第27話やはり伯爵様にお目に掛りたいと思いますの

 窓から見えるレンブラント館の庭園は、庭師が丹精込めて育てた薔薇がこぼれるほどに咲き誇り、一年で一番過ごしやすい爽やかな季節はゆっくりと過ぎていこうとしています。

 六月の陽射しは少しまぶしく、きたる夏を感じさせます。渡る風も心地よく、開けた窓をくぐり抜け、室内にまで花の香りを運んできます。なんて気持ちのよい日なのかしら。


 でも、今日のわたくしはとても忙しいのです。


 太陽の位置がずいぶん高くなりました。もうすぐ正午でしょう。

 本日の昼餐は、森の館の子供たちと一緒です。ひとりきりでない食事は、久しぶり。

 もう、嬉しくてたまりません。だってホルベイン家でもタビロ辺境騎士団の兵営でも、いつも大人数でテーブルを囲んでいたのですから、レンブラント館へ来てからのひとりぼっちの食事はなんと味気なかったことか。


 その割には周りが引くほど飲み食いしていただろう、とか言わない。コルワートの料理はなにを口にしても美味ですし、レンブラント家自慢のワインや自家製セルヴォワーズ(ビールの元祖)にシードルの美味しいこと! 食の進まないわけがないのです。

 けど、気分的に寂しいではありませんか。


 元より伯爵様はお顔を見せてもくださいませんし、リヨンもこの館を離れてしまいましたし。側には忠実でかわいいマルゴがいるとはいえ、館の誰もが私に優しく接してくれるとはいえ、心のどこかで心細さを抱えていたみたいです。


 そんな寂しさを埋めてくれるのが、森の館の小さな住人たち。伯爵様が奴隷商の元から保護してきた、素直でかわいい子供たち。ホルベイン家の愛する弟妹たちとも重なって、もう彼らのことが可愛くて可愛くて仕方ないのです。


 残念ながら、これまでは一緒にいる時間も限られていましたが、今日はみんなと一緒に明日の朝まで過ごせます。

 実は花火の試演もすることになり、それも見せてあげたいとさらに家令のイサゴにお願いを重ねて、お泊まりの許可も取り付けました。ベッドの数が足りないので、大広間に藁を敷いてシーツを掛けただけの寝床で雑魚寝になっちゃいますけど、子供たちはこのイベントに大盛り上がりなんだとか。

 森の館へ伝令に走らせた使用人が、そう教えてくれました。


 昼餐の指示を出す声が弾み、部屋を移動する足取りがラウンドダンスのステップのように軽いと笑われましたが、そのくらい私の心も弾んでいたのです。





 そろそろ子供たちを迎えに行っても良い頃合だと思うのです。森の館に数台の馬車を送り、それに数名ずつ分乗させてこちらの館に連れてくる段取りになっておりますの。お腹を空かせた彼らを、いつまでも待たせるのは可哀想。

 少々、急がねばなりませんね。


「ロラ、ペラジィ。馬車の支度は整っていて?」

「はい、奥様」

「ですが、御者がひとり足りないとのことです」


 まあ、大変。馬車があっても、それを動かす御者がいなくてはどうにもなりません。手配はどうなっているのでしょう。


 使用人たちはまだ大広間のセッティングに手がかかっているようですから、傭兵連隊の手の空いている方にお願いしてみようと、ナムーラ隊長を捜すことにいたしました。

 居館を出て、本館に向かう途中の廊下で、運良く隊長をみつけたのですが。


 あら、まぁ。なにやら難しい顔をしております。


 元からナムーラ隊長のお顔は難し気ではありますが、本日はより一層……というか、なにやら本当に眉をひそめたくなるような出来事があったような雰囲気ですこと。

 出動の際に羽織る、傭兵連隊の象徴でもある青い外套マントルの下には、すでに物々しくレイピアを帯刀しております。

 そういえば傭兵連隊の宿舎や練兵場のある館の北側が、なにやら慌ただしくなったいます。それも、緊張感を伴って。


 隊長は私の姿を認めると、恭しく被っていたつばの広い帽子を取り、一礼致しました。


「ああ、奥方様。申し訳ございません。昼餐のお誘いはキャンセルしなければならなくなりました。これより我ら傭兵連隊は、急ぎペンデルまで出動いたします。

 ダーナーの騎士隊の到着も遅れる予定だと、つい先程連絡がありました」


 どうしたことでしょう。ずいぶん急なお話です。一緒に芸人たちの出し物を観る予定でしたのに。

 しかも結婚の儀に合わせて帰館の予定であった騎士隊の到着も遅れるとは、ゆゆしき不都合でもあったのでしょうか。


「さすがでございますな、奥方様。タビロ辺境騎士団に女騎士として名を連ねておいでだけあって、そういった空気感ことは聡いご様子で」


 そりゃあ、もちろん……って。

 ――――え!?


