第12話 助け


 恐怖心で動けなくなっている。俺のせいで周りを巻き込んでいるという事実もあいまって、震えが止まらない。差し出された手を取ったらどうなるか、容易に予想がつく。また、昔にぎゃくもどりするだけだ。俺の意思なんて無くなって、ただ一人蹲うずくまっているだけの生活。今のような自由なんてない。そんなことも想像できるのに、どうして俺はその手を拒むこともできないんだろう。

 今の俺じゃ打開策だかいさくなんて思いつかなくて、視線を江奈の方に向ける。助けなきゃ、と思うのに動かない身体が今はうとましい。江奈の方も、縛られて動かない身体をなんとか起こそうとしていた。不意に江奈と目が合う。その目は、ただ俺を心配しているのがありありと伝わってくるものだった。

 なんで、と思う。自分の心配をしてくれよ。俺の事を見限ってくれたら、諦めだってついたのに。全部どうでも良くなれば、俺は母の手を取るだけだった。

 俺の事を思ってくれる、優しい江奈。危険な目にわせてしまった。ごめん。でも、それなら俺は。

 母と目を合わせずに這うようにして、ただ江奈の方へと向かう。力が抜けているせいでふらついたけど、なんとか江奈のところまで行けた。


「ごめん、怖い思いさせて」

「唯君、大丈夫。大丈夫だから」


 守らなきゃ、と思った。どんな方法でもいいから、この場から抜け出さないと。でも、それは突如とつじょ背後から感じた母の殺気によって、危険なけだと思い知らされる。


「なんで? なんで、その子の方に行くの。唯」


 俺に執着しゅうちゃくする母は、あからさまに標的ひょうてきを江奈にさだめた。江奈に危害を加えられる前に、なんとかしないと。俺は硬く縛られている江奈のひもを外す。


「ねぇ、こっちを向いて。どうして、私のこと見てくれないの」


 母の声が段々泣き声のように聞こえ始めて、それがまた近寄ってくるのを感じる。昔の記憶を彷彿とさせるその声に、また恐怖を感じる。

 江奈を解放し、後は逃げてくれればと思ったけれど、江奈は疲弊ひへいしているのかすぐに逃げられそうな状態ではない。


「唯君、逃げないと」

「俺だけで逃げられるわけないだろ……!」


 そうだ。俺が逃げたらきっと、江奈が犠牲ぎせいになる。なんの関係もない江奈を、そんな目にわせられない。

 助けて、と思い過ぎったのは、怜央さんの顔だった。なんの連絡もしていない状態で、俺と江奈がここにいるなんてきっと怜央さんでも――。

 自分の事を勝手だな、と思う。いつも怜央さんを頼りにして、怜央さんにどうにかしてもらおうと思っている自分が情けない。でも、どうしようもない状態で思い浮かべてしまうのは、圧倒的な力を持って存在感のある怜央さんのことだ。どんな状況だって、どうにかしてくれるって信じてしまう。

 そう、思い続けたからか。俺達に近づいてくる母の前に、火柱ひばしらが立ち上がる。この炎は。母が忌々しそうにつぶやく。


「……来たわね、南条怜央」


 公園の入り口に、怜央さんが立っていた。でも、いつもと表情がどこか違う。冷静さの中に、怒りが感じられる。ゆっくりと近づいてきた怜央さんは、火で母を取り囲むと俺の前に立った。


「唯」

「れお、さ」


 怒られる、と身構みがまえた。江奈をこんな目に合わせて、怜央さんの手まで煩わせて、きっとおやく御免ごめんにされるんだ。そう思っていたのに、怜央さんは俺を見下ろして言う。


「何してる。立て」


 力強い声だった。けれど俺は、一瞬何を言われているのか分からなくて固まってしまう。それを見た怜央さんは、はっきりと言った。


「唯!」


 俺を呼ぶその声が、俺をしっかりとふるい立たせる。しっかりしないとと思わせるのは、怜央さんがいれば大丈夫だと思わせてくれるからだ。俺はグッと足に力を入れて立ち上がる。まだ少し、頼りないかもしれないけれど俺と怜央さんは並びたった。それを見て、怜央さんはそっけなく言う。


「よく、俺の大事なものを守った」


 パッ、と怜央さんの方に視線を向ける。


「でも、俺。江奈を危険に巻き込んで」

「その話は後にしろ。今度は俺がお前の大事なものを守る番だ」


 そう言って怜央さんが前に歩み出る。その瞬間、火が消えた。そして、睨み合う母と怜央さんの間には確執かくしつでもあるかのように、あいだには入れない空気感が漂っていた。


