第15話 呪い

「ソレの元になったヒトはね、森で獣に食い殺されていたの、内臓をブチまけて、綺麗な赤い花のような姿になっていたわぁ」


うっとりと目を細めそいつは語る。


「アタシはたまたま居合わせたのだけど、とーっても強い執念が残っていて、見過ごせなくって、それでこの形に昇華してあげたのよ」


振り返り、グレボアへ近付き、その毛を撫でる。

グレボアはまるで魂が抜け出てしまったかのように動かない。

そいつは、レイナの恋人を貶めて生み出した魔獣の毛並みを楽しむように、いやらしい手つきで繰り返し何度も撫でた。


「彼が少しずつ自我を取り戻し、今の自分の姿を理解して、恐れ、絶望し、発狂していく様はたまらないものがあったわ、思い出すだけでちょっと濡れちゃう」


股間に手をあて体をもぞりと震わせ、そいつはふうっと吐息を漏らす。


「そして怒り、復讐に走り、今日至るまでの壮大なお芝居、ああッ最高、本当に素敵だった、こんな見世物滅多に見られないわ、本当によかった」

「お前は、そのろくでもない行為とこの結末全てを芝居と言うのか」

「ええそうよ、とっても素敵な御芝居、私はちょっと手を貸しただけ」

「ふざけるなよ」


ルカートの声は怒りに震えている。

―――俺もだ。

仕事に私情は挟まないと決めているが、流石にこれは、あまりに酷い。


この哀れな恋人たちに、そして惨たらしい最期を迎えた村長に、果たしてこれが訪れるべき結末だったのか。

ケヴィンという名の元人だったグレボアは、今は何を思うのだろう。

奪われ、孕まされた愛しい女は、目の前で自分への愛を告げながら殺された。

憎い相手を食い殺し、復讐を遂げても、彼にはもう何も戻らない。

あまりに残酷なこの状況をして『芝居』と言ってのけるこいつの思考はおよそ理解できない、したくもない。


「ふざけてなんかいないわ、だって私はこの世で最も優れた芸術家であり、偉大な蒐集家でもあるの」


そいつは畏まり、わざとらしいほど慇懃な礼をする。


「どうぞ、お見知りおきを」

「ならその芸術家で蒐集家とやらの名を伺おうか」

「ンもう、だからさっきも言ったでしょ、名を尋ねるなら先に自分からって」


でも、もういいわ、とそいつはカラカラ笑う。


「舞台の幕は下りたし、そうね、丁度いいから記念品を貰って帰るとしましょう―――そちらの鋼の毛並みの美しい貴方」


白手袋を嵌めた指先が俺を指す。

赤紫色の瞳を眇めて「丁度似たコレクションを持っているの、隣に飾って眺めたいわ」と話す口元が歪な笑みを滲ませる。


「ふざけるなッ」


俺とそいつの間に割って入ったルカートを見て、そいつはフンと鼻を鳴らし「悪くないけど」と指先で唇をなぞる。


「司祭ってところが気に入らないのよね、私、神なんかに身を捧げた輩は気持ち悪くって、アレルギーが出ちゃう」


スーツの内ポケットから取り出したハンカチでチンと鼻をかみ、ハンカチを捨てる。

熱風に煽られたハンカチは周囲で燃え盛る炎の中へ落ち、見る間に灰になった。


「さあ退いてちょうだい、私のコレクションには要らないけれど、見目はとても美しいから見逃してあげる」

「こッ、断る」

「あらまあ、ふふッ、ちょっと愛らしいじゃない、だけど言うことを聞けない子って好きじゃないわ」


突然ルカートの姿が脇に吹っ飛んだ。

何が起きたか分からず、地面に叩きつけられ呻くルカートを唖然と見る。


「いらっしゃい、貴方はそうねえ、その姿のまま剝製にでもしましょうか、長く苦しみ続けられるとても素敵な方法よ、楽しみだわ」


奴が一歩、また一歩と近付いてくる。

逃げなければ、そう思うのにどういうわけか体が動かない。

圧倒されている自覚はある、脳内でずっと警鐘が鳴り響いている。

ルカートを連れて、どうにかこの場を脱さなければ。

コイツの言動は場当たり的だ、気まぐれで何をしでかすか分からない、逃がすと言ったルカートのこともやはり殺すかもしれない。


動け、俺の脚。

動いてくれ頼む、嫌だ、もうあんな想いはごめんだ。

あの時みたいに。

―――父さんのように。


「エヴァトーラ・ラナト」


声と同時に俺は突き飛ばされ倒れ込む。

驚く間もなくルカートがのたうち回って苦しみだした。


「まあまあッ、なんてこと!」


奴は目を大きく見開き、両手をパチンと打ち鳴らす。


「その子の代わりに呪い受けたのね! 素敵よッ、まさかお芝居の続きが見られるなんて、第二幕が上がるなんてッ、最高だわ!」

「ぐがッ、がああああッ、ぐッ、ぐああッ、があああああッ!」

「る、ルカ!」


悶えるルカートは、赤く濁った目から血を流しつつ、俺に手を伸ばす。


「に、げろ」

「ッツ!」

「きみ、だけでもッ、はや、くッ」

「バカを言え、お前を置いて行けるわけないだろう、しっかりしろ!」

「は、ははッ、それだけで、もう、じゅうぶんッ、ぐッ、があああああッ」

「ルカッ」

「は、はあッ、ぼ、ぼくはもう、だめだ、な? わか、わかる、だろ?」


血の塊を吐いて、ルカートの姿が少しずつ変化していく。

バキボキと骨が折れ砕けるような音を立てながら全身が肥大し、美しい金髪がざわざわと伸び、全身をくまなく毛が覆い尽くす。


「嫌だ、いやだルカ、しっかりしろ、しっかりしろッ!」

「にげろ、え、りーッ」

「ルカぁッ!」


一瞬脳裏に―――いつかの思い出がよみがえった。

赤い血、叫び声、嗤う声、倒れる姿―――とう、さん。


「あッ、ああッ、たまらないわ、今日は何てステキな日なのかしら、熱い、体が火照っちゃう!」


憎い。

あいつが、よくも、アイツが―――ルカートを、よくも。


「エリー」


ルカートの姿はもう殆ど人じゃない。

あの長く綺麗だった金の髪、空の一番深い場所の青を掬い取ったような色の瞳。

その全てが赤い、世界が赤い、俺の視界も、何もかもが赤く染まる。


「逃げろ」


獣が吠える。

俺も吠えていた、頬を涙が伝う。

笑い声、嫌だ、憎い、憎い、憎い、斧の柄を握りしめる。


―――殺してやる。


「あら?」


どこからか涼やかな声がした。

だが俺は、赤く染まった世界で牙を剝き、爪を構える。

殺してやる。

許さない、絶対に。

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