「ちょ、ちょ、ちょっとナムーラ隊長。なんで、どーしてッ。え~~!」


 最後の「え~~!」という悲鳴のような驚き声は、私の後ろに傅いていたマルゴたちも一緒に上げておりました。

 私の職業に関しては、彼女たちには寝耳に水。よもや男爵令嬢が辺境騎士団に籍を置いているだなんて、想像もしていなかったことでしょう。マルゴとロラとペラジィ、3人とも有能な侍女ならぬ動揺ぶりです。

 それを眺めるナムーラ隊長の目つきの、なんて意地悪なこと! もう、この方、やっぱり苦手ですわ。


 それにしても彼女たちにとって、私が職業に就いていたことが不思議なのでしょうか? それとも令嬢だてらに騎士というハードな職業に就いていたことが意外だったのでしょうか?


 いえ。どちらも……ですか。

 由緒正しき伯爵家の奥方になる女が、前職「騎士」ですもの。驚きもしますわよね。私だって想定外だったんですもの。結婚なんて。

 だからキャリア目指したのに。


「本当でございますか?」


 ロラが恐る恐る尋ねて参りました。


 ええ、そうですとも。

 王都の令嬢方には無理なお話でも、私はのんびりとした田舎育ち。幼い頃から野山を駆けまわり、おまけに父にねだって弟たちと一緒に剣術の手ほどきを受けていたりしていたものですから、意外と簡単に入団試験にパスしてしまいましたのよ。


 けど。名門大貴族の奥方様は貞淑とエレガントが美徳ウリなのに、よりによって屈強辺境騎士団の女騎士なんて黒歴史は決して自分から触れ回ってはいけない、と実家の母からきつく口止めされておりました。

 レンブラント伯爵家の家門に傷が付いたらどうするのか、と。

 ほら、貴族は体裁と見栄が大切ですもの。

 

「でも、エムリーヌ様……」


 いいえ、マルゴ。私にとっては、そこは重要な問題だったのですのよ。だって辺境騎士団、仕事はハードだけど、王立騎士団みたく規律が堅苦しくない上にお手当はいいんですの。


 こんなことおおっぴらには言えませんが、私の稼ぎがホルベイン男爵家の食卓を支え、今回の潜入調査けっこんだって特別手当もたんまり付けてくれるという最後のダメ押しが、私のためらいをねじ伏せたのですもの。

 ああ、この辺のウラ事情は、墓の中まで黙って持っていった方が良さそうですわね。(さすがに恥ずかしくて言えないわー!)


 などと口に出せぬ事情にひとり悶々としておりましたら、


「カッコ良すぎます!」


 マルゴたちは目をキラキラさせ、声を揃えてそう断言致しました。

 


 え!? なの。

 なんか、思いっきり、力が抜けた……。




 実家のホルベイン男爵家は変わり者の家だと陰口叩かれたけれど、婚家のレンブラント伯爵家も相当型破りな家柄いえだったのね~。





 冷静に考えてみれば、タビロ辺境騎士団が伯爵と共同戦線を張るという密約を成立させた地点で、私の身分がバレるのは当然のことですわよね。ナムーラ隊長のお顔を観ていると、その前からバレていた気がしないでもありません。

 彼の率いる傭兵連隊の諜報部隊の有能さは、キャンデル団長もうらやんでいましたもの。「タビロ辺境騎士団うちより断然優秀だー!」って歯ぎしりしていましたわ。


 ああ!

 すると、当然、伯爵様も私の素性は承知と云う事になります。

 どこまでご存知なのでしょう。胸の内に、不安の暗雲が広がり始めました。


 私と伯爵様の結婚は方の仲介によるものと聞き及んではおりますが、大貴族のレンブラント伯爵ともなれば、当然相手の身辺くらい調べますわよね。

 伯爵様は用心深い方です。


 私が宰相閣下の密命まで引き受けて、この家に嫁いできたことも、端からご存じだったような気がします。だから、私の前にお姿を現わそうとはなさらなかったのでしょう。

 非礼をお詫び申し上げなければなりません。でも伯爵様だって、私に隠していたことがありますでしょ。私たち、腹を割って話さなければならないことが、たくさんあり過ぎなのですわ!


 だからといって、お目にかかるのが今でも怖いのです。サイコパスの殺人鬼でないのはわかっておりますが、今度は伯爵様が私のことを本当はどう思っておいでなのか、それを考えると胸が苦しくなります。


 素性を偽り、気持ちを偽り、あなたを平然と騙そうとした娘を、本当に妻にしたいなんて思いませんわよね。仕方なく、便宜上の妻とするだけ。

 きっとそうに違いありません。


 そう覚悟してきたはずですのに。

 あなたの言葉に、気持ちが揺れるのです。


「ナムーラ隊長、私、伯爵様に直に伺いしたいことが山ほどありますの。

 ええ、一刻も早く、お目にかかりたいですわ。この胸の内のモヤモヤをどうにかしなければ、落ち着いて結婚の儀に挑めませんもの!」

「おお、それは好き兆しでございますな。夫となるお方をそこまで愛おしく思われるとは。きっと伯爵様もお喜びになられましょうぞ」


 つかさずマルゴたちからも黄色い声が。


 絶対、別方向に誤解されている……。


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