第8話 天体観測

 怜央さんの命令を聞いた俺は、車で三十分程度離れたところにある田園でんえんを選んだ。夜に撮影が出来る場所で、かつ安全でなくてはならない。人気ひとけがないことだけが気がかりだったが、せめて広い空間であれば最悪の事態が起こっても怜央さんの能力で対処たいしょできる。

 そして、念のために車は南条家から出してもらい、少し離れたところに警備けいびの人達が見張りを立てることにした。


「大げさだな」

「誰のせいですか。アンタに何かあったらスキャンダルどころじゃないのに」


 そう言うと、怜央さんはさして気にしていない様子で車窓しゃそうから外をながめる。街灯まちあかりが遠ざかって、暗がりが深くなっていく。江奈は大事そうにカメラを持って、怜央さんを見て言った。


「もう暗いですね。星は綺麗きれいに見えるかもしれないですけど」

「流れ星が見たいんだろ? 何か願い事でもあるのか」

「怜央さんと見れたらいいなって。願い事は……ないことはないですよ?」


 江奈がクスッと笑っては、怜央さんもつられるように微笑ほほえむ。相変わらず、彼女には優しい顔をするようになっちゃって。柔らかくなった、と言われたら機嫌きげんそこねそうだけど。


「お前の願いは全部俺が叶えてやる。星なんかに願うまでもねぇ」

「怜央さんは私に甘いです」

「恋人だからな?」


 助手席に座っている俺は、いちゃつきだした二人を背後に感じながら、カーナビを見る。町外れまできたところで、バックミラー越しに怜央さんと目が合った。


「……なんですか、怜央さん」

「昔の話だが、お前よくこの辺りに来てたよな」


 そういえば昔、この辺りに公園があった、と思い俺も暗がりで目をらす。

 見えたのは、一瞬で通り過ぎてしまうほどに小さく、さびれた公園だった。あそこ、あんなに小さかったっけ。と記憶よりも小さく思えた公園を通り過ぎる。よくドームじょうの遊具のところに来てたのにな、と思い出しながら視線を正面に戻す。


「探すのに一苦労ひとくろうしたでしょ」

「別に」


 そういえば怜央さんは、俺が逃げ出しても何故なぜか見つけてくれてたな。南条家の人員を割いて捜査網そうさもうでもいたのだろうか。けれど怜央さんは、さしてたいしたことではないという態度だ。俺を迎えに来るのはいつも怜央さんだった。昔は差し出してくる手を何度握ったことか。まぁ、それだけ怜央さんを頼りにしてたわけだけど。

 そんなことを思っていると、ようやく田園についた。先に車から降り、懐中電灯かいちゅうでんとうをつけて足元を確認する。


「よし。江奈、怜央さん。いいですよ」


 三日月よりも細くて明るすぎない月の下を、怜央さんが江奈と手を繋いで降りてきた。その後に車のライトが消える。警備の人達も、付近に配置されるだけで特に俺たちには関わってこない。


「……街から少し離れただけで田舎いなかだな」

「あ、怜央さん! 星が見えますよ」


 辺りを見渡す怜央さんと、空を見上げる江奈は少しはしゃいでいるようだ。でも俺は気が抜けない。もしなにかあったら、ということを考えて慎重しんちょうになっている。


「唯。ライト消せ」


 本当は身の安全を考えるとけていた方がいいのだが、怜央さんの言葉は絶対だ。言うことにしたがって、ライトを消す。すると、目が少しずつ暗さに慣れていくにつれて星空が広がるように見え始めた。


「さすがに天の川はまだですね」


 江奈が残念そうに呟いて、三脚さんきゃくにカメラをセットすると、撮影が始まった。怜央さんと一緒に写真を撮れるのが嬉しいのか、江奈は始終楽しそうにしている。そういうのを見ると、ああ、連れてきてよかったなと思えた。怜央さんがカメラの設定を教えていると、いい写真が撮れたようで江奈は手を叩いて喜んでいる。


「凄い! 本当に星が撮れてる!」

「おい、唯。ちょっとこっちこい」

「はい?」


 俺がカメラをのぞき込むと、確かに満天の星空が撮れている。肉眼にくがんでは見えない星も映っているようで、なにをどうしたらこうなるんだと首を傾げていると、カメラに繋がっているリモートシャッターを怜央さんが手渡してきた。


