第6話 騒動

 なにげプールで疲れていたのか、日曜日は怜央さんの世話をするのも億劫おっくうだった。結局疲れも取れないまま、月曜日。あんじょう、授業にあまり身が入らなかった。これがいわゆる五月病ごがつびょう? なんてらしくないことを考える。


 そんな調子でいるにもかかわらず、早々そうそうに時間は十五時半も過ぎる。帰りのホームルームでは文化祭の話が上がっていた。どんな出し物にするかをクラス内でまとめて、今週中に担任へ提出するように。そう言われて、今日の授業は終わった。


 これでやっとゆっくりできる、と伸びをする。そんな俺の背を、江奈がつんつんと突いてくる。


「唯君、今日も演劇部をのぞきに行こうかと思うんだけど」

「あー、いいよ。写真部には顔出さないの?」

「後で行くってメッセージ送ってるから、大丈夫」


 すっかり、演劇部を気に入った江奈が言う。まぁ、怜央さんがいるから、という理由が一番なのだろうけれど、それを聞くような野暮やぼなことはしない。


 かばんを手に階段を下りて被覆室ひふくしつへと向かう。扉を開けると、中では修羅場しゅらばになっていた。


「なんてことしてくれたのよ、南条!」


 ひびいているのは、志間先輩の怒号。周りの部員は気まずそうに顔をらしたり、うつむいたりしている。そんな中、普段と変わらない様子でいるのはたった一人。怜央さんだった。


「だから、俺は知らねぇって言ってるだろ」

「なに、どうしたんですか?」


 俺が聞くと近くにいた新海先輩が、衣装をかざっていたマネキンを指さした。


「僕たちが来たとき、衣装がなかったんだ」


 なくなった衣装が怜央さんとどう関係しているのだろうと思えば、怒りに任せたまま志間先輩が怜央さんを責め立てる。


「燃やしたでしょ! アンタの能力で!」

「んなことに貴重な能力使うかよ」

「じゃあげたあとが残ってるのはどういうわけ!? 舞台に出たくないからってこんな、こんなやり方許せないわ!」


 確かにマネキンが置かれている付近の床には、すすのようなものが散らばっている。この部員の中で、火のエレメントが使える者は怜央さん以外にいないのだろう。そりゃまぁ、うたがわれるよなぁ。と思いつつ、止めに入ろうとした時、先に声を発したのは江奈だった。


「怜央さんはそんなことしません!」

「江奈ちゃんっ……」

「だって私に言ってくれたんです! 私の為に、最高の舞台にしてやるって!」


 その場にいた半数が、ぽかん、とした表情で目を丸くさせる。なんで今、惚気のろけを聞かされた? と思ったのだろう。けれど、江奈は真剣だった。


「怜央さんがそんなやり方で、約束を破るはずないです」


 きっぱりと言い切った江奈に、志間先輩はバツの悪そうな顔をした。少し冷静になれたのだろうか。怜央さんに対する江奈の信頼は少しを越えていると思うけれど、今はそれがこうそうしたらしい。


 そこで俺が怜央さんの潔白けっぱくをフォローするために、一言だけ告げる。


「怜央さんだったら、焦げ跡どころかちりすらも残さないと思うけど」


 この人の使う火はそんな生半可なまはんかなものではないですよ、と、能力測定で見ていた生徒なら分かっていることを言う。確かに、と周りが同調し始め、落ち着いたのを見計らって怜央さんがようやく口を開いた。


「てか多分、火災報知器かさいほうちきが先に鳴る」


 校舎内で火を使えば、確かに設置せっちされている感知器かんちきに反応する。その上、室内には能力の感知器もあるから、能力を使うとバレる可能性は高い。


「じゃあ、誰が……裏方のメンバーが頑張って作ってくれたのに」


 志間先輩はもの凄く悔しそうな顔をしていて、マネキンの方に視線を向けられないのか、ずっと俯いていた。それを見ていた怜央さんが、はぁと溜息を吐く。


「しっかりしろ。お前が部長なんだ。どうしたいか、どうするかはお前が決めろ」

「南条……」

「志間先輩、私たち協力できることはお手伝いしますから!」


 江奈の励ましもあり、俯いていた顔が少しずつ上がっていく。少し思い悩んでいた様子の志間先輩は、すぐに首を横に振った。


「しっかりしないと、よね。……ごめんなさい、南条。勝手な思い込みで疑って」

「別に。慣れてる」


 立ち直った志間先輩が怜央さんに謝る。けれど、怜央さんはいつものととのった顔立ちを微塵みじんも崩さずに手短に呟いた。


「でも、私も許せません。怜央さんに似合っていたあのスーツを燃やすなんて」


 江奈の心が、犯人を見つけ出すと言わんばかりに燃えだしている。俺はいつの間にか隣に立っていた新海さんに声をかけた。


「新海さんは大丈夫なんですか? あれ、一応自分のところのでしょ」

「ああ、うん。僕の分まで部長が怒ってくれたから、むしろすっきりしてるよ」


 そんなもんか、と思っていると、怜央さんが俺を手招きした。俺はこっそりとそちらに近づく。


「お前らは先に戻ってろ」


 江奈を巻き込むつもりはない、と口にはしないものの、そういう意思を感じる。怜央さんのことだ、後からきっと考えを教えてくれるだろう。

 俺は江奈を連れて、被覆室を出た。そしてすぐに、江奈が俺に問いかけてくる。


「唯君、怜央さんと何話してたの?」

「よく見てるなぁ。怜央さんからの命令だよ。先に戻ってろって」


 とは言っても、まだ完全下校時間には程遠い。先に戻れと言われても、教室で時間を潰すのはなぁ、と考えていたら江奈も同じ考えになったらしい。提案なんだけど、と切り出してきたので江奈の方を見る。


