第18話幕間 月下のひとりごと

 時刻は深夜に近い。


 力強いノックの音に、窓際で月を眺めていた人物は顔を上げた。

 豪奢な金色の髪が、月の光を浴びてきらめく。


「どうぞ」


 入室の許可を与えると、重い木製の扉を開けたのは傭兵連隊隊長のナムーラだ。部屋に足を踏み入れた後、もう一度廊下に他の人影がないのを確認してから静かに扉を閉めた。

 室内に灯りはなかったが、彼は夜目が効くので困ることはない。窓の前に立つこの館の主人である青年の姿を認めると恭しく立礼をする。

 窓際の青年は静かに振り向く。奇異なことに、そのひとは顔の半分も隠れる仮面を付けていた。


「昼間はご苦労だった」

「いえ、奥方様があそこまで大胆な行動に出るとは予想外で、油断を致しました」


 正確には、もうすぐ結婚する婚約者エムリーヌ・ジゼール・ホルベイン嬢だ。

 その名を聞いて青年はふわりと口元を綻ばせた。差し込む僅かな月光だけでも、仮面で顔を隠していようとも、青年が端正な美貌の持ち主であることが察せられる優雅な笑みだ。


「エムリーヌが怪我もせず森の館へ到着できたのは、隊長たちのおかげだよ。感謝する」

「痛み入ります、伯爵様」


 ナムーラ隊長が恐縮する。

 奥方となるエムリーヌ・ホルベインが森の館に足を踏み入れることになるのは彼らの予定ではまだ先のことであったが、いずれ知れることであるから軌道修正は僅かで済むと伯爵は冷静に彼らに告げた。


「――ところであちらの件ですが。いかがなりましたかな」


 ナムーラ隊長は部屋の隅で控えていた、もうひとりの人物に声を掛けた。

 逞しい筋肉の立派な体格で、浅黒い肌に赤毛の髯を顔の輪郭を覆うように生やしているナムーラ隊長とは対照的に、小柄だが肉の締まった体躯に手入れのされた口髭がよく似合う壮年の男。隊の象徴でもある赤色のケープ型の外套マントルを片方の肩に引っ掛け、大きな黒色のフェルト帽を被っている。レンブラント騎士隊の隊長ダーナーであった。

 ちなみに同じデザインの色違い、青色のマントルを身につけているのがナムーラ隊長率いる傭兵連隊である。


「伯爵様の予想どおりです」


 レンブラント伯爵家の騎士隊と傭兵連隊は、交代で領内を巡回し治安維持に務めている。現在、領内の巡回に出ているのは騎士隊で、館の守備に従事しているのは傭兵連隊だ。

 ダーナー隊長の報告では、海上の治安に睨みの利くナムーラとその部下たちが内陸部にあるレンブラント館の警備の任に就いた途端、クオバディス沿岸では海賊たちの動きが活発になったというのであった。


「大方、海賊船が二~三隻、商船を装ってペンデルの港にでもやって来ましたかな」

「おお、これは察しのよい」


 両隊長は揃ってニンマリと口髭を持ち上げた。


「やはり、動きましたな」

「伯爵様のご結婚で、領内は祝賀ムードで浮き立っておりますからね。そこに乗じた隙を狙い、また子供や若い娘を誘拐しようと狙っているのでしょう」


「それは困る。私の領内からこれ以上被害が出ては、あの噂に信憑性を与えるだけだろう」


 言葉とは裏腹に、伯爵はどこか楽しげである。もちろん、彼は海賊や組織の好き勝手にさせるつもりなど毛頭ない。

 組織の魔の手から子供たちを取り戻すために流した苦肉の策の噂話だが、噂には尾ひれが付いて伯爵はすっかり猟奇殺人者に仕立て上げられ、案の定結婚相手の男爵令嬢はそれを信じ込んでいた。


「奥方様が悲しみますぞ」

「私は新妻を悲しませる悪い夫だ」


 伯爵が自嘲気味に笑うのでナムーラ隊長が「ご冗談を」と諫めたのだが、本人は思うところがあるらしく、視線を月へと向けてしまった。


「伯爵様、――そちらの噂の件ですが」


 気まずい空気を察したダーナー隊長が、声を潜ませ急遽本題へと移ろうとする。伯爵家に長く仕えるダーナーは、現当主も子供の頃から知っているので、その辺の心の機微がわかる男だった。


「王都に放っていた密偵から連絡がございました。かのお方が大層興味を持たれ、密かに手の者を動かしていると」

「ああ、知っている。すでに館に密偵を送り込んできたからな」


 ここでナムーラ隊長が声を落とした。


「いかがなさいますか?」

「始末する――とは言うなよ。彼女には、もう少し役に立ってもらわなければならないからね」


 色鮮やかなアンディエンヌの部屋着をひるがえし、伯爵は振り返った。


「私は領都のアピガへ行こう。あちらの別宅で、あの方の注意を引きつけておく。ナムーラ隊長、偵察部隊から何名かこちらに派遣して欲しい。

 ダーナー、アピガの警備を強化してくれ。それからペンデル港の船の出入りにはいつも以上に目を光らせるように。出来れば街中には、奴らを入れたくない。拠点らしきものは全て潰せ。

 結婚の儀まで、あと一週間。組織の方は、おそらくその後に続く結婚披露パーティーのどさくさに紛れて、なにか大きな襲撃ことを仕掛けてくるつもりだろう。

 だが、問題はそちらではない。この一件をあの方がか、だな。ふたりとも、よろしく頼む」


 隊長たちは力強い返事を返し、領都アピカへ戻らねばならないダーナー隊長は先に部屋を退出していった。





 その後、結婚の儀で慌ただしく人の出入りが増えることになるレンブラント館の警備について、伯爵は傭兵連隊隊長と小一時間程話し合いを続けていた。

 そのナムーラ隊長が、部屋を去る際に「さみしいですな」とひと言、声を掛けた。それがなにを指すのか、あえて彼は確認しなかったのだが、


「仕方ないさ、私はレンブラント伯爵家を守らなければならない」


 モリス・クリストフ・ジャン・マリー・レンブラント伯爵は、海の色を切り取ったような瞳をそっと閉じる。


「健気でかわいい彼女のためにもね……」


 青い月明かりの届く部屋でつぶやいた独り言は、エムリーヌには届かなかった。

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