第11話 焦燥



 なんで、こんなことになったんだろう。俺は今、ある場所を目指していた。江奈がそこに向かったと聞いた時の、猛烈もうれつ衝撃しょうげきと嫌な予感を振り払うように息を切らしながら走る。段々と人気のない場所へ向かっていく。

 いつも嫌なことから逃げ出すために隠れる場所を探していた。そういった隠れ場所を、秘密基地、と勝手に名付けた。暗がりにひそむのも得意だったけれど、俺が一番得意としたのは怜央さんの庇護ひごを盾にすること。まさしく、虎のを借りるきつねも同然に、強い人のかげに隠れて様子をうかがうのが上手かった。ようは、怜央さんも俺の秘密基地の一つだった。

 なんで今、こんなことを思い出しているんだろう。目指している場所のせいか、それとも不安を打ち消したいからか。誰もいない通りを駆け抜けて、古びた家屋かおくには見向きもせずに俺は江奈の名前を呼ぶ。


「江奈!」


 怜央さんを信じるまでに使っていた俺の秘密基地。避難ひなん場所にしていたあの公園で、今。俺は色んなものを失おうとしていた。


「どこだよ、江奈!」


 そんなに広い公園ではない。大きな遊具はドーム状になっているものが一つだけ。隠れることの出来そうな場所も、俺は把握はあくしている。俺は嫌なことがあると隠れるのが癖だったから。一つ一つ潰すように、見て回る。辺りもしっかりと確かめる。

 江奈の姿はどこにもない。背筋がこおる。もし江奈になにかあったら。落ち着け。考えろ。江奈はそもそもなんでここに来たんだ? 用事ってなんだ?


「なんで、この公園に」


 軽く息を整えて、はやる気持ちを抑え込もうとした、その時だった。


「唯?」


 女の声に、ひゅっ、と息を吞む。聞いたことのある声。しかも、俺をそう呼ぶ女性はたった一人しか思いつかなかった。振り返らない。振り返りたくない。せまってきている、と思った。俺を追ってきている。執念しゅうねんを感じる。俺の秘密基地。唯一の逃げ場だったのに。なんでここに。その答えは、ゆっくりと近づこうとする足音だけが知っていた。


「ああ、やっと来てくれた! やっと会えた!」


 嬉しそうな声が背後から近寄ってくる。固まってしまったのは、引け目があったから。俺は結局自分が逃げてばかりで、この人から逃げ続けるためなら、なんだってやる。そうしてきたから今、そのツケが回ってきたのだろう。


「ねぇ、こっちを向いて。唯。――お母さんよ」


 ぞわりとあわつ肌が、嫌悪感を示している。俺が背を向けたままでいると、はぁ、とあからさまに溜息をかれた。


「仕方ないわね。……ほら、何とか言いなさい」

「ゆ、い君」


 聞こえてきた江奈の声に、俺は思わず振り返る。そこにいたのは、なわ拘束こうそくされた江奈の姿だった。その隣で、紺色のワンピースを着ている、記憶よりも少し老けた母が立っていた。


「な――」


 なんで、そう言おうと思ったのに声が出ない。戸惑とまどう俺を見て、母は嬉しそうに笑う。


「もう、そんなに大きくなって! お母さん嬉しいわ。さ、もっと顔をよく見せて?」


 今の状況は、いびつにもほどがあると思う。拘束されている江奈と、戸惑って動けない俺と、それらを無視して俺と再会できたことに喜ぶ母。なんだ? なにがどうなっているんだ? いや、考えている場合じゃない。逃げないと。江奈を助けないと。どうしよう、どうすれば。


「この子、唯の彼女なんでしょう? いつも唯のそばにいるもの」

「ちがう、江奈は、怜央さんの」


 いつもってどういうことだ、とかそんな言葉よりも先に否定の言葉が付いて出て、しどろもどろに言葉を続けるが、それがまずかった。母の機嫌はそこねないように。それが植え付けられているのに、俺は間違えた。


「あら、そうなの。なら価値はないわね」

「きゃあっ!」


 そう言うと江奈を払いのけるように突き飛ばした。江奈が倒れこんだのを見て顔から血の気が引く。


「止めろ!」


 思わずあげた声が荒くなって、静止をかけるにも火に油を注ぐだけになったことに気が付いたのは、その後だった。母が俺に近寄ろうとして、ピタリと止まる。そして目を細めて、低くなった声で言う。


