第1話 見飽きた光景

 もうこの光景は見飽きた、とめ息をついた。


 能力測定も終わった、五月の中旬、高校生になって早々に面倒なことが起きてしまった。能力測定の後、怜央さんと江奈が付き合い始めたのだ。なんでそうなったのか、二人は教えてくれない。


 教室のど真ん中、隣り合って座っている一組のカップルがいちゃつく様は周りが口出ししにくいことを分かっていて、この人達はそうしている。


 それを止めなければならない俺の気苦労も分かってほしい、と思いながらジュースをすすった。


「怜央さん、今日はミニハンバーグなんです」

「ん。……美味い。さすがだな、江奈」


 持ってきている弁当を食べさせている江奈が嬉しそうに笑う。彼女お手製の弁当を満足そうに食べる怜央さんもまた、江奈のそんな嬉しそうな表情につられて普段は動かない表情筋を少しだけ持ち上げた。


「二人してなにしてんですか?」


 多分、俺の目は半分くらい死んでいる。その状態で問いかければ、怜央さんは邪魔されたくないのか俺を軽く睨んで言った。


「見て分かるだろ、唯。いつものことじゃねぇか」

「うん。でも、周りの目ってやつを気にしてほしいんですよね、俺は」


 仮にもアンタは、南条グループの御曹司おんぞうしなんだから。と言えば怜央さんはフン、とどうでもよさそうな顔をした。


 怜央さんに言っても効果がないことは分かっている。だからと言って俺は江奈だけに言うのは、ちょっと無理だった。なぜなら、彼女は無意識で怜央さんを甘やかしており、指摘すれば彼女が顔を赤らめることは分かっている。そして、そんな表情をさせれば怜央さんの嫉妬しっとじみたお怒りが俺に飛んでくるのだ。


「あ、あの、唯くん。ごめんなさい。私、少し浮かれすぎちゃって……」

「あー、江奈はいいの」


 甘やかしてしまっては、と思う反面、悪いのはきっと江奈ではなく怜央さんの方だと分かっている。だって普段そんな素振そぶり見せない癖に恋人の前では甘ったるいんだもん、この人。


「そうだ。江奈はいい。悪いのは唯だ。邪魔しやがって」


 俺だって巻き込まれたくないよ、こんなことには。と思いながらも口にはしない。俺は所詮、南条グループの小間使こまづかいだから。


 でも、めなければならない理由がある。ここは常桜とこおう高等学校の一般教室の一角であり、周りは能力も持たないただの一般人。つまり、異質なのは二人なのだ。そして、その異質さを出来るだけ見られてはならない人というものが存在する。例えば――南条グループを目のかたきにしている人間、とか。


 狙われるのが怜央さんだけならば、この人はどうにか対処出来る。けど江奈は女の子で、なんの力もない。この子があの南条家御曹司の弱点だとバレてしまえば、狙われるのなんて一目瞭然いちもくりょうぜん


 だというのに怜央さんは、毎日毎日ひまさえあれば江奈のところにやってくる。


 ああ、そんなに江奈のことが好きなんだな。と思う一方で、恋や愛を知らない男子のような一面がこの人にもあるのか、と少しげんなりする。厄介なことになってしまった、という小間使いの憂鬱ゆううつを、誰かに晴らしてほしいくらいだ。


「昼飯が菓子パン二個だけの俺をもうちょっとなぐさめてくれたりは?」

「しねぇな」

「ですよね」


 彼女の存在をアピールしているというか、さりげなくマウントを取られているような気もする。そんな怜央さんはここ最近で随分ずいぶんと柔らかくなったように思えるが、彼女の存在ってそんなにデカいのだろうか。


 そんなことを思っていると、ガラッと勢いよく教室の扉が開かれて、一人の女子生徒がこちらに向かってやってくる。俺には目もくれず、彼女は怜央さんの前に立ちはだかった。


「南条! この志間しまかえでからのがれられると思わないことね!」

「うるせぇのが来た……」


 怜央さんも呆れるくらいの元気に満ち溢れている彼女は、この高校のマドンナ。志間楓先輩。木のエレメント使いでもある彼女は演劇部の部長で、数々のコンクールを総なめにしている人物だ。セミロングのつややかな髪をふぁさっとなびかせて、周囲からの注目を集めるさまだけでも十分じゅうぶんな存在感を表している。


「今日こそ逃がさないわ! この私の手伝いを断る人間なんてアナタくらいよ!」

「お前に構ってるひまはねぇって言ってる。使うなら唯を使え」

「俺ぇ?」


 ああ、また厄介なことを増やそうとしてくる。はぁ、と溜息をつきながら疑問交じりに呟いた。


 志間先輩は俺たちの周りから距離を取っているクラスメイト達を一瞥いちべつすると、ふっと笑いながら怜央さんの隣の席に座る。


「……お前、そこに座るな。誰の許可を得てんだ?」


 一気に怜央さんの機嫌が悪くなり、ヤバイ、と察した。


「怜央さん、怜央さん。あんまり怒ると江奈が怖がっちゃいますよ」


 怜央さんの動きがピタリと止まって江奈の方を見る。江奈はきょとん、としていたがすぐに志間先輩の方に視線を向けた。


「……志間さん? あの、演劇部エースの!?」


 江奈がめずらしく驚いている。あー、知らないよな。知らなかったよなー。怜央さんと繋がりのある女子じょしの存在なんて。だって怜央さん、普通に女子は寄り付かせないようにしてたんだもん。江奈の為に。


