくれエリーッ!」


先行して斧を奮う俺を、ルカートが槍を繰って援護する。

こいつの器用さは俺とは別方向で発揮される、大抵の武器を使いこなし、あらゆる状況に対応してみせる。


「このまま惹きつけつつ谷へ向かう!」

「分かったッ、しかし本当に数が多いな、それに泡がッ、滑って地味に気持ち悪いぞ!」


幸い靴底の鋲のおかげで転ぶことはない。

だが服や肌に泡が付着する。ルカートには俺と揃いのすべり止めがついた手袋を渡してあるが、気色の悪さだけはどうしようもない。


「なあ、この泡ってかぶれるのか?」

「ないな、だが大量に飲むと毒だ」

「こんなもの飲むかッ、うぶッ、でも喋ると口に入りそうだッ」


斧の間合いに入ったデグラブを拳で殴りつけた。

甲羅がひしゃげたデグラブを踏み潰し、飛び越えて次のデグラブに斧の一撃を食らわせる。

振り返りざまにまた一撃、刃で腹を裂き、関節を切り落とし、頭を踏み砕いて、蹴り飛ばし、殴りつける。

ルカートも槍を操り攻防一体となった攻撃を繰り広げている。

不意に足元の地面が凍り付いた。


「これはッ」

「エレメントだ、エリーッ、避けろ!」


飛び退いた辺りにいたデグラブたちが氷漬けになる。

セイランだな。

援護にしては容赦ない、ルカも「マダム」と切なげにぼやく。


「手厳しい人だ、でもそこも魅力的だッ、僕は強い女性も大好きさ!」

「現実から目を背けるな」

「巻き込まれなかったからいいんだよッ、それよりもうすぐ谷だ、君はそろそろ下がれ!」

「任せた」


今度はルカートが前に出てデグラブたちを引き寄せつつ進む。

俺は―――ここへ来るまでの道中、セイランに指南してもらったオーダーを唱える準備に移る。

まだ完全に使いこなすには程遠いが、それなりに形にはなってきた。

今が実戦で試すいい機会だ。


視界の端にセイランの姿が見えた。

谷はもうすぐそこだ、道具入れから香炉を取り出し、精霊を―――

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