第9話 手掛かり

 怜央さんから逃げるように走り出した俺は、江奈を迎えに行くために正面玄関へと向かっていた。途中、中庭にさしかかったあたりで、ふと植木の前で誰かと話し込んでいる新海先輩を見つける。

 近寄ろうとしたところで、そばにいるのが大人だということに気が付いた。その男はちょうど木の陰になる位置に立っている。


「この間の能力測定は残念だった、新海君。君は珍しいごんの能力を持っているから、期待しているよ」

「ありがとうございます。土御門つちみかど理事長」


 新海先輩が理事長と呼んだ男は、顔つきこそ若々しく見えるが所々に白髪が混じっており、ハーフアップでまとめ上げたその姿からでは年齢が予測できない。

 不意に、その男と目が合う。頭を下げてはみたが、特段気にされてもいないようだ。


「君は?」


 低い声で尋ねられる。新海先輩も俺の方を振り返った。


「一年D組の、さわ――」

「ああ、いい。無能力者ならば覚えるまでもない」


 冷ややかな目つきと適当な言葉に遮られ、少しカチン、ときた。けれど偉い人に逆らうのは得策とくさくではないと、俺は怜央さんで学んでいるので大人しく黙る。そのまま立ち去っていく理事長の後ろ姿を睨みつけたままでいると、不意に新海先輩が植木の下をしゃがみ込んで覗いたので、俺は目を丸くさせた。


「先輩、何してるんですか」

「ちょっと手掛かりを探したくて。あのすすがヒントのような気がするんだ」


 ないなぁ、と言いながら新海先輩は立ち上がって服についた土を払う。俺はそれが何を指しているのかすぐに分かった。


「手掛かりって、もしかして衣装の?」

「やっぱり、燃やした犯人が許せなくてさ。志間さんも、皆も、あんなに頑張っているのに」


 頷きながら答える新海先輩は、辺りを探しながらはぁ、と溜息を吐いた。志間先輩のような激情げきじょうではないんだろうけれど、新海先輩もやっぱり演劇部の衣装係として思うところはあるようだ。


「誰がやったんだろう。衣装に火をつけるなんて」


 俺には目もくれず手掛かりを探す新海先輩の後ろ姿を、俺はただ眺めるだけ。こういうことに深く関わると痛い目を見るかもしれないことは分かっている。けれど、どうしても一つだけ聞きたいことがあった。


「演劇部、楽しいですか」

「入部したくなった? 南条先輩がいるもんね」

「そうじゃなくて……演じるって、大変じゃないですか」


 そう言うと、新海先輩は俺の方を振り返った。そのまま少し俺を眺めて、首を傾げながら告げる。


「僕は裏方ばかりやってるからなぁ。でも、上手くやれたら楽しいんだと思うよ」

「そんなもんですか」

「そういうのは部長に聞いた方が、納得する答えが聞けると思うけど」

「確かに。でも志間先輩に聞くのは少し、勇気……いや、覚悟がいるっていうか……」

「そのまま入部させられそうだもんね」


 俺が視線を彷徨さまよわせて答えると、新海先輩は苦笑したが少し面白がっているようにも見えた。


「じゃあ、僕はまだ探すから」

「邪魔してすいません」


 気にしてないよ、と言って新海先輩は辺りを探し出す。俺はそれを背に、正面玄関へと歩いていく。燃えた衣装の事件を追うのは、少し危険な気がしたけれど新海先輩も能力者だ。無能力者の俺に心配などされたくないだろう。

 気にしながらも、正面玄関に江奈を迎えに行けば、ちょうど帰ってきた真田さんと目が合う。うわ、と言いたげな視線が俺に向けられていた。


「わざわざ須藤を迎えに来てるの? あの子の彼氏って南条先輩なんじゃなかった?」


 正直引く、と言わんばかりに嫌悪感けんおかんを向けられている。けどその程度なら平気だ。気にしてくれているだけ、多分真田さんは優しさを持ち合わせている。

 下駄箱で靴を履き替える真田さんは、首から下げたカメラを大事そうにかかえていた。どこかにぶつけたりしないように気を使っているのだろう。


「俺は怜央さんの小間使いだから、お迎え代理」

「なにそれ」


 俺もよく分かってない。本当は彼氏が迎えにくるんだろう。あんなに大事に溺愛できあいしているならなおさら。でも、怜央さんは時折俺に任せることがある。自分の大事にしているもののはずなのに、どうして俺に任せたりするんだろう。確かに、それは今更ながらの疑問だった。


