第19話 ケモノの力

「だから、それまでに策を練って対策しましょう、来ると分かっているものを迎え撃つならこちらが有利よ」

「期限の三か月以内に現れないかもしれない」

「それは大丈夫、完全に魔獣化してしまったらコレクションのうまみがないもの、嫌な言い方してごめんなさいね」


ルカートは「いや、構いませんマダム」と溜息を吐く。


「とんでもない悪趣味野郎だ、つまり僕らを悲劇の主人公として手元に飾っておくつもりなんだな」

「そうでしょうね」

「マダム、僕の事情もありますが、貴女の事情も見過ごせない、僕は貴女に手を貸します」

「有難う、頼もしいわ」

「君も手を貸すだろ、エリー」

「ああ」


セイランの事情にも同情するが、何よりルカートだ。

俺のせいでこいつは呪われた、なら、俺には呪いを解除する責任がある。

なにより―――敢えて言うことでもないが、こんな理不尽な、馬鹿げた理由で、友人失いたくない。


「さ、そうと決まったら取り敢えず食べましょ、男の子はもっと食べないとダメよ、たくさん食べて元気をつけてちょうだい」

「有難うマダム、この魚もとても美味しいよ」

「ふふ、もっと用意しましょうか?」

「そうしていただこうかな」


俺にこっそり「人妻も悪くないな」なんて耳打ちしてくるから、軽く肘打ちしておいた。

まあ、女と見れば見境ないが、一応の倫理観は持ち合わせているからな。滅多な真似はしないだろう。

それにセイランは妖精―――妖精か、初めて見る。

聞いた話ではもっと小柄な、二足歩行する動物のような姿をしているそうだが、ヒトに似せた姿に化けられるほどの魔力と技術を持ち合わせているということか。


しかし、俺自身すっかり忘れていた。

そうだ確か、父は、稀に違う姿をしていた。

母がその毛並みを優しく撫で、喉をくすぐり、俺は尻尾にじゃれついた。

何故忘れていたんだろう。

何故―――赤い、赤い色が、母が、父が、忘れろと俺に―――おもいだしては、いけないと。


「エリー?」


ルカートに覗き込まれてハッとする。


「顔色が悪いぞ、まだ痛むところがあるのか?」

「大丈夫だ」

「そうか、不調があるなら今のうちに言っておいてくれ、陽が暮れてしまったら、君を癒せなくなってしまうからな」


自嘲気味に笑んだルカートは、不意に手で自身の両頬をパンっと挟む。


「っと、暗くなるのはやめだ、エリー、改めて頼みがある」

「何だ」

「僕は呪いを解きたい、だから協力して欲しい」

「ああ」

「今夜僕が魔獣になったら、どうにかして朝まで抑え込んでくれ」

「分かった」


やるしかないだろう。

あの時見た魔獣化したルカートは恐ろしく獰猛で強靭だった、あからさまな殺意を漲らせ、本気で俺を仕留めようとしていた。

だが、俺達はこれから魔人を相手にする。

今夜ルカートを抑え込めなければ、呪いを解くなんてこと到底不可能だ。

殺しはしない、絶対に。

俺が使えるようになったとかいう、妖精の力でも何でも利用して、無事二人で明日の日の出を迎えてやる。


もう一度意識を集中させて、耳と尻尾を出せないか試してみた。


「おっ、エリー」

「どうだ?」

「可愛い」


ニコッと笑うルカートに、そうじゃないと呆れる。

よし、なら次の段階へ進もう。

セイランは俺をコクコの半妖精だと話していた。コクコ、恐らくは黒いトラ、なんとなく覚えている感覚がある。

両手に集中しようとすると、不意に「およしなさいエリアス」と止められた。


「まだ変化に馴染んでいないのよ、貴方の輪郭が曖昧になってしまう」

「そうなれば、どうなる」

「ヒトとして暮らせなくなるわ、貴方は妖精として生きていかなければならなくなってしまう」


それは困る。

だが―――どのみち腹を決める必要がある。


「エリー?」


立ち上がった俺をルカートが呼ぶ。


「どこへ行くんだ?」

「夜に備えてくる」

「夜って、君、まさか」


セイランの忠告はしかと胸に留めた。

境界線が揺らぐというなら、俺が自我を保ち続ければいいだけの話だ。

一刻も早く力を慣らして、使いこなせるようにする。


「待てエリーッ、それは」

「はあ、もう、止めても無駄のようね、だけどエリアス、全てを独りで解決しようとしないで」

「マダム」

「貴方達と私は契約を交わしている、違えた時はそれなりの罰を受けてもらうことになるわ」

「分かった、夕刻前には戻る」

「ええ、気を付けて、行ってらっしゃい」


背中に二人の視線を覚えつつ、丈の短い草をサクサクと踏んで森の奥へ向かう。

父さんのこと、自分のこと、もうずっと思い出しもしなかった。

傍に、ヨルがいてくれたから。

辛くても苦しくても、寂しくはなかった。


だが彼女はいなくなった。


それから暫く独りきりだった。

少しずつ心が麻痺して、日々の暮らしも、自分が何のために店を守っているのかも分からなくなってきた頃、ルカートが現れた。

以来あいつが傍でいつも騒がしくしているから、感慨にふける暇さえなかった。

俺はまだ悪夢を見る。

失う夢だ。

大切なものは何もかも俺の傍から消えていってしまう。

また失おうとしている、この不条理な現状を、今度こそ受け入れてなるものか。


適当な場所で立ち止まり、さっきの続きだ、爪と牙はどうだろうと意識を集中させてみる。

何となく加減が掴めてくると、体の感覚が変わり始めた。

やけに軽い、それに、思いがけない力が湧いてくる。

両手の爪が鋭く伸びる。

その爪で近くの樹の幹を裂いてみた。鋭い爪跡が幹に深々と刻まれる。

具合は悪くないな。

今度は牙、口を開くとにゅっと飛び出す。

妙な感覚だ、試しに何か噛み千切ってみるか。


また樹の幹を相手にしようとすると、近くの茂みが微かに揺れた。

生臭い吐息の気配。

直後に黒い影が数頭飛び出してくる、グレイハウンドか!


俺は爪を振りかざし迎え撃つ。

魔獣の頭を切り裂き、胴をえぐり、首筋に食らいついて噛み千切る。

視界が赤い、赤い、赤、赤だ、何もかもが赤い。

殺せと叫ぶ声がする。

誰だ、この声は、俺か?

何もかも赤い。

父さん。

―――ああ、父さん。


「エリーッ!」


ルカートの声だと理解すると同時に、視界が開けた。

口の中が生臭い。

全身から血の臭いがする。


「なにやってるんだ、君!」


振り返り、肉片と化したグレイハウンドの血だまりの中で、俺は口の中の異物をペッと吐き出した。

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