第15話伯爵様の嘘とマルゴと、リヨンの心配
気が付くと、
「エムリーヌ様、お気が付かれましたか!」
悲鳴のような喜びの声は、マルゴです。そして誰かが私の手を握っているようです。温かな小さな手、首を巡らせてみれば、それはドニのものでした。
「あああ。もう、生きた心地もいたしませんでしたぁ~」
マルゴにはざめざめと泣かれてしまったのですが、似たようなセリフを先刻誰かに言われたような?
そうです、リヨンに。
私は玄関ホールに彼や子供たちといたはず。言い争いみたくなって、そして意識が遠く……。あら、どうしてここに。
――ってここはどこなの?
涙ながらにマルゴが、その横で嬉しそうにドニが。ふたりが代り番に顛末を語ってくれたところに寄りますと。
私、気を失ってしまったそうです。
リヨンに促されて立ち上がったのですが、途端、失神して後ろにひっくり返ってしまったんだとか。
その場にいた大人たちは青くなり、びっくりした子供たちは泣きわめき、しばらく森の館は右往左往の大騒ぎだったらしいです。
リヨンの采配のもと、普段は談話室として使用している二階の一室に、ナムーラ隊長たちが急遽ベッドを設置して、私を運び込んで。その後、知らせを受けたマルゴと侍女たちが着替え一式を持って駆けつけ、意識が戻るまで介抱してくれていたのだそうです。いやはや。
「でもね、でもね。倒れるエムの身体を、ちゃんとリヨンが受け止めたんだよー。それでね、今度は絵本の王子様がお姫様を抱っこするみたいにして、ここまで運んだんだから~。カッコよかったんだよぉ」
……良くありません。
恥ずかしい以外のなにものでもないです。大失態ですわよね。しかもお姫様抱っこされて運ばれた、ですって!
顔から火が出そうです。
「コルセットをきつく締めすぎたのでしょうか。申し訳ございませんでした」
「違うわ。私が興奮して、気分が高ぶり過ぎたからよ」
「エム。こーふんって、なあに?」
幼いドニには説明が難しいですわ。でも子供って素直でよいですわね。「エムって呼んでね」と言えば、すぐにそう呼んでくれるのですもの。
「あ、そうだ。エムの目が覚めたって、リヨンたちに言ってくるね」
言うが早いか、ドニは部屋を飛び出していきました。目端が利くよい子です。あの子が人身売買組織の魔の手から救われて、本当に良かったと思います。
――って、救ったのは伯爵様だとドニは言っていましたよね。
でも、私はその伯爵様が人身売買組織を裏で支援していると聞いているのですが。どちらが真実なのでしょうか?
「あの、エムリーヌ様。伯爵様は、決して悪人ではございません。ご自分の領地で、悪徳組織が暗躍しているのは許せないと常々そう仰っておりますもの。お願いです、どうか噂に惑わされないでくださいませ。
伯爵様が奴隷商人から子供たちを買うのは事実です。でもそれは病気にかかって弱っている子や、ケガをしている子を一刻も早く救い出して、この森の館へ連れてくるためです」
マルゴは身を乗り出して、私に訴えます。控えめな彼女がこんなに必死になるなんて、毎朝毎夕の「奥方様を麗しく磨きあげよう大作戦」に匹敵、もしくはそれ以上の熱心さかもと思ってしまう。ふふふ。
冗談はさておき。
人身売買組織にとって、奴隷は商品です。商品は、丈夫でキズのない方が高く売れます。
ですが売買目的で誘拐してきた子供たちは、劣悪な環境に置かれ、たとえ病気やケガをしても治療はしてもらえません。それどころか商品価値がなくなったと、早々に殺されてしまうそうです。
「そんな子供でも、買い手が付くとなれば話は変わってきます。金を出してくれる人間に売り込もうといたします」
「では、レンブラント伯爵は
マルゴが大きくうなずきました。
彼女の言うとおりならば、それで何人かの不幸な子供たちは救われるかもしれません。
「それで買われた子供たちはこの館へ連れてこられて、治療を受け、……そのあとは?」
「親元に還されたり、還るあての無い子は、ドニや先程ご覧になった子たちのようにこの館で生活をしています。わたしも伯爵様に救われた子供のひとり、ですわ」
私は目をしばたたいてしまいました。子リスみたいにかわいいマルゴに、そんな辛い過去があったなんて!
「でもね、マルゴ。それでは解決にはならないわ。伯爵様は子供たちを救済するためにお金を支払っているのだとしても、奴らの懐に入ったら、そのお金も活動資金へとすり替わってしまう。潤った組織はまた別の子供を誘拐して、奴隷として売買するだけよ。組織が存在する限り、不幸の連鎖は止まらない」
その時、ドアを叩く音がいたしました。どうやらリヨンのようです。
入室の許可を与えると、彼は遠慮がちに入ってきました。それでも私の様子を確認すると安心したような顔をした、ような気がしました。推測です。
ああ、もう。顔にかかる長い前髪が邪魔!
横になったままでは話をしづらいので、上半身を起こすことにしました。さすれば素早く背中にクッションを挟み、乱れたカールを直し、パパッとドレスのシワも伸ばして、静かに壁際(呼べばすぐに側へ参じられる距離。ここ大事!)に移動して存在感を消すマルゴ。さすが、小間使いの鑑!
マルゴやドニを救ってくれたことには、ホント感謝するわ、伯爵様。たとえあなたがウラで奴隷売買の片棒担いでいたとしても、そこだけは好きになれるかも。
マルゴと入れ替わりに私の側にやって来た、こちらはリヨン。改めて暴走劇のお小言をいただき気分はドーンと凹んだのですが、最後にそれまでの皮肉っぽい口調とはガラッと変わった艶のある声で「お怪我がなくて良かった」なんて言うのですもの。もう、まともにリヨンの方を見られなくなってしまうではありませんか。
ばかぁ……。
ついでにお姫様抱っこされたと云うドニの言葉まで思い出しちゃって。無駄に体温が上昇してしまう。
なので視線は明後日の方向に向けたまま、
「そうだわ、リヨン。伯爵様は、この森の館においでになるの」
「いいえ」
ここにもいないのかい! と内心ツッコんじゃう。同時に伯爵様が実在するのか、ちょっと不安になってきたわ。
「っていうより、どうしてあなたがここにいるの!? あなたは伯爵様の御用向きでペンデルに行ったんじゃ……」
「ペンデルに参りましたのは事実です。ですが、戻りこちらの様子を覗きに来たところへ、あなた様が一大事だと知らせを受けまして――」
それは、どーも。騒ぎの元凶は、再びツイと顔をそらします。
「ですが、エムリーヌ様には、もっと尋ねたいことがあるのではないのですか」
図星に心がぴくんと跳ねて。
私は、前髪に隠された彼の瞳を探しておりました。
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