第16話 救いの手

奴を殺そうと飛び掛かった直後、強烈な一撃を喰らって吹っ飛ばされる。

獣と化したルカートが牙を剝き唸り声を上げて俺に迫る。

どうして、俺だルカ、エリアスだ、分からないのか?


「ギャッ」


不意に何故か奴が叫んで仰け反る。

その隙を逃さず、俺は肉を爪で切り裂いた。

直後圧し掛かってきたルカートと揉み合いになり転げながら「おのれぇッ」と怒りに震えた声を聞く。


「またアナタなの? よくも、最高の舞台を感激する、至高のひと時の邪魔をしてぇッ!」

「そんなことをよくも言えたものね、化粧だけじゃなく面の皮まで厚いんじゃない?」


キイッと奴が叫ぶ。

何事か起きているようだが、構う余裕はない。

肩に噛みつくルカートを爪で殴りつけ、引いたところへ当て身を食らわし、だがまた牙を剝き襲い掛かってくるルカートと爪と牙で応酬を繰り広げる。

どうしてこんなことになってしまった。

頼むルカート、正気を取り戻してくれ。

お前まで失ってしまったら俺はどうすればいい。

本当はまた会えて嬉しかった、傍にいてくれて心強かったんだ。


「ルカッ」


呼ぶと、ルカートの動きが一瞬止まる。

―――まだ多少の意識は残っているのか?


「俺だルカッ、いい加減目を覚ませ、ルカッ」


繰り返し呼び続ける。

獣は血走った眼で唸り、噛みつき、爪を振るう。

あの青年のように、あのグレボアのように、お前も堕ちてしまうのか。

そんなのは嫌だ、堪えられない、許せない、エゴでも何でもいい、俺はあの細君とは違う。

取り戻してやる。

絶対に。


「ルカッ」

「―――可哀想に」


不意に声がした。

さっきと同じ、女の声だ。


「解呪はできないけれど、少しだけ楽にしてあげる」


視界に白い羽根が舞う。

同時にルカートの姿が青白い炎に包まれ、絶叫したルカートはその場に崩れ落ち、動かなくなった。


「ルカ!」


慌てて這い寄り体に手をかける。

―――焼けていない?

俺と争い負った怪我はあるものの、それ以外の外傷は見当たらない。

すると急にルカートの姿が縮み始めて、一回りほど小さくなった。


「ルカ、ルカートッ」

「その彼、ルカートというのね」


顔を上げる。

誰だ?


「心配いらないわ、身体の急激な変化で体力を多く奪われ、そのうえ更に怪我まで負って、疲労で眠っているだけよ」

「だれ、だ」

「私はセイラン」


長く揺れる白銀の髪に、一瞬ヨルの姿を見たような気がして息を呑んだ。

女は輪郭を月光に照らされながら静かに佇んでいる。

―――いつの間にか辺りの火は消え、ルカートを化け物に変えた奴の姿もどこにも見えない。


「貴方達を襲ったのは、魔人ドルシコー」

「魔人?」


俺はぼんやり女を、セイランを見上げる。


「私の仇よ」

「何の、仇だ」

「最愛の夫の仇」


その目がキラリと剣呑に輝く。

まるで鋭い刃のようだ。


「ねえ、だから取引しましょう」

「取引?」

「そう、私はあなた達に力を貸す、だから貴方達は私に協力してちょうだい」

「なんの、協力、を」

「仇討の協力、貴方もルカートを元の姿に戻したいでしょう?」


ハッとなり、ルカートを振り返る。

今や人の姿の面影はどこにもない、体を横たえ眠っているのは四つ脚の獣だ。

―――年上ぶるくせして俺に迷惑ばかりかけて、お人好しの世話好きで、金にも女にもだらしない下戸の酒好き。

でも、俺にとってかけがえのない友人。

ずっと昔、子供の頃、俺がヨルに引き取られるとき、自分は子供で何もできないと悔しがり、地団太を踏みながら泣きじゃくっていた。

あれからもう何年も経っているのに、お前は俺を探し出して、ルーミル教の監査官なんて面倒な役目を自ら引き受けてまで追ってきた。

直接聞いたわけじゃないが、再会したときこいつは言ったんだ。

「やっと見つけた」

その一言で全て察した。

ルカートはバカだ、大バカ野郎だ。

結局、俺の代わりに呪いを受けて、こんな姿にされてしまった。

何やってるんだよ、誰が頼んだ、どうしてそこまで俺に拘る、俺を気に掛ける。


「さあ、これに貴方の血を」


セイランが白い羽根を差し出す。

俺は掌を爪で割いて、その羽を握り返す。

じわじわと赤く染まった羽根を俺の手から引き抜いて、セイランは「契約成立ね」と微笑んだ。


「少し休むといいわ、後のことは私が任されてあげる、特別よ? しっかり感謝してね」


不意に世界がぐらりと傾ぐ。

倒れ込んだルカートの体は柔らかくて温かい。

俄かに抗い難い強烈な眠気が押し寄せ、何もかもが曖昧になり、俺は―――意識を失った。

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