「唯君、何話してるの?」


 考え込んでいると、江奈が外から戻ってきた。真田さんと話しているところを見て、江奈が興味を持って聞いてくる。


世間話せけんばなし。どう、何か撮れた?」

「うん。ただ、天気があまりよくなくて。梅雨つゆ入り前だからかな」


 江奈も靴を履き替えようとした時、真田さんが噛みつくように江奈に向かって言う。


「下手なのによく自信満々で撮れるよね」

「下手でも、いつか好きな人をありのままで撮りたいから」


 即答そくとうした江奈に対して真田さんは、よくそんなこと言えるな、って感じで引いている。先ほど俺に引いていたのと同じ様子で。多分、本気で言われたからこそ分からないのだろうと思う。恋は盲目もうもくとはよく言ったもので、その状況に身を置いたことがないのであろう真田さんには、理解が出来ないのだ。

 俺にも経験がある。見ている世界が違えば途端に理解できなくなるものだと。

 真田さんは少し眉を寄せた後、そっけなく呟く。


「……須藤って、割と馬鹿なの?」

「えっ」


 またそんな言い方して、と止めに入ろうかと足を踏み出した瞬間、続けられた言葉に踏み止まる。


「それなら尚更。上手くならなきゃじゃない?」


 そこには、真田さんのプライドが垣間かいま見えた。カメラに向ける情熱じょうねつというのだろうか。周囲との本気度が違うのには薄々気が付いていた。それが、真田さんを孤立こりつさせていることにも。好きだから、上手くなりたい。そんな気持ちを少し感じ取る。

 その言葉を聞いた江奈は、何を思ったのか、笑った。ジトっとした目で真田さんが江奈を見ている。江奈はいつものように、柔らかい笑みを真田さんに向けて告げた。


ことちゃんは、優しいんだね」

「こ、琴ちゃん!? それ私のこと!?」


 真田さんは江奈がつけたあだ名に明らかに驚いて動揺どうようしている。首をかしげてなぜそんなにあわてているのか分かっていなさそうな江奈に、真田さんはしどろもどろになりながら言い返した。


「あ、あ、あだ名で呼ぶなんて、仲がいいわけでもあるまいし……!」

「え? 私たち、もう友達だよね?」

「とも、だち……私と須藤が……!?」

「だって、今の言葉。私に頑張れって言ってくれたんでしょ?」


 俺はぽかん、とするばかりだった。真田さんの耳が真っ赤になっているのが見えて、あの言葉ってそういう意味だったの? とようやく理解する。にしては、言葉のミスチョイスが過ぎるだろう。いや、多分プライドもあってそんな言葉を選んでしまったんだろうけど、はたから聞く方としては嫌味にしか聞こえなかったんだけど。

 けれど、江奈の言葉にあの真田さんがほだされた。恐らく、高校生になって初めての友達に感動している様子だ。もじもじと体を動かして、江奈の方をチラッと見る。


「こ、ここだけの話だけど」


 あだ名で呼ばれたこともあまりないのか、真田さんの陥落かんらくっぷりは目を疑うほどだった。いや、もしかすると江奈が天然の人たらしなのかもしれない、とその光景を眺めている。


「私の写真、見せてあげても、いい、よ」

「本当? どうやって撮ってるのか見たかったんだ」


 江奈が真田さんのカメラを覗き込む。ピ、ピとボタンを押しながら写真を見せていく真田さんは満足そうだ。


「唯君、見て! 琴ちゃんの写真、凄く綺麗」


 俺も見ていいのかな、と少しずつ近寄る。真田さんは大人しくボタンを押し続けている。多分、江奈という友人が出来たことで舞い上がっており、俺のことはそんなに邪魔に思わなくなったのだろう。

 しばらく大量の写真を見ていると、なぜか江奈が急に真田さんの腕を掴んだ。その拍子にボタンを押す指先が止まり、一枚の写真が表示されたままになる。俺も、その写真には釘付けになった。


「これ……いつの写真?」

「データ埋め込み型だから分かるよ。ほら、表示させた」


 風景写真として撮られたのであろうそれの右端に、誰もいなくなった被服室が入り込んでいた。外から窓越しではあるが中の様子もかろうじて見える。それに違和感を覚えたのは、俺と江奈の二人だけ。真田さんがカメラを操作すると、撮影日時と時間が表示された。それを見て、江奈が言う。


「金曜日だよ。プールの前日」


 そして、時刻は午後六時前。部活動に所属している人たちが帰り始める時間だ。

 思いがけない手掛かりに、俺はこんなことが起こるのか、と呆気にとられていた。

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