「なんでそんな言い方するの?」

「違う、違うよ。今のは、違う」


 間違えた、と更に血の気が引く。どんどん詰め寄ってくる母に、後ずさる俺。距離は相変わらず縮まらない。けれど、それにれたのか母はまた無理矢理に笑みをり付けた。わざとらしい、優しそうな顔を。

 怖い。それだけが今の俺を支配していた。もう小さい子供でも何でもないのに、どうして俺はこんなにも、この人を恐れているのか。俺は知っているからだ。昔からこの人は、なんでもすることを。


「ねぇ、唯? 怖がらせるつもりはないのよ?」


 ニコニコとうわつらだけの笑みで語りかけてくる母が、恐ろしくてたまらない。何も言わないでいる俺を見て何を思ったのか、母はポケットからある物を取り出して、俺に見せる。黒水晶くろすいしょうのピアスだ。


「そうだ。これを見て、唯。これで、エレメントなんて奪えるの」

「っ!?」


 驚く俺を他所よそに、言いながら母がピアスをつける。


「ね、そしたら私もあなたも、きっと幸せになれるわ」


 今度はいつわりなどでなく恍惚こうこつの笑みを浮かべる母の姿に、俺は声を震わせながらも止めようとする。


「それは、呪具じゅぐだろ……!?」


 典型的な呪具と一致する要素しかないピアスが揺らめく。黒水晶は一般的には邪気、マイナスの気から守ってくれるとされる石だが、同時にその気を集めて強力な呪具になる素材だ。ただのアクセサリーではない。母は言った、エレメントを奪う、と。ならば、それが呪具である可能性は高い。


「なに、なにしてんだよ! なんで、そんなもの持って――」


 黒水晶にられた白い五芒星ごぼうせいがぼんやりと光を放つ。呪具を作動させたのが分かるが、それと同時に母の目がまた細くなる。へびのような目に睨まれて、トラウマが瞬時しゅんじぎる。


「なんで、そんな口の利き方をするの? 唯」

「ひ、っ」

「相変わらず、馬鹿な子ね。お母さんはあなたのためにしているのよ?」


 思わず漏れた悲鳴にも近い声と同時に、尻餅しりもちをつく。この人を止める手立てが思いつかないまま、窮地きゅうちに追い込まれていく。

 母は俺の焦燥しょうそうなど知らずに、しゃがみ込んで俺の顔を覗き込んだ。そして両手で頬杖をつくような格好で、まるで日常会話をするように話し始める。


常桜とこおうの男子生徒がエレメントで悩んでいたから、お母さん、手助けしてあげたの。代わりに唯の周りを片付けてくれたらいいと思っていたけれど、やっぱり劣化れっかしていく能力はダメみたいね」

「な、に……」


 何の話をしているんだ、と、気づきたくない事実から目を逸らす。けれど、母は嬉々ききとして俺に真実を告げた。


「あの子……新海、と言ったかしら?」


 何かがきしむ音がする。俺のたもっていたものが壊れはじめる音。呼吸が止まるんじゃないかと思うくらい、浅くなる息がやけに耳につく。


「すごく悩んでいたのよ。呪符じゅふに手を出そうとするくらい。それをね、お母さん見てたの。黙っててあげる。代わりに、唯を奪ったあの男をダメにして、ってお願いしたわ」


 それはきっと、まともな大人のすることじゃない。自分の子の為に、呪符に手を出そうとする子供をそそのかすなんて、そんなの正気の沙汰じゃない。けれど、それ以上の事実に俺は辿り着いてしまった。


「それで、新海先輩は」


 今、俺がいるせいで、江奈は拘束されて危険な状態に見舞われている。けど、それだけじゃないんだ。新海先輩が禁忌きんきに手を出したのだって。そして、色んな人が危機におちいるところだったのも、怜央さんが危うい場面に立ったのも、全部。

 冷や汗が止まらない。手先の感覚を失うくらいに血の気が引いている。追いつめられすぎて、思考がまとまらない。この状況が、まさしく生き地獄と言えた。

 そんな俺とは裏腹に、きとしている母が手を差し伸べてくる。


「ねぇ、ずっと待っていたのよ。この時を。唯、お母さんと一緒に帰りましょう?」

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