「俺と江奈が向こうに立つから、お前はそれを押せ」

「……あー。なるほど。分かりました」


 カップルフォトを撮りたいのだろう。折角出かけたから、だろうか。江奈がそわそわしているのを怜央さんが小さく笑う。


「そんなに恥ずかしがる必要ねぇだろ?」

「う……怜央さんにはお見通しなんですね」

「お前が望んでることくらいはな」


 二人がいちゃつきながらカメラの先に立つ。怜央さんが江奈の肩を抱いて引き寄せる後ろ姿も撮影した。

 結局その後も安全なままで、特に何も起こりはしなかった。まぁ、なにかあってはいけないんだから、それでいい。帰りの車に乗りこんで、少し揺られるとウトウトしてきた。


「唯君?」


 心地いい声がして落ち着く。返事はしない。このまま眠りについたらきっと気持ちいいだろうなと思ったからだ。

 こうやって、ずっと。何も起こらなければいい。平穏と安心が続く日をずっと願っている。




 天体観測から一週間が過ぎた。六月も目前もくぜん。文化祭の準備で、各教室が盛り上がり始めている。

 演劇部の方は、なんとか今の舞台を続けようと画策かくさくしているようだが、衣装いしょうの手配が間に合うか微妙なところだそうだ。

 今日は江奈が写真部の撮影で校外こうがいに行くというので、俺は怜央さんのところでひまつぶしていた。


「怜央さんが買ってあげればいいのに。演劇部のスーツ」

「高級品を買っちまうと部員が私物化しぶつかするからダメなんだと。今回も新海の家のものを借りてるって名目だったらしい」

「あー、部費とかの使い方って厳しいんでしたっけ」


 面倒だなぁ、と呟けば、怜央さんは更にため息をいて言った。


「しかも、あの志間のことだから衣装であっても手を抜きたくないらしい」

「そこ、どうにかならないんですか。妥協だきょうするとか」

「無理だろうな。あいつは好きなものに対しての理想が高すぎる。男の趣味も、演劇の完成度もな」


 別に志間さんの好きな男性像なんて知らなくてもいいからスルーしたけれど、確かに理想が高そうな感じはする。


「どうしたらいいんだろ」

「後は同じ手で、新海が衣装を確保できるかどうかだな」

「でもオーダースーツなんてそうそう手に入るもんじゃないでしょ。しかも、ちょっと修正してるとはいえ怜央さんに偶然合うやつとか」


 何度も考えるが、なかなかいい方法は思い当たらない。はぁ、と俺もため息をいた。怜央さんは机の上に置いている台本に、また目を通している。


「江奈も楽しみにしてるし、成功させなきゃって思ってるんでしょ、怜央さん」


 じゃなきゃそこまで一生懸命になんてならないだろうし、という部分だけは心の中にとどめて問いかければ、怜央さんは目を細めて台本を閉じた。やる気をいでしまっただろうかと勝手にあせる。


「唯」


 しかられるだろうか、と少し身を縮こませる。けれど、怜央さんの問いかけは予想だにしないものだった。


「お前、江奈のことどう思ってる」


 シン、と静まり返る教室の中。外から聞こえる張り切ったかけ声だけが、かすかに聞こえる。思わず乾いた笑みを浮かべてしまった。


「なんですか、急に。あんないい子が、怜央さんを選んでくれてよかったじゃないですか」

「俺より先にお前は江奈に出会ってるだろ。……当時から江奈はあんな感じか」

「たった三年程度ですよ。でもまぁ、江奈は変わらないかな確かに」


 昔から、怜央さんのことが好きなところも、人に優しくしてやりたいという気持ちが駄々洩だだもれなところも、全部江奈らしいといえばその通りだ。


「家も普通で、能力はないけれど、努力家で。恥ずかしがり屋だけど、勇気があって正直で素直。それは怜央さんだって知ってるでしょ」


 むしろ、俺より怜央さんの方が知っていなきゃおかしい。そう意味を込めて断定だんていすれば、怜央さんは少し前の出来事を持ち出してきた。


「江奈が俺に告白してきた時、お前、のぞいてただろ」

「ばれてるなぁ、やっぱり。その気はなかったけど」


 あれは、能力測定の後。江奈の様子がいつもとは違ったから、肩を叩いて呼びかけた。その時、江奈の手から一枚の紙がすべり落ちて、それを拾ってしまった。

 江奈が慌てふためいて取り返そうとするそれは、怜央さんの姿が入り込んだ写真だった。俺はそれを見た瞬間に、決めたことがある。


「……江奈、もしかしてだけどさ」

「はい?」

「怜央さんにれてる?」

「!?」


 念のために確認しようと尋ねたら、大げさなほどに戸惑とまどう江奈がいた。ぱくぱくと口を開け閉めして、どうしてそれを知っているのかと言いたげな様子に思わず吹き出して笑ってしまう。


