第19話私は恋をしているのでしょうか?

 翌朝、朝餐の席に着くと、ショッキングな事実を知らされました。

 リヨンがいなくなってしまったのです。


「リヨンは伯爵様の仕事の手伝いを命じられまして、夜明けと共に領都アピガへ発ちました。ご挨拶も無く発つことを許してくださいと、伝言を預かっております」


 と、わたくしに伝えてくれたのは、イサゴと名乗った白髪の家令でした。

 レンブラント館には元々三人の家令がいて、この館や領地管理の仕事をしているのですが、イサゴは昨日まで領地の巡回をして領民の陳情の調査や仲裁に当たっていたのだそう。ヒサゴの帰館と入れ替わるようにして、今度はリヨンがアピガの伯爵様の元へ出かけることになったというわけです。


 理屈はわかります。お忙しい伯爵様のお仕事を手伝うのが、本来の家令としてのお仕事ですものね。でも、感情が追いつかないのです。頭では理解できても、気持ちの整理がつかないのです。


 私は、まだリヨンに詫びておりません。

 どうして、あんな無礼なことをしてしまったのでしょう。シードルに酔っていたから? そんなの理由になりません。

 

 やはり、彼は私のことを嫌いになってしまったのでしょう。


(だから突然消えてしまったのね……)


 せめて謝罪の言葉を伝えていたら。素直に「ごめんなさい」の一言を言えていたら、状況は違っていたのでしょうか。後悔という言葉しか浮かばないのです。



「私、どうすれば良いのでしょう?」


 誰に言うでもなくつぶやいた憔悴の言葉に、マルゴが希望の光を当ててくれました。


「エムリーヌ様、お手紙を書くというのはいかがでしょう。リヨンがこの世からから消えてしまったというわけではございませんもの、お手紙でお気持ちをお伝えしてみては?」

「そうですね! 私、手紙を書きますわ」


 いつもはお腹いっぱい食べる朝餐も(コルワートの作る料理は絶品ですもの!)そこそこに、私は自室に戻ると私付きの侍女たちロラとペラジィに紙とペンを用意してもらい、手紙を書こうと机に向かいました。


 ところがいざ書こうと思うと、なにを書いて良いのか、全くわからなくなりました。気持ちを伝えるといっても、なにをどう書けばいいのか。頭の中は混乱するばかりです。困り果て、ついにマルゴたちに相談してみました。


「エムリーヌ様は、本当にリヨンのことが好きなのですね」


 マルゴにそう指摘されて、私の心臓はとくんと飛び跳ねました。

 リヨンの顔を思い浮かべる度に感じていた、心の奥底で疼くような、このくすぐったい感情は恋と云うものなのでしょうか。カッと身体が熱くなり、ペン先が滑って彼の名前を書き損ねました。


「ち、違います。昨晩のことを謝らなければ、その、謝らなければいけないと思う……思い、その……えっと……」


 弁明しようとすればするほど私は取り繕うことが出来なくなり、ロラとペラジィにも追求され――もうバレバレです。

 

「良いのです。エムリーヌ様がリヨンのことを好いてくださって、マルゴは嬉しゅうございます」


 満面の笑顔の彼女に優しくそう言われると、これで良いのだと思えてしまいます。私がリヨンに抱いている気持ちは間違いではないのだと。

 すると気持ちが沸き立って、自然と笑顔が浮かびます。……っていうか、顔面の締まりがなくなっちゃうぅ。もうやだ、からかわないでよぉ~。でへ。



 しかし――。

 

 よくよく考えてみたら、私の夫となる方は伯爵様なのですよね。

 リヨンではなく伯爵様でしたよね。


 だ……大丈夫か、私!?





 午前中は貴婦人教育の講義を。偉いでしょ、ちゃんと継続して、女に磨きをかけておりますわよ!

 そして午後は、森の館へ。伯爵様にいただいた愛馬、芦毛のデヴィに乗って参ります。


 館では待っていてくれたドニたちと歌を歌ったり、お庭で遊んだり。どの子も素直で、本当にいい子たち。この子たちが人身売買組織の手によって見知らぬ場所へ売られてしまっていたら……と思う度に、心が痛みます。でも助け出されたこの子たちは、幸せ。

 問題なのは、この子たちの存在は氷山の一角でしかないということ。

 

 どうすれば良いのでしょう? また不安が増えました。(はぁ)

 あ、いけない。子供たちの前で溜め息をついてしまうなんて!


「どうしたの? エム」


 不安が伝染したのでしょう。ほら、泣きそうな顔をしたドニが私にしがみついてきました。なんでもないと誤魔化すのですが、子供ってこういうことに敏感です。


「僕が一緒にいるからね」


 と、幼いドニに慰められる結果となりました。

 なにをやっているのでしょう、私。


 そこへ丁度おやつの支度が出来たと告げにマルゴがやって来ました。

 子供たちを食堂へと移動させ、おやつの時間とすることに致します。食欲旺盛で、どの子も美味しそうにいただいています。

 料理人のコルワートが食料をため込んでいる理由がよくわかりました。館の子供たちには、お腹いっぱい食べさせてあげたくなりますものね。

(忘れてはいけません。ここには不在ですが、館の警備を担う傭兵連隊の傭兵たちだってもちろんのことですわ!)


 子供たちの笑顔に癒やされて、リヨンと離れ離れになってしまった寂しさを少しだけ忘れることが出来た気がします。



 館に戻って晩餐が終わると、マルゴたちによる「奥方様を麗しく磨きあげよう大作戦」夜の部があり、結婚の儀に向けて腕によりをかけまくった様々なお手入れを丹念に施されます。その間私はマルゴや侍女たちと、とりとめもないお喋りに興じるのでした。

 マルゴは同じ年頃ですし、ふたりの侍女ロラもペラジィも、うんと年齢が離れているわけではございませんからすぐに会話に花が咲き、それどころか乱れ咲き状態に。

 伯爵様のこと、リヨンのこと、恋バナって盛り上がるぅ~。





 その翌日は、朝餐のあとベテラン家令のイサゴと共に結婚の儀に参列する客人をお迎えする支度など、奥方様らしい仕事もしたりしました。管理などの実務はイサゴの仕事ですが、その指示を出すのは私の役目となります。

 少しは奥方らしくなれたでしょうか。


 昼餐の前に、式や披露パーティーで纏う衣裳の寸法合わせフィッティングがあり、私はマルゴたちの着せ替え人形となりました。それはもうかしましく、でもとても楽しいひとときで、時間が経つのも忘れてしまうほどです。


 その後厨房を覗いたのですが、先日塩漬けのマスを持ち込んだ女がまたやって来たとコルワートから報告を受けました。下女たちと噂話でひとしきり盛り上がっていたそうですが、ついさっき追い返したとのこと。どうやら、私とは入れ違いになったようです。

 昼餐のあとは森の館にドニたちを尋ねるのが日課となり、夕方館に戻り、晩餐と寝る前のお手入れ。


 リヨンからの返事を待ちながら、慌ただしく、でも平和に時は過ぎていこうとしていたのです。



 そんな――レンブラント館に来てから、五日目の晩。

 深夜、窓の外から合図の口笛が聞こえました。


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