「ええ。三年A組、志間楓よ。……何、この子」


 やめて! 今の怜央さんをあおらないで! と俺が必死に祈っていると、志間さんはジロジロと江奈を隅々すみずみまで見下ろして、値踏ねぶみするようにつぶやいた。


「ああ、あなたがうわさの南条の彼女ってやつ。ふぅん……」

「何の用だ、志間」

「忘れたの? もうすぐ文化祭でしょ。出てもらうわよ、舞台に」


 志間先輩は無理矢理怜央さんを演劇部に入部させた人だ。事情は知らないけど、志間先輩は演劇に熱心な人で、廃部寸前だった演劇部を持ちなおさせた。怜央さんは、それに巻き込まれた人で、入学して早々、志間先輩に目をつけられ、強引に入部させられたと言う。


 俺はその日の怜央さんの機嫌きげん滅茶苦茶めちゃくちゃ悪かったことを覚えているから、正直、志間先輩には怜央さんに関わってほしくないと思っているのだが。これは逃れられそうにない。


 だって、今は五月になったばかりだが、来月下旬には文化祭がひかえている。その為だろう。演劇部は毎年、相当な力を文化祭に注いでいると聞く。志間さんが怜央さんを利用するのだって、目に見えている。


「澤田、アンタからも言ってやりなさい。一度くらい舞台に上がれって!」

「無理言うなよ……そんなめんどくさいこと怜央さんがするわけ……」


 俺が呆れたように呟くも、それすらも言わせないとばかりに志間先輩の眉にしわが寄る。俺が思わずたじろいで黙ってしまうと、江奈が立ち上がった。


「あ、あの志間さん!」

「……何、あなた。反論でもする気?」

「須藤江奈って言います。あの、私、写真部で」


 人見知りの激しい江奈が珍しく年上の人に話しかけている。つっかえながらも、なんとか言いたいことを振り絞っている様子だ。


「今度の演劇、楽しみにしてたんです。それで、えっと、演劇部の写真を撮らせてもらいたくて……」

「江奈」


 怜央さんが言葉を止めるように名前を呼んだ。だが、時すでに遅し。志間先輩は目をぱぁっと嬉しそうに見開いて、立ち上がった。


「あなた、分かってるじゃない! ええ、もちろんいいわ。ただし……南条が舞台に出ればね!」


 おおっと、志間先輩が堂々と怜央さんの弱みを握ったぞ。江奈は困ったように怜央さんを見つめ、多分、その目に怜央さんの心がぐらついたのだろう。珍しく視線をらす怜央さんに、志間先輩が追い打ちをかけた。


「彼女からの頼みなら、まぁ、ことわったら男がすたるわよね」


 志間さんの脅しのような言葉に、怜央さんは顔をしかめて俺を見る。めろ、と言うことだろう。けれど、ここまで言われたら俺は苦笑いで怜央さんを後押しした方がいいと思った。


「彼女の為に頑張るしかないでしょ、ここは」


 言った後で、怜央さんの眉を寄せた顔が更にけわしくなったのを見て思った。ああ、マズイ。ミスった。このパターンは。


「……ねぇ、南条? 彼女にかっこいい所を見せたいとは思わないの?」


 ピクリ、と怜央さんの肩が揺れた。目を細めて、志間さんの方を見遣みやる怜央さんは更に機嫌が悪くなっていく。


「……お前、最初からその気で」

「あ、あー。怜央さん?」


 これ以上機嫌を損ねるのはマズイ、と即座そくざに判断した俺が怜央さんの言葉をさえぎれば、すぐに怜央さんは俺の方を見て言った。


「……唯!」

「はいっ!」


 機嫌の悪い怜央さんの怒鳴どなりつけるような声に、俺は思わず背筋を伸ばして返事をする。ああ、面倒事に巻き込まれる。そんな予感が、現実になる。


「放課後、空けておけ」


 この面倒事はきっと、菓子パン二個だけじゃ乗り切れないよなぁ。乾いた笑みを浮かべて、手元にあったカフェオレのストローをくわえる。志間先輩も、余計なことを持ち込んでくれたなぁ。


 ちら、と江奈の方へ視線を向けると、そわそわとした様子で手をこまねいている。そして、ぎゅっと組んでいた手に力を込めると志間さんにうかがいを立てるように問いかけていた。


「あの、私もご一緒していいですか……?」

「ええ、この男がサボらないように見張っててちょうだい、彼女さん?」


 ぱぁっ、と江奈の表情が明るくなる。演劇が好きなのかな、と脳に過ぎったのは一瞬。多分、怜央さんの傍にいたいのが大半だろうと思い当たって、内心で溜息をついた。


 このバカップルめ。本当に、俺を巻き込むのが上手いんだから嫌になる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る