第13話 天沼秀
医者の名前は、天沼秀。
ダンジョン病を専門に扱う医者だ。
俺達は、彼の家へと来ていた。
東京の23区の外、西東京市に存在する彼の家は、こじんまりとしている。
築40年は経過していそうな古い木造建築で、彼が一人で住んでいるらしい。
だが、その建物には小さな庭があり、そこには色とりどりの花が咲いていて美しい。
手入れが行き届いていることが分かる。
(……ふむ)
間違いない。巧妙に隠されているが、結界など呪術の痕跡が見て取れる。
ダンジョン産のマジックアイテムとはまた別の気配だ。
当たりであろうか。
「いらっしゃい、青崎さん。そちらの方々が……」
天沼が出迎える。彼は、30代後半の男だ。
ほっそりとした顔つきで、優し気な印象がある。
眼鏡を掛けており、髪も綺麗に整えられている。
「あ、はい。例のアイテムの確保に協力してくれてる探索者さんです」
「影崎黒止と申します。お初にお目にかかります」
「白咲サクラです。初めましてー」
俺達は、天沼に頭を下げた。
すると、彼は穏やかな笑顔で答える。
「よくいらっしゃいました。私は、天沼秀です。どうぞ中へ」
「恐れ入ります」
俺達は、彼の後を追って入って行く。
玄関を通る。結界の気配がある。簡単な、霊を防ぐ初歩的なものだが……。
やはり、呪術師の類であろう。そして、通された応接間で、俺達は茶を頂いた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
俺は、礼を言って茶を口に運ぶ。
もっとも、湯飲みに口を着けて、吞むふりだけにしておくが。
白咲さん、可憐さんにもそれは前もって伝えておいた。
「結構なお点前で」
「ありがとうございます」
天沼は、軽く頭を下げる。
「天沼先生、と仰いましたか」
「はい」
「ダンジョン病の専門家とのことですが……」
「ええ。わたしはかつてダンジョン探索者でした。五年ほど前でしょうか、ダンジョン病で苦しむ患者に出逢い、救わねばと思い、ダンジョン病の研究を始めたのです」
「なるほど」
彼が語る来歴は理に適っていた。元々医者もしていたが、ダンジョン病の研究を始めたきっかけも、患者を救わねばという思いがあったからこそなのだろう。
……彼の言っている言葉が、真実であるならば、だが。
(……さて)
仕掛けてみるか。
「天沼先生」
「はい、なんでしょう」
「彼女の姉……青崎純花さんを診たのは先生だと伺いました」
「はい。純花さんの調子はどうでしょうか」
「現在は、変わらず。小康状態を維持しております」
「それは良かった」
天沼は、安堵したように微笑む。
だが、まだ完全に安心できる状況ではない。彼女の病は、ダンジョン病ではなく呪病だ。術者の気分次第でいつでも悪化させられるのだ。
もっとも、対策はしてきたが。
「……ところで先生」
俺は、少し声のトーンを落として問いかけた。
「はい?」
天沼が小首を傾げる。
「あれは、本当にダンジョン病なのでしょうか」
俺は彼の目を真っすぐに見据えて言う。
「どういう……ことです?」
「素人質問で恐縮なのですが」
俺は言う。
「自分の知っている、とあるものに酷似しているのです」
「……それは?」
「呪病、というものに」
そう言うと、天沼は目を大きく見開いた。
「……そんなものが、実在するとでも?」
「はい。この世界には、人間の常識を超える物は存在します。かつてダンジョンが常識の枠外であったように。
呪いもまた、確かに実在します」
すると、天沼は顎に手を当てて考え込む。
「なるほど……」
そして、ゆっくりと言葉を発した。
「確かにその考えも一理あるでしょう。ですが」
だが、と彼は続けた。
「わたしは医者です。
患者のため、医学に身を捧げた者なのです。確かにあなたの言葉には説得力がある。ですが、わたしは自分の職業にかけて、絶対の自信を持って断言します。
青崎純花さんは、ダンジョン病です」
断言した。
それは、もう話を続ける気はない、という明確な意思表示であった。
「あくまでも、ダンジョン病だと仰るわけですね」
「はい。私は呪いなど信用しません」
「そうですか」
そう言いながら、俺は――
「残念です」
身体を動かさず、ただ心で念じ、命じた。
簡易式神に。
“襲え”と。
「――っ!」
次の瞬間、天沼は咄嗟に、腕を突き出し、それを弾いた。
彼が弾いたのは、俺が作った式神だ。
符も使わず、思念と気だけで構築した、自我も明確な実体も、そして力すら無い、ただの幻に等しいもの。
普通の人間には、決して見る事も出来ず、影響すら与えられない、俺の空想に等しき無力なものだ。
それが天沼に襲い掛かり――そして、天沼は己に襲い掛かるそれを見て、咄嗟に防御したのだ。
「どう、されましたか。何が、見えたのでしょう」