「写真部に行かない? 本当はもう少し後のつもりだったけど、こうなっちゃったし」

「ああ、いいよ。俺、教室で待ってようか?」

「ううん。一緒に行こう。唯君にも聞きたいことがあるの」

「聞きたいこと?」


 少し身構みがまえながら首を傾げれば、江奈はクスクスと笑った。


「そんなに固くならなくていいよ。怜央さんのことだから」


 なんだ、と強張っていた力を抜く。過去のことを聞かれたらどうしよう、と少しだけ焦っていたのも落ち着いた。


「唯君から見た、怜央さんのことが知りたいな」


 俺の意見を求められることなんて、そうそうないから驚いた。廊下ろうかを歩きながら、怜央さんといる時のことを思い返す。


「怜央さんと出会った時は気が付かなかったんだけど、あの人って割と横暴で自分勝手」

「そう? 優しいと思うけどな」

「それは江奈にだからだよ。俺には全然。きびしすぎて泣くことも出来ないくらい」


 南条家のお屋敷では特に、みんな怜央さんに従順じゅうじゅんだから、怜央さんの勝手を止める人間なんていない。そのせいもあって、ストッパーにならなくちゃいけない俺は結構疲れるけれど、その見返りはもちろんあるわけで。


「でも、出会ってから怜央さんは俺のために色々してくれたよ。勉強教えてくれたりとかだけど」


 優しいところもある人だと分かっている。それは、もしかしたら普通に接しているだけでは分からない部分かもしれない。


 南条家の御曹司おんぞうしとして生まれたからには、決まった人生を歩まなければいけないという怜央さんなりの苦悩くのう。お屋敷では誰も口にしないけれど、みんなが知っていることだ。そんな人生は堅苦かたくるしいだろうな、って。


 でもきっと、俺と出会った後のどこかで、怜央さんはその覚悟を決めたんだろう。南条家の跡を継ぐ者として、怜央さんはその身の振り方を決めた。あめむち、というと少し軽く聞こえるかもしれないけれど、その比重ひじゅうは昔に比べて明らかに変わった。


 ただ、唯一変わらないのが。


「怜央さんは力を持ってる人だからさ。ちょっと軽率なところもあったりする。多分、これから先もそれは変わらないと思う。その軽率さは怜央さんの善意ぜんいに結びついてるから」


 自分の手が届くなら、その手を差し伸べてしまうのが怜央さんだ。それが救いになるかと言われると、そうじゃない。怜央さんの甘さがそこに出てしまう。


 怜央さんの甘さ。それは、その手を引けなくなってしまって負担ふたんを抱え込んでしまいがちなところだ。


 俺なんて特に、怜央さんのそんな善意がなければ救われなかった人間の一人だ。だからこそ、分かる。差し出された手に縋りついた俺が言うのだから、間違いない。


「江奈、これは一つお願いなんだけどさ」

「……なに?」


 江奈は優しく表情で微笑みながら、俺の言葉を待っている。


「この先も怜央さんの傍にいて」


 重たいことをたのんでいる自覚はある。けれど、今の怜央さんを支えているのは江奈だ。だから、俺は怜央さんの小間使いとして言わなくちゃならない。


 抱え込んだ負担、全てを自分で解決しようとするあの人が、傍にいてほしいと選んだ大切な人。その支えが無くなったら、怜央さんの善意はキャパシティをえそうで。


 それだけは、ストッパーの俺でも止められなくなる。


「変な唯君」


 俺がいつの間にかけわしい顔をしていたからか、江奈は大丈夫、と呟いた。そして俺の頬を両手で包むと、力強く約束をしてくれた。


「言われなくても、私もう決めてるよ。ずっと怜央さんを支えていくって」


 それを聞いて安心したのと同時に、少しだけ寂しさを覚えるのも事実だ。俺じゃダメなんだよ、って自分で言っているようなものだ。実際そうなんだけど。でも、俺にも何かできるんじゃないかって思えば思うほどに、壁が高いのを痛感つうかんする。


 救われた俺が、救ってくれた人に恩返しをするなんて難しい話だって。だって、俺には何もないから。


 苦笑して頷くとペチッと頬を叩かれた。少し驚いていると、江奈がむぅと頬を膨らませて文句ありげな表情をしている。


「唯君は何を心配してるの?」

「え?」

「大丈夫。怜央さんも、私も。そんなに弱くないよ」


 そんなに不安がらないで、と優しい声が聞けた。少しだまってしまった俺は、うん、と小さな声しか出なくて。


「そうだよな」


 江奈の手を取って、頬から離れるようにほどく。写真部までそう距離があるわけでもなかったから、もうあっという間に部室についてしまった。

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