第10話 残穢
「可憐さんの件で、気になることがあります」
午後。
喫茶店『雪桜』に戻った俺は、白咲さんに言った。
「気になる事……ですか?」
「はい」
「可憐ちゃんに一目惚れしちゃった……とかそんな話じゃないですよね」
「確かに彼女は美少女ですが……子供に興味はありません」
「それはつまり……ロリコンではないってことなんですか?」
「はい」
なぜ俺はかような疑いを持たれねばならぬのか。
そもそも白咲さんだって子供であろう。俺を幼児性愛者と疑うなら距離を取るべきではないだろうか。
「冗談ですよ。本気にしないでくださいね」
「わかりました」
冗談ならば良い。
「それで、気になる事って……?」
「不思議とは思いませんか。彼女は短期間で三度、危険な目にあった。白咲さんやリスナーの方々曰く、彼女は強い探索者だ。にも拘わらず、です」
「それは……そうですけど、うん」
「明らかに……不運です。
そして、妙な気配を感じました」
「妙な気配……?」
「はい。残穢のようなものが」
「ざんえ……?」
「残った穢れ、と書いて残穢です。負の残留思念、と言い換えてもよいでしょう。
それが彼女から感じられたのです」
「それは……つまり……?」
白咲さんは俺の言わんとする事を察したようだ。表情が強ばっている。
俺は続ける。
「彼女の度重なる不運は偶然ではなく、人為的なものだったのではないか……そう思えてならないのです」
「それは……つまり、誰かが裏で糸を引いていた、って事ですか?」
俺は頷く。
「呪術の世界には、運勢を悪転させる術も存在します。そういったものが彼女に影響を及ぼしているやもしれぬ、そう考えたのです」
「気のせい……とかじゃないんですかね?」
「単なる杞憂ならば、それに越したことはありません」
だが、そうでないとしたら。
「それを、調べてみようと思います」
「どうやって……ですか?」
「こちらです」
俺は、先日彼女を術で治療した時に使ったハンカチを取り出す。
洗濯していないそれには、血痕が残っている。
「それは?」
「先日の、彼女の血です。これを類感呪術によって調べます」
「るいかん……じゅじゅつ?」
「ええ。類感呪術とは、人とその人の持ち物や痕跡には、繋がりがあり、そこを辿る事で本人に影響を及ぼせるという原理に則ったものです。
解りやすいのは、丑の刻参りなどですね」
正確には、藁人形を使った丑の刻参りは「見立て」の呪術であるが、藁人形に当人の毛髪や爪などを用いる場合もあり、そうしたなら効果は倍増する。
「もし彼女に対して呪詛がかけられていたなら、この血にもその痕跡が見て取れるでしょう。さすがに、ここからその呪術師にたどり着くことは難しいでしょうが」
呪う術者と呪われる相手には、明確な経路が繋がり、それを辿る事が可能だ。だが、あくまで当人同士であり、その持ち物から辿る事は難しい。
また、呪詛を辿られる事を警戒していて対策を取られていたなら、その痕跡を辿る事すら難しいだろう。だが、その痕跡すら辿れぬなら、術者に辿り着くのは不可能だ。
「ただ、何もなければそれはそれで良しです」
「……そうですね。あ、どうせならその痕跡を調査するのも配信したらどうです?」
「……それはやめておきましょう」
「なんでです?」
「もし呪詛をかけた呪術師かいるのなら、彼女を監視しているでしょう。呪詛に気づいている、疑っていると言うことを知られたなら対策をとられます。
呪術の理は、相手に気取られぬ事――それが鉄則なのです」
素人の行う呪いでは、相手に「呪われている」という事を知らせる事で精神的な自滅を誘うという技術もあるが、それはあくまで素人、あるいは門外漢の行うものだ。
「あと、今の自分が術を行っている姿を撮っても、黒蜥蜴ユキとして配信できません。別人と思われますから」
陰気な男の怪しい儀式。
まず信用されまい。
