第21話 爪と牙
「魔人が彼にかけた呪いは、その者の本質を暴き、姿かたちを歪めるもの」
セイランも目を細くして魔獣と化したルカートを眺めている。
「これほど優美な獣になるなんて、彼の本質はとても美しいのね」
「まさか」
「ふふ、それで、貴方はどうするのかしら、エリアス」
決まっている。
子供の頃こいつと何度も殴り合いの喧嘩をした。
最近は、流石に頻度は減ったが、たまに気に喰わないとお互い暴力に訴えることもある。
叩かないと分からない奴だからな。
これからする喧嘩は命懸けだ、覚悟しろよ、ルカート。
吠える獣に負けじと吠え、同時に地を蹴った。
大きく開いた咢を避けてまずは一発、だがルカートも即座に前脚で反撃してくる。
皮膚を裂かれる痛みに耐えながら俺も爪を振るい、鮮血を迸らせてルカートが牙を剝く。
肩口に差し込まれる太い牙、俺も掴んだたてがみを力任せに引っ張りながら目の近くに噛みついた。
毛が舞い羽が散り血が飛ぶ。
こんなものは完全に獣の闘争だ。
およそ理性あるヒトのすることじゃない、縄張り争い、餌の奪い合い、そういった自然界における野生の営みだ。
右頬を殴り、脇腹をえぐられ、脚の肉を噛み千切り、重量に任せて押さえつけられた下から思い切り蹴りあげる。
首にかじりついて噛みつけば暴れて振りほどかれ、前脚で張られたお返しに鼻面を爪でえぐる。
息が上がり始めると、また視界が赤く染まっていく。
―――違う。
こんなことをしたいわけじゃない。
目の前のこいつは敵じゃない。
ルカートだ。
女好きで金勘定が甘くて調子のいい、俺の心配ばかりしている幼馴染。
俺のせいでこんな姿になってしまった。
「ルカート!」
獣が俺の声にビクリと反応する。
「俺はエリアスだ! ルカート、お前の幼馴染のエリアスだ!」
その隙を逃さず、頭を抑え込み動きを止めた。
とんでもなく力が強い、くッ、一瞬でも気を抜いたら吹っ飛ばされそうだッ。
「正気に戻れルカート! なあッ、お前は俺に、謝りたいんじゃないのか!」
吠えて四肢をばたつかせていた獣が少しずつ大人しくなっていく。
痛みと衝撃に耐え続けていると、不意に腕の中からかすれた声で「え、りー?」と人の言葉が聞こえた。
「ルカ、分かるのか?」
「う、ん、わかる、よ、だいじょうぶ」
赤い瞳に、理性の気配がある。
「少しずつ、頭の中が、はっきりしてきた」
まだ警戒しつつ拘束を解いた。
その場に座り込んだ獣は俺をじっと見つめる。
どこか哀しげな様子で鼻を鳴らすと、牙を突き立てられ赤く濡れた俺の肩をべろりと舐めた。
「ごめん」
「いい、それよりお前なんだな? 間違いないな?」
「まだ少し興奮しているが、今の状況も、君の言葉も、ちゃんと理解できる」
「お前は誰だ」
「僕はルカート、ルーミル教の司祭で、監査役を請け負い、君を探して会いに来た」
ホッと緊張が解ける。
ルカートはまた「ごめん」と謝り、項垂れた。
「この姿では治癒魔法を唱えられないみたいだ、君を治してやれない」
「陽が昇ってからでいい」
「あら、私がいるわよ、エリアス、ルカート」
セイランが傍に来て、俺達それぞれに治癒魔法をかけてくれる。
これだけの怪我を二人分癒したというのに「やれやれ」だけで済んだようだ。妖精は体力もヒトと規格が違うのか?
「それにしても、魔獣化して理性を取り戻すなんて、流石に無理だと思っていたわ」
「おい」
「怖い顔しないでちょうだい」
俺が睨むとセイランはコロコロと笑う。
「貴方たちはとても仲がいいから、深く強い繋がりは時に奇跡を起こす、だから少し期待していたのよ」
「マダム、その言葉は僕がこうなる前に聞きたかったよ」
「あら、変に期待を持たせたら、もしどうにもならなかったとき、エリアスが貴方を仕留められないかもしれないじゃない」
「それは、まあ、確かに」
「でしょう?」
「僕がエリーを殺すくらいなら、エリーに殺された方がよっぽどマシだな」
自分の命だぞ、何を言っているんだ。つくづくお人好しで呆れる。
ため息を吐いて「おい」とルカートを呼んだ。
「ところでさっきの話、詳しく聞かせてもらおうか」
「―――僕のせいで君の父さんが死んだって告白のことか」
「そうだ」
ルカートは組んだ前脚の上に顎を乗せる。
「なあエリー」
「なんだ」
「君は昔のことってどれくらい覚えている?」
子供の頃か。
ヨルに引き取られるまでの記憶は、正直言って曖昧だ。
あまりいい思い出はなかったように感じる。
母さんが亡くなって、父さんと移り住んだ村でルカートと出会った。
内に籠りがちだった俺を、こいつは強引に連れまわし、世話を焼いて、親切にしてくれた。
あの頃は俺も素直にルカートを慕っていた。
「あの日、羊の番をしていたら、知らない人に道を訊かれたんだ」
「それで」と言いかけてルカートは躊躇い、けれど決心したように話を続ける。
「教えた、君の家までの道のりを」
「それは誰だ?」
「覚えていない、僕は最初躊躇ったんだ、君たちはどこか隠れるように暮らしていたから、だけど、あの頃の僕は人には親切にするものだって単純に思い込んでいた」
「だから教えたのか」
「それにね、奴はこうも言ったんだ、君の母親からの贈り物を預かっている、きっと寂しいだろう君を、その贈り物で励ましてあげたいって」
それで教えてしまった。
ルカートは大きな前脚で頭を抱え込む。
「夕方になって、僕は羊の番を終えて家に帰り、そして君の、父さんが―――殺されたことを知った」
辺りに満ちる夜が急に質量を増す。
闇が圧し掛かってくる。
父さん、どうやって殺されたか思い出せない、ただ覚えているのは―――赤い、暗い、誰かの笑い声。絶望の感覚。
「きっと僕のせいだ、そう思った、でも怖くて誰にも言えなかった、君にさえも」
「ルカ」
「僕はただ君の笑顔が見たかっただけだ、いつも寂しそうなのはお母さんが亡くなってしまったからだろうって、だから元気になって欲しい、そう思った、願ったんだ」
「でも僕が!」腕の下でルカートは叫ぶ「僕が、君の最後の肉親まで奪ってしまった、その手伝いをしてしまった!」
「お前のせいじゃない」
「いいや、僕のせいだよエリー、僕は君に謝りたかった、ずっとずっと、謝りたかったんだ」
「知らなかっただけだ」
「だからって罪は消えない、知らないことは赦しにはならない、あの時僕は君に洗いざらい告げて謝罪すべきだった!」
「もう、いい」
「エリアス!」
顔を上げた獣は、赤い目から大粒の涙をこぼす。
金色の滑らかな毛がしっとりと濡れている。
「愚かな僕のせいで君は家族を失った、だから僕を詰ってくれ、責めてくれ、なあエリー、僕はどうすれば君に贖うことができる?」
息苦しい。
俺に哀れな姿を晒して、今更過去を蒸し返して、お前は本当にバカだ、ルカート。
「そんなこと、俺に分かるか」
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