「……貴様」
俺の言葉に、天沼は口調を変える。
「やはり、視えましたか。あれは決して、普通の人には見えぬもの。
詰めが甘いな」
俺も口調を変えた。
「詰めが甘い……? 何のことですか。私はただ虫がいたのではらったのみ」
つまらぬ言い訳だ。
「今のは簡易思業式。そりも形だけを作った、ただの空想に等しきものにすぎぬ。常人には決して視えぬ、感じぬもの。
故にお前は、無視すればよかったのだ。ただ何もなかったように耐えればそれで済んだ。無関心を貫きさえすれば、視えなかったと俺は判断し、疑惑は失せた」
もっとも、すでに確信を得ていたので、別の方法で尻尾を出させようとしたが。
しかしこいつは馬脚を現した。
「――やはり、お前が呪術師か、天沼秀」
その俺の言葉に、天沼は諦めたようにため息をひとつ吐き、そして凶悪な笑みを浮かべた。
「……ああ、その通りだ。その通りだとも。やれやれ、何かと思えば、御同業でしたか。
それで? 何用ですか」
その開き直った言葉に反応したのは、可憐さんであった。
「……っ! あ、あなたは本当に……お姉ちゃんを!」
立ち上がった可憐さんを、天沼は馬鹿にしたように笑う。
「さて、何の話ですか」
「とぼけないで! ダンジョン病と偽って、呪いをかけたのは……あなたなの!?」
「ダンジョン病と偽った? ああ、なるほど。確かにそれも一理あるかもしれませんね」
天沼は余裕の表情を見せていた。
「だが勘違いしてはいけない。ダンジョン病とは、呪いだ。
ダンジョンそのものがかけてくる呪詛、ダンジョンのモンスターがかけてくる呪詛、それらの呪病を今の世界のルール常識に従い、ダンジョン病と呼んでいるに過ぎない」
「かつて、原因が解明されていない病を呪い祟りと読んだように」
俺の言葉に、天沼は満足そうに笑う。
「そう、全てはコインの裏表さ。そこに違いなど無い。この答えに満足していただけましたか?」
「するわけないでしょう!」
「……やれやれ。私があの女に呪いをかけたのがそんなに駄目か?」
「良い悪いの話ではない。天沼秀、何故このようなつまらぬ事をする」
俺は問うた。そう、あまりにも杜撰で、下らぬ事だ。
どうにも、腑に落ちぬ。
「つまらぬ事、だと?」
「ああ。他人に呪病を掛けられる力があるならば、その力はもっと有効に使えよう。
そのような力を持つ呪術師なら、いくらでもやり様はあるはずだ。
金が欲しいなら、わざわざ一般人を呪病にかけ、自作自演で癒し大金を巻き上げる……などせずとも、大企業や政治家などがいくらでも金を詰むだろう」
まあ、そう言った連中が標的にする相手も、それなりの対策を取っている場合は多いが。
「それでは愉しみにならない」
俺の言葉に、天沼は笑った。
「愉しみ、だと」
「ああそうだ。金など確かに、金持ち相手に商売を持ち掛けたらいくらでも手に入る。だけどな、それでは決して手に入らないものがある。金では手に入らない確かなもの――
そう、愛だ!
人は愛ゆえに苦しみ嘆き絶望する。
愛する人が、愛する家族が病に蝕まれていく姿をただ眺めて哀しみ絶望する姿、そして助けたくて必死にあがく姿、それが私は――見たい」
なるほど。理解は出来た。だが――
「共感は出来ぬな」
この音は下衆の類だ。
「では、可憐さんに不運の呪いをかけたのも」
「ああ、姉のためにアイテムを求めてダンジョンに挑む少女への手向けさ。そうすることでミスをする、あるいは凶悪なモンスターと遭遇する。いい見世物になるだろう?」
「……だから、配信者である可憐ちゃんに目を付けた?」
白咲さんの言葉に、天沼は笑って肯首する。
「ああ、その通りですよ。馬鹿な配信者は必死に実況してくれるからね、楽しく見させていただいた。どちらが早く死んでも、極上の悲劇が楽しめる」
「だが、俺が突き止めた」
「おやおや、それは残念」
天沼は両手を上げておどけて見せる。
「だけどこうして対話に来たと言う事は……つまりそういうことでしょう、同業者。
この件に噛ませろ、と」
「……」
「欲しいのは金? それともその馬鹿な少女かあるいはその姉を手中に収める事? どちらでもいいですけどね。あなたは実に邪悪な顔をしている。仲良くなれそうだ」
顔の事は関係なかろう。
「呪術師は、正義の味方などでは決してない。人の悪意を学び、恨みに触れ、欲を糧に生きる者たちだ。
あなたもそうだろう、影崎黒止。だから此処へ来た」
天沼は笑う。可憐さんは怯えた顔で俺を見る。白咲さんは――にやりと笑った。
「確かに、俺は正義を騙るつもりはない。此処に来た目的は、糾弾でも誅罰でもない
俺は――静かに言った。
「此処に来たのは――絶賛実況生配信中だからだ」
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