「あー……そうですね。師匠とか兄弟子とするとか……駄目ね、男の影ちらついたら炎上するわ」
納得してくれたようだ。
「はい。ですがいずれにせよ、この自分が一度可憐さんと会う必要はあるでしょう。その時は、師か兄弟子、あるいは実兄、もしくはマネージャー……などと偽って会う必要があります」
「なぜです?」
「今はまだ言えません。杞憂であればよいのですが」
「はあ……まあ、黒止さんに任せます。あー、しかしダ美肉おじさんの弱点ってやっぱりそれかー、ダンジョン外での撮影とか出来ないのがネックだなあー」
白咲さんはがっかりしていた。
……何だ、ダ美肉おじさんとは。
若者の言葉はよくわからぬものだ。
◇
喫茶店を後にした俺が向かったのは、レンタルスペースである。
六畳和室を一時間1500円で貸し出している所だ。
俺は術を使う時、こう言った公共の場所を愛用している。理由は簡単だ。先ほど白咲さんに言ったことと関係している。
残穢……いや、俺は悪意邪念を以て呪う訳ではないから、単純に残留思念と言った方がよいか。
呪術の痕跡は残るし辿ることが出来る。
同じ拠点で儀式を行い続ければ、それは強力なものになるが、反面足がつきやすくなってしまうのだ。
しかし、色んな場所、特に多くの人が入れ替わり立ち替わり使用するレンタルスペースだと、ここで儀式、
術を行ったとしても、後に使用する客たちの気、念で上書きされ、痕跡は消えやすくなる。
足跡を足跡で上書きし消し去るようなもの、と思えばよい。
呪術師が絡んでいるやもしれぬのだ。万全を期す必要がある。
俺は金を払い、部屋に入る。
六畳の狭い、だが清掃の行き届いている畳の部屋だ。
「……」
俺は呼吸を行い、意識を切り替え、視線に力を込める。
その目で、部屋に残留している念の痕跡を視る。
……ふむ、多少の雑想念は残されているが、問題ない。
光の珠をイメージし、気を練り、そしてそれが部屋全体を包み、浸透していく
これで部屋に残されていた残穢は祓った。
「……さて」
俺は部屋の中心に座り、和紙で包んでいたハンカチを取り出す。
それは青崎可憐の血痕の着いたハンカチだ。
俺はそれを式台にのせ、周囲に蝋燭を配置し、灯をともす。
そして、目を凝らす。
――見えぬ。
視覚的にわかりやすい残穢は存在しない。わかりやすく固着しているなら、黒い霞やあるいは炎のような形で目に映るのだが。
気のせいか。
いや、結論はまだ早い。
「――我、
そして
現場では基本、俺は神咒……呪文を唱えぬが、こういった場合し神咒を唱えた方が効率はよい。
勾玉を取り出す。
勾玉には紐がついていて、それを俺は手に持ち、ぶら下げる。
憑読の術。わかりやすく言うなら、所謂ダウジングというやつだ。
この振り子の動きで判別する。
「この血、このものの持ち主の魂魄侵せし陰の気、あるやなしや応えよ、ふるへゆらゆらとふるへ」
視覚では捕らえられぬ、残穢の気配を魂魄で感じ、その振動を肉体に伝え、指先の振り子の動きにて判別する。
ダウジングなど誰にでも出来て下らぬ占いの技法のひとつ――と軽視する声も多いが、基礎にこそ秘奥が在ると言えよう。
そして、勾玉が――動いた。
「ふむ」
この動き。
「やはり、在る……か」
その後、いくつかの儀式呪術を試したが、結果は「在る」であった。
間違いない。
彼女は――青崎可憐は何者かに呪われている。
「本人に、確かめる必要があるか」
このハンカチ一枚では、彼女が呪われているかいないかの判別以上は出来なかった。
あとは本人に直接確かめる必要があるだろう。
となると……
「白咲さんに、頼むしかあるまい」
俺は彼女に電話した。
そして事情を話し、可憐さんに連絡をとって貰うことにする。
そして、彼女とは翌日の日曜に会うこととなった。
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