「引け」


 怜央さんは怒りを向けながらも、至極しごく落ち着いた声で告げた。けれど気に食わないように母は言い返す。


「南条怜央、あなたは部外者よね? 口を開かないで」

「俺の能力は分かってるだろう。消し炭さえも残らないで、死にたいか?」

「出来るわけないわ。あなたはあの家の子だもの。能力で人を殺した、なんて報道ほうどうでもされたら、あなたの家はどうなるのかしらね?」


 優位に立っているという自負じふがあるのか、母はにっこりと笑っていて余裕そうだ。そして、さりげなく耳元に触れる。あの黒水晶のピアス。あれがある限り、怜央さんは不利かもしれない。


「それに、私にはこの呪具がある」


 どんな能力も奪う呪具なんて、相当体に負担を強いられると思う。けれどそれを厭わないくらいに、母が俺に執着していると言うことだ。


「唯。あなたのためにここまでしたのよ? だから、お母さんと帰りましょう?」

「聞かなくていい、唯」


 ピクリと肩を跳ねさせた俺に気がついたのか、怜央さんがすぐにキッパリと言い放った。


「こいつは俺の小間使いだ。俺にはこいつを守る義務がある」


 いつもなら横暴に感じる怜央さんの言葉が、今はとても心強い。この人は、絶対に出来ないことは言わない人だから。


「そしてこいつにも、選ぶ権利がある。俺か、母親かをな」


 急に意見を求められて、少し戸惑うも俺は考える。

 きっとこのまま、母にあらがってしまえば、怜央さんの能力が奪われるかもしれない。

 抗わずに母と行く道を選んでしまえば、俺の命の保証はない。

 そう考えた時に、自分の保身ほしんを選んだら、怜央さんに迷惑がかかる。江奈だって、なにをされるかわからない。なら俺は、嫌でもあの人についていくべきなんじゃ――。そんな考えになりかけた、その時。


「だめ、だよ」

「江奈!」


 背後で立ち上がった江奈が、俺の背中にすがる。


「私は、唯君が犠牲になっちゃ、嫌だよ」


 今にも泣き出しそうな声なのは、俺のことを思ってくれるからか。俺のせいでこうなったのに、なんでそんなこと言えるんだよ。

 俺が返事をしないでいると、怜央さんはふてぶてしく笑って、母に言う。


「悪いが、俺の最愛がこう言うんでな」


 怜央さんが左手をかざす。そして、火を収束しゅうそくし始めた。


「唯。俺は今から、お前の権利を奪う。それが嫌なら、抗え」

「え……」

「無駄よ、私には呪具が――」


 呪具が光る。その瞬間に、母の体がぐらつく。負荷が体に現れたのだろう。そこまでして俺を取り戻したい理由が知りたくて、俺は咄嗟とっさに口にしていた。


「こうまでして、何がしたいんだよ!」

「私は……私はただ、唯と幸せになりたいだけ」


 怜央さんの収束した火がピアスを目掛けて放たれる。母に届く前に、その火は呪具に吸い込まれていった。


「本当に厄介やっかい代物しろものだな。よく手に入れられたもんだ」


 怜央さんは火の矢を連発する。その度に、呪具は発動されて母には負荷がかかっているのだろう。段々と衰弱すいじゃくしていく様子が、むし痛々いたいたしい。俺はそれが見ていられなくなって。


「あなたのためなら、なんだってするわ、唯。当然でしょう? だって私は……あなたの、お母さんだもの」

「っ……なら止めてくれよこんなこと!」

「唯!」


 気がついたら、俺は駆け出していた。怜央さんが手を握って収束していた火を掻き消す。攻勢こうせいんだことで、母は少し気を抜いたのか俺に向かって両手を伸ばす。抱きしめようとしているのだろうが、俺の目的は一つだった。

 母の耳元に、手を伸ばしてピアスに触れる。その瞬間、パキンと音を立てて黒水晶が壊れた。バラけて地に落ちるそれを、更に踏みつける。そして、パシンッ、と乾いた音が響いた。そのまま、俺の手が母の頬を叩いたのだ。


「ゆ、い……? どうして。お母さんじゃ、ダメなの?」


 母の目から、雫が零れ落ちる。それを見た瞬間に、あることを思い出した。あの部屋で起きた、ある出来事を。

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