「思い出として残すより、伝えた方がいい想いもあると思うよ」


 後押ししてやったことを、後悔なんてしていない。俺は、ずっと怜央さんを追いかけてきた江奈を見ていたから、幸せになってほしかった。怜央さんがどう答えるのかどうかは、その時の俺にはあずかり知らぬところではあったけれど。

 その数日後、怜央さんを迎えに三年生の教室へ向かえば、室内からはっきりと声が聞こえた。


「私、南条先輩のこと……好きなんです!」


 江奈の声だとすぐに分かったから、扉に伸ばしかけていた手を引っ込めた。

 どうか泣いて出てくるようなことにはならないで、と真剣に祈って、うつむいてその場に立っていることしか出来なかった俺は、怜央さんが何と言ったのか知らない。

 けれど、そんな心配はいらなかった。次の日から、怜央さんは一年D組に来るようになったからだ。それを見て喜ぶ江奈の顔を見れば、なんと返事をもらったのかは一目瞭然いちもくりょうぜんだった。

 思い返していると、こちらを見ている怜央さんが怪訝けげんな顔をしていた。俺としては誤魔化ごまかしてやり過ごしたい。だって、あまりにも踏み込まれすぎると怜央さんを傷つけそうだ。


「後押ししたのは、お前か?」

「んー、どうでしょうね?」

「唯」

「もう、今日はしつこいなぁ怜央さん」


 はぐらかしたい、と曖昧あいまいな返事をしたのに、それでも怜央さんは尋問じんもんするかのように思いをけと突っ込んで聞いてくる。

 そんなに言うなら、言ってしまおうか。俺は知ってるんですよ、って。怜央さんの弱点ともいえるそれを、どこまでもどこまでも深く切り込んでしまって、傷をつけることが出来るんだって。

 俺は立ち上がって、逃げる準備をする。怜央さんが本気になったら逃げられないのは分かっている。けれど、俺だって簡単につかまるわけにはいかない。これから言うことを考えれば、対策はしておかないと。


「怜央さんは絶対に、江奈に愛してるって言えないでしょ」

「――」


 怜央さんの息がまった。一瞬、呼吸を止めたのかと思うくらいはっきりと見て取れた。俺にそんなことを言われるなんて思ってなかったのだろう。そして、確信かくしんした俺は苦笑交じりに頭をいた。


「図星? 俺だったら、好きで付き合ってる子には言いたいけど。アンタはそうじゃないですもんね」


 大手グループの御曹司おんぞうしで、将来も安泰あんたいが約束されている。けれど、それは怜央さん個人に限った話だ。怜央さんの相手が、必ずしも江奈であるという保証ほしょうはない。これから何が起こるか分からない。どんなに好きでも、どんなに怜央さんが望んでも、必ず江奈と幸せになれるわけではない。

 それを、怜央さんは分かっていて、気づいていないつもりでいたのだろう。そう。俺たちは、皆、見ていないフリをしていたのだ。

 でも、どうしたって違和感いわかんしょうじる。南条家の御曹司だから言えないことが存在して、だからこそ怜央さんは約束できないことを口にしない。

 だから怜央さんは、本当に大事な江奈に「愛してる」と言えないのだ。


優位ゆういをとったつもりか?」


 もっと別の言葉が飛んでくると思っていた俺は、その言葉にぽかん、と目を丸くさせる。もしかして、勘違いしている? 俺が江奈のことを怜央さんと同じ意味で好きだと思っているのだろうか。


「俺はね、怜央さん。いい子じゃないんで。例えば、叶わない恋を応援おうえんするほど馬鹿でもないし、むくわれない恋ならさっさと散ればいいって思うんですよ」


 だから俺は、江奈を後押しした。きっと江奈の想いは届けた方がいいよ、という思いを込めて。その時は、別に怜央さんの為を思ったわけではない。江奈の誰かを想う気持ちがあまりにも純粋じゅんすいに見えたから、その想いを大事にしてほしくてかけた言葉だった。


「だから、俺が江奈のこと恋愛の意味で好きだったんなら、怜央さんだけは絶対に選ぶなって言ってます」

「そうかよ」

「そうですよ。だからね、怜央さん」


 この先の言葉を言うかどうか、少しだけ迷った。


「幸せになって、幸せにしてあげなきゃダメですよ」


 きっと俺にはできないことも、怜央さんなら出来るでしょ。と、皮肉ひにく交じりに告げてやれば、怜央さんはこちらをにらみつける。これは完全に機嫌をそこねたなぁ、なんて思ったけれど、全部本音で事実だ。


「江奈が戻ってくるから、迎え行ってきますね。ここで待っててくださいよ」


 時計を見て、その場を後にする。教室を出る間際、怜央さんが俺を呼んだ気がしたけれど、俺は勢いよく走って逃げた。

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