第20話真夜中の来客は大声厳禁です

 それは大層小さな音でしたが、わたくしの耳には聞き取れないものではありませんでした。以前も申しましたとおり、視力のみならず聴力もすこぶる良いのです。


 静かにベッドを抜け出すと、音を立てないように窓を開けます。待ちかねたように黒い影が素早く私の寝室に忍び込みました。

 ここ二階なんですけど。図体は私よりデカいくせに、どうして身軽で機敏なのよ。憎たらしい。

 しかも飛び込むなり、


「なにやってんだ。見つかっちまったらヤバいんだからよ、合図したらさっさと……」

「しーっ! 声、デカいってば。黙れ!」


 私は窓から顔を出して辺りを見回し、周囲に誰もいないことを確かめてから急いで窓を閉めました。


「よぉ、エム。どうなってんだよ」


 デカい声を出すなと申しましたのに。コイツ、絶対、隠密任務は向いていないと思います。



 この男、ギャエル・ダルシュといいます。我が国の南の辺境を守るタビロ騎士団の団員で、二十二歳。血気盛んはいいけれど、空気を読めないのと感情表現がストレート過ぎるのは、ちょっと厄介な性格。悪い奴ではございません、多少面倒なだけです。

 こう見えても、ちゃんと養成学校も出て騎士として叙任も受けております。腕は立つのですよ、私が保障してもよろしいですわ。


「なにやってんだよ。今日の昼、フラヴィと接触しそこなっただろ。前回の伝言は『まだ』だったけど、もうご対面はしたんだろう。

 レンブラント伯爵は、マジでやべぇ野郎か? それより、なんか出たか?」

「お願いだから、きちんと意味が伝わるように喋ってくれませんかしら。ダルシュ卿」


「やだねー、その口調。すっかりお嬢様生活に染まったのかよ」

「わたしは元々男爵令嬢で、正真正銘お嬢様なんだけど」


 貧乏で、生活水準は衆庶と変わらないとしても、貴族の娘として礼儀作法だけは……としっかり躾けられました! なのにあんた達と過ごしたおかげで、私の口調と態度はすっかり荒廃してしまい、ホルベインの母が娘の粗雑化に泣いたのですわ!


 フラヴィというのは、彼と同じタビロ辺境騎士団の女騎士で、レンブラント館の厨房にマスの塩漬けを売りに来た女の名前です。給料が安いから兼業しているとかではなく、彼女は潜入よめいりした私と騎士団の上層部を繋ぐ「連絡係」で、任務のため変装して厨房へとやって来たのでした。


 四日前に「伯爵様とは会えていない」と彼女に伝えたのですが、今日はドレスの寸法合わせが長引いて厨房に降りていく時間が遅くなってしまい、伝言を渡し損ねました。


 でも奥方様がそうそう厨房に行くわけにもいきません。高貴な奥方様は、間違っても厨房には下りませんもの!

 足を運ぶとなれば、お付き(お目付役)のマルゴたちが納得する、もっともな理由を考えるのに一苦労ですの。


「で、あんたが来たってことね。ギャレル・ダルシュ」


 ギャレルは自慢気にうなずきますが、私としてはキャンデル団長の人選ミスじゃないかと思えてきます。ちなみにエドメ・キャンデルとは、タビロ辺境騎士団の団長。


「エム、その後の伯爵の動向はどうなってんだ。会えたのかよ」

「まだよ」


「じゃあ、あの子供を切り刻んでいるって噂の真相は?」

「ああ、それなんだけど……実は――――」


 私はギャレルにリヨンから聞いた噂の真相を伝えます。そして伯爵様が領都のアピガにいることも。

 ああ、ダメ。コイツと喋っていると、せっかく被った猫の皮がどんどん剥がれていきます。嫁入りせんにゅう前になく喋れるように直したお上品なご令嬢言葉が、威勢は良いけど軽忽な口調に戻ってしまう。

 どうしてくれるのよ!――という私の苦悩は、全く気付く気配もないギャレル。一発殴ってやりたい。


「伯爵の所在の方はすぐに確認できるけど、噂の方はマズいな。真相って言ったって、そいつは家令から聞いた話だろ。使用人なら、なんとでも口裏を合わせられるからよ。子供の証言も、そう刷り込まれたとか言われて否定却下されそうだな。

 間違いなく伯爵がシロっていう証拠にはならん」

「ドニたちは、嘘なんがつかないわ」


「そんでも、現体制下では国王陛下や宰相閣下がクロって言ったらクロなんだよ」


 そう。そこなんです。



 タビロ辺境騎士団はあるお方からの命令を受け、レンブラント伯爵と人身売買組織の動向を追っています。

 そのお方は疑っておいでなのです。あの由々しき噂を信じて、伯爵様が人身売買組織を利用して反乱を起こすのではないかと。


 モリス・クリストフ・ジャン・マリー・レンブラント伯爵には、国王陛下を屠り国家転覆の機を狙う奸物ではないかと云う疑惑がかかっているのです。





 それが事実なら、反乱の芽は早く摘んでしまわなければなりません。我が国は二年前の隣国との戦争こぜりあいとの痛手からようやく回復したところ。復興の兆しが見えてきたというのに、ここでまた反乱でも起こされようものなら、我が国の行政、治安、経済はまた混乱してしまうでしょう。

 それを好機と隣国が武力攻撃を再開したら、わが国はどこまで持ちこたえることが出来るか。危ぶまれます。



「まぁ、半年頑張れりゃ、いいんじゃねぇの」

「こらこら。耳の穴ほじりながらなんてこと言うのよ、ギャレル。

 そんな事態になったら最前線へ送られるのは辺境騎士団だよ。あんたみたいなタイプは、即座に矢玉に当たってあの世行きじゃないの?」


「冷てぇなぁ、エムは」

「うるさい」



 国の中枢機関は、この噂の真偽と伯爵の本意の解明、同時に児童売買組織の壊滅を目指しているのですが、どちらも遅々として捜査が進まない状態が続きました。

 国王陛下や宰相閣下もご自分の配下の騎士団に探索をお命じになられたのですが、成果は上がらず。


 人身売買組織の方は、先日リヨンの説明にもありましたとおり実態が掴めないので、対策は後手後手に回りがち。このままでは国の沽券に関わると、陛下も閣下もやきもきしておられます。


 そんな中、伯爵様の噂が捜査線上に上がったのですが、確たる証拠も無いのに逮捕したら単なる横暴、権力の乱用。貴族階級からも、市民階級からも総スカン喰いますわよ~。


 レンブラント家は階級こそ「伯爵」ですが豊かで広大な領地を持ち、財も豊か。それを背景に独自の軍備も備えているし、実は王家と血筋も近いのです。

 権力を笠に法廷へ引っ張り出して裁判にかけるなんて横暴なことは、さすがにあの方々にも出来なかったのかしら。(最高裁で覆されて、赤っ恥掻くのは避けたいのね)



 そこへ降って湧いた私の結婚話。

 「なんで、わたし?」ですし、「どーしてこのタイミング?」でございましょう。誰もが不審に思うではありませんか。



「だよなぁ。エムは、歴としたタビロ辺境騎士団のだからな」


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