第4話 プール

 土曜日の朝十時に学校前で待ち合わせをしている。休みなのに学校に向かうのって変な気分だな、と思いながら俺は車の助手席で少しだけ揺られていた。

 膝の上には大きめのバッグ。二人分の着替えとプールグッズが入っている。南条家の私用車を執事長が出してくれるというので、八人乗りの車を三台も出して皆を迎えに行っていた。送迎付きってやっぱり便利だな。


「でっかい車ねぇ」


 乗り込んできた志間先輩と新海先輩、それから二人の部員と江奈が後部座席ではしゃいでいる。もちろん怜央さんの隣には江奈が座っていた。


「怜央さん、水着とか持ってたんですね」

「唯が買ってきた」

「あまり使いっ走りにしちゃだめですよ?」


 そんな会話を聞きながら、ぎゅっと手を握り締める。どうしよう、と昨日から少しだけ不安がうずいていた。怜央さんが行くなら、行かなきゃいけないのは分かっていたけれど、やっぱり覚悟はできていない。

 プールにつくなり、みんなぞろぞろと出ていく。二十人近くいれば、そりゃまぁ団体割の方がお得だ。志間先輩がさっさと手続きをして、ここで女子と男子に別れた。

 男性用の更衣室こういしつに入るなり、みんな遠慮えんりょなしに服を脱ぐ。それを見てピタリ、と体が止まる。どうしよう。


「唯。お前車に忘れてきたんじゃねぇか」

「え?」


 水着、と言われて咄嗟とっさ機転きてんを回した。本当は、ビニールバッグの中に入っているけれど、怜央さんの勘違いでなんとかなりそう。ビニールバッグを怜央さんに押し付ける。


「あ、マジだ! ちょっと取ってきます。先行ってて!」


 そう言って、一度更衣室を出る。よかった、と安堵あんどした。長袖ながそでの服の上から、自分のせこけたうでに触れる。

 みっともないこんな体をさらしたところで、皆をドン引きさせるだけだろう。だから、きっちりとパーカーをんでいかないと。大きめのかいパンをいたところで、足だけは隠しようもないけれど。

 俺がこんなにもほそっているのは、精密検査を受けた結果だと発育はついく不良ふりょうというやつらしい。これでも随分ずいぶんマシになったほうだ。ちゃんと三食食べれるようになったし、昼なんかはパンを二つも食べれるようになった。昔は、そうじゃなかったんだよな。と思い出していたら、お腹がキリキリと痛くなってきた。

 少しして、更衣室に戻る。もう皆行ってしまったらしい。後は若干客がいるくらいだから、さっさと着替えてしまおう。

 こそこそと服を脱ぎ、首から下げているネックレスをどうするか迷った。これは昔、怜央さんからもらったもので、つけておけと言われたからそうしている。小さな銀の細いボトルが付いた、俺の大事なお守りみたいなものだ。

 どうせ水中には入らないから、とネックレスをつけたまま早着替えを済ませて、みんなの後を追った。

 室内の温水プールは老若男女ろうにゃくなんにょの様々な人がいて、それなりににぎわっていた。プールサイドで待ち合わせているが、やはり女子は時間がかかるのだろう。少しの間、待ちぼうけを食らっていると、わっ、と志間先輩が後ろから驚かしに来た。


「じゃーん! どう、どう?」


 黒に近いこん色のビキニが似合っていて、高校生よりも大人びて見える志間先輩。その後ろに恥ずかしそうに隠れている江奈も、なんだか雰囲気ふんいきが違う。あ、メイクしてるんだ、と気が付いたのは多分俺だけではない。


「メイク落ちないんですか」

「ウォータープルーフでばっちりよ! 江奈ちゃんもね!」


 ふっ、と一仕事ひとしごとやり遂げたような満足感を出しつつ、志間先輩が横にずれる。唐突に全身を見せることになった江奈が慌てふためいていた。

 トーンを落とした薄い緑色のフリルが、メイクに合わさって可愛らしさを最大限に引き出している。

 はぁ、と感心した息をいていると、江奈は顔を赤らめてから怜央さんの方に視線を向けた。


「あ、あの、怜央さん」

「ん?」

「そんなに見られると、恥ずかしいです……!」


 好きな女子の水着、見ちゃうよね。分かる分かる。と勝手にうなずいた。怜央さんにもそんな男子高校生らしい一面があって、それを素直に出したのなら悪くないなと思っていたのに、怜央さんは少し考え込んだ様子を見せた。


「怜央さん? えっと、どう、でしょう」


 問いかけてくる江奈に対して、怜央さんはようやく反応を返した。江奈の耳元に顔を寄せている。


「可愛い。他の奴に見せたくねぇな」


 やけに甘ったるい声でささやいてから、俺の方に横目で視線を向ける怜央さん。見てます、ごめんなさい。仕方なく視線を外す。と、志間先輩がそんな俺を見ているのに気が付いた。


「澤田、アンタそれ暑くないの?」

「俺、水に弱いんですよ……カナヅチだし、すぐ冷えちゃうんで」


 あらかじめ用意していた言い訳を口にする。すると志間先輩は怪しむようにこちらを見てきた。


「じゃあなんで来たのよ」

「これでもお目付け役なんですー。さぁさぁ、早く入ってきてください。俺は見てるんで」


 どうぞどうぞ、と演劇部は無事プールへ誘導ゆうどうしたというのに、バカップル二人は一向いっこうに入ろうとせず、いちゃついている。

 怜央さんは江奈の腰をぐっと掴んで自分の方へと引き寄せた。明らかに周囲を意識している。


「あんまり見せつけんな。いいな?」


 声が、声が甘い……! いつもの怜央さんからは想像も出来ないほど、優しい声だ。それも江奈だけの特権とっけんなのだろうが、当の本人は怜央さんに抱きしめられているせいか顔を真っ赤にさせている。


「は、はい……」

「……あー、ごほん」


 俺はわざとらしくせきばらいし、二人の意識をこちらへ向けさせる。怜央さんは軽く睨みつけてきたが江奈が恥じらって、もじもじとしている姿をずっと見ているのもなんだか可哀想な気がして、俺は追いやるように二人を手で払った。


「そんなに水着姿を見せたくないなら、プールに入ってきたらどうですか。ほら行った行った」

「それもそうだな。行くぞ、江奈」

「え。あ、あの、唯君は?」


 案の定、江奈は俺のことを気にかけてくれたが、俺は苦笑する。江奈も怜央さんだけを見てればいいのに、こんな俺まで気にかけてくれるんだから本当にいい奴だ。


「俺はパス。二人の邪魔して怒られるのなんてごめんだね」


 俺は肌を露出ろしゅつするような状況じょうきょうになりたくないから断ったのだが、江奈が何故か申し訳なさそうにするから困り顔になる。江奈のせいじゃないよ、これは俺の我儘だから。とよそおってもどうやら何かバレているらしい。

 でも結局、二人で行ってしまった。俺はプールサイドにこしかけるだけ。

 笑い合っている二人を見て、どことなく寂しさを覚えてしまうのは何故だろう。こばんだのは俺の方なのに、この疎外感そがいかんはなんだ?

 もやっとする気持ちをおさえ込んで、俺は自分の細い足をでた。みっともない、と思う。この体も、心すらも。

 待っている間、不意に思い出した。ある暑い室内のこと。力尽きて、寝転がることしかできなかった、あの頃。怜央さんに出会うまでの俺を